捜査依頼
早朝の空気は清々しい。真夏とは言え、幾分かは涼しくも感じられる。
しかし後、数十分もすれば眠っていたアブラゼミ達が一斉に目を覚まし、また今日も一日 "ガーガー" と五月蠅く鳴き出す。そうなれば体感温度も一気に上がるのだ。
西川 翔平巡査は学生時代の先輩で実の兄のように慕う山崎 和浩の自宅兼店舗に向かっていた。昨夜、山崎から急に電話があり呼び出されたからだ。
「カズさん、オレに相談って何やろか?やっぱし、子供絡みなんかなぁ?それにしても暑いなぁ」中学生の頃に修学旅行で買った十数年愛用している扇子で首元に生温い風を送りながらブツブツと一人言を言った。
"かすがい薬局" の看板が見えて来たので、後、100mほどだ。
後ろから "チリン、チリーン!" と自転車のベルの音が聞こえた。振り返ると木村 玲子が近付いて来ていた。
玲子は山崎の店を手伝う主婦連中の一人で40代前半とまだ若い。その上、宝塚や芦屋に住んでいてもおかしくないほど上品な感じがする美人でもあった。
「翔ちゃん、こない朝早うから私服でどないしたん?」西川が警官である事はもちろん玲子も知っているが、山崎の廻りの人々は西川巡査を親しみを込めて "翔ちゃん" と呼ぶ。
「やぁ、玲子さん、おはよう!何やカズさんに呼ばれてな。玲子さんこそ早いやん」西川は額から滲み出る汗をハンカチで拭いながら答えた。
「ホンマ?私もカズちゃんに出来たら早よ来てって言われてて…」一旦、自転車から降りて答えた。
「もう、ちょっとやし一緒に行こか?」言っている玲子も首元を汗で滲ませていた。
「イヤッ、エエよ!こないに暑いねんから。ベッピンさんが台無しやわ。先いっといて」西川は扇子を下から仰ぐようにして答えた。
「そう?ほな悪いけどお先になぁ」そう言うと玲子は再び自転車にまたがり先に行ってしまった。
「カズさん、おはようさんです!翔平です」引き戸を開けた瞬間に冷房の心地よい空気が西川を癒やした。
「おぅ、スマンな翔平。とりあえず中に入って麦茶でも飲めや」山崎は冷蔵庫を開けグラスにキンキンに冷えた麦茶を入れてやった。
「いやぁ、ありがたいっす」西川は出された麦茶を一気に飲み干すと "アーッ" と息を吐いた。
「ところでカズさんがオレに相談って何ですのん?」西川は昨夜から気になっていた事を聞いた。
「ウン、実はな…」そう言うと西川とは反対の住居スペースの方を向いた。
「おーい!ボンちょっとおいで」すると奥からやたらと細い手足に包帯を巻いた少年が現れた。
「なっ…何です?この子?」西川はある程度予想していた以上の事に面食らった。
「ウン、昨日な、かすがい薬局の辺りで拾てん」山崎は自分の背中の方を指刺した。
「拾たって、カズさん!まさか誘拐…?」西川は目玉をひん剥いた。
「アホか!そんな訳ないやろ。多分やねんけど親の虐待とかネグレクトの類やと思うねん。ほんで親の家から逃げて来たんやないやろか思とるねん」山崎は大根を桂剥きし始めた。
「虐待…ですか?」交番巡査と言えども警察官として聞き捨てならない話しだった。
「とりあえずオレもまだ、このボンの声を始めにちょっとしか聞いとらん。そやから情報が全くあらへん。警察の方で家出人捜索とか児童虐待の通報とかないか調べて欲しいんや」桂剥きが終わると今度は面取りを始めた。
「わっ…分かりました。今、勤務上がりやけどすぐに本署の方に行って調べますわ」西川は取っていたメモを胸ポケットに仕舞い込み立ち上がった。
「おぉ、よろしゅう頼むわ」面取りを終えた大根を置いて山崎は左手を上げた。
ちょうどその頃、アブラゼミが "ガーガー" と一斉に鳴き出した。