(11)
「なんだかこうやって洗い物をしていると、家事を分担している新婚夫婦って感じがするな。緊張……、してしまう」
さり気に新婚とかつけないでください、そこ。
私がジト目で抗議していると、突然ガシャン。派手な音が耳をうつ。
お皿を割ってしまったらしい、青ざめた秋斗くんが私に焦ったような藍色の視線をむけてきた。
「ご、ごめん、美結さん! 手がすべっちゃって」
「お皿のことは、気にしなくてもいいから。それより、秋斗くん。けがは――」
私は、言葉の続きをのみこんだ。
フワ、と秋斗くんの泡まみれの両手に集まる破片たち。ああ、どこかでみたわ、この光景。
大小いろいろな破片が、またたきをしている間に一枚のお皿に戻ったのは言うまでもない。
そんなハンドパワーができるんだったら、最初からその能力を使って洗えばよかったでしょうに。まったく、もう……
苦笑する私に、秋斗くんが「もしかして」とおずおずとたずねてくる。
「心配してくれたの? 美結さん」
「そ、そんなんじゃないわよ。ただ、お皿の破片が排水溝に流れてつまったら嫌だなって思っ――」
「ありがとう」
私の台詞をさえぎって、秋斗くんが言ってくる。
ぐっ。それは……、卑怯すぎるでしょう……!
そらすにそらせなくなった視界で、彼のキラキラ輝く満面の笑みが咲きほこる。私がカチンと固まっていると、その整いすぎたフェイスから次の発言がさも当然のように飛び出した。
「それじゃ、行こうか。あっちの世界に」
直球ストレートに、きた。私の硬直していた表情が、今度は一瞬でひきつる。
お、覚えていたのね。このままいい感じに忘れ去ってくれるのが、私的にベストだったんだけれど。
でも、ほら、なんというか、心の準備ってものが――
「ちょっと待ってね。今、道を開くから」
秋斗くんがリビングの中央にさっきと同じ扉を出現させている間に、私はそっと後ずさりする。
だってね、うん。私には、まだ早いと思う。大人の階段を登るのは、成人してからでもいいでしょ? いやもう、自分でも何を言っているのかわからなくなってきた。
カタ、とたんすに肘が当たり、その反動で私の手に転がりこんでくるいくつもの――
それらに、私はハッと目を見張った。
「こ、これは……、幻の“あんこ飴”!」
こんなところに置いてあった、なんて……
この前、テレビのコマーシャルで見かけて即注文したのに、どこに置いたか忘れてしまって、ずっと探していた魅惑のアイテム! まだ、味わったことがなかったんだった。
一つの封をきり、私はドキドキしながら口に入れた。
贅沢な甘さがいっぱいに広がり、私の頬がどんどんゆるんでいく。
ああ、幸せ……
丸いあんこの周りに黄金糖がコーティングされた、見ため的にもきれいなそれを制服の上着のポケットにありったけつめこんでいると、秋斗くんの声が私を現実に引き戻す。
「お待たせ、美結さん。さあ、行こう」
行こう? どこへ――
問いかけそうになって、私はあわてて思いとどまった。
そう、だった。あんこ飴に夢中になりすぎていた。
ポケットにつっこんでいた指先を頬に移動させながら、「で、でもね!」と私はまくしたてる。
「私ね、明日から学校で試験がある……かもしれないの。進級に関わる大事なものだったような気がするし、サボるわけにはいかなくて。だから、あっちの世界に行くのはまた今度――」
「ああ、それなら心配しなくてもいいよ。し……、新居を見たら、すぐに戻ってこればいいんだし」
って、“新居”でどうして口ごもるの。ああもう、はにかんだように頬を染めない。こっちまで、恥ずかしくなってくるじゃない!
「と、とにかく!」
「わっ」
ガッと秋斗くんの手が、私の左手首をつかむ。
「おれについてきて、美結さん。あっちの世界では、おれが絶対にきみを守るから」
「そ、その言葉に嘘いつわりはない?」
「おれを信じて」
真っ直ぐな眼差しでうなずく秋斗くんに、私はうう……とつまってしまう。
す、すぐに帰ってこればいいんだし、うん。ちょっとだけ目にしたら、適当にはぐらかして帰ってこよう。と、思っていたのだけれど。
「わ、わわっ」
秋斗くんにつれられてしぶしぶ扉をくぐった私は、その場で激しく後悔した。引き返そうにも、肝心の入り口はとうに消え去っていた。
黒にぬりつぶされた世界に、グニョグニョと赤と緑の線がいくつも奇妙に混じりあう。一歩、一歩と進んでいくうちに押しよせてきたのは、とてつもない不快感。
なに、これ……
「気持ち、悪い……」
口を右手で押さえ、私はその場にうずくまってしまう。
「美結さん、おれから離れちゃ駄目だよ。ずっと、おれを意識しておいて。ここは――を増幅させるから、とりあ――おちつ――。この場所にのまれたらどこに――っ」
え、なに? きこえな――
と、その時。ブワッと大きな波のような衝撃に襲われ、秋斗くんの指先が私からすべりおちる。ガクンと均衡がくずれ、私の身体が重力を失ったように落下していく。
な、な、な……
うそでしょぉおおおおお――――!?
「美結さんっ!!」
秋斗くんの私を呼ぶ声が、どこか遠くにきこえて――
私の意識は、そこでプツッと途切れてしまった。