運命の出会い
話中の大阪弁が分かりにくいと思うので注釈を入れさせて頂きます
水豹状態=アザラシのようにゴロンと寝転がって動こうとしないさま
ボン=坊っちゃん、坊主 一般には見知らぬ少年をこう言います
ちなみに少女はお嬢、嬢ちゃんなど
ちょう=ちょっと 少しと言う意味でなくほぼ待って欲しい時などに使います
大阪の東大阪市高井田と言う下町にある、閑静な住宅街の一画。
その一画に民家が改装された小さく簡易な食堂がある。
店主は30代半ばの優男で、その顔に掛けられたメガネの奥に光る眼が人々を癒す。
そのせいか、一人で店を切り盛りしている割に、近所の子育てが済んだ主婦達が、取っ替え引っ替えと言う感じに手伝いをしてくれるので、意外と楽をさせてもらっている。
ただ、一段落済んだ後の主婦達の旦那や子供達の愚痴を聞くのが男の仕事の一つになっている。
「カズちゃん、聞いてぇなぁ。ウチの旦那、今日も休みやから言うて朝からずっとテレビの前で水豹状態やんかぁ。もう、鬱陶しいからこのまま夕方からも手伝うわ」
50代に突入した後藤 史恵が開店して直ぐに手伝いに来たのにも関わらず、元気にマシンガントークを浴びせている。
「まぁまぁ、史恵さん。夕方からは例によって雅代さんか玲子さんが来てくれると思うから今日は帰ったりぃなぁ。あっ、旦那さんの好物のこの酢豚、持って帰ったりぃ」
首に掛けられたタオルで額の汗を拭いながら、店主の山崎 和浩は言った。
「そうなん?残念やわぁ。もうちょっとカズちゃんの顔、見てたかったのになぁ」
タッパーに酢豚を詰めながら口を尖らせて史恵は本当に残念そうにしている。
「あっ、史恵さん、ちょっと悪いけど表でタバコ吸うて来るわ」
山崎は胸ポケットからハイライトと使い捨てライターを取り出しながら、外へと出ていった。
山崎がハイライトを咥え、使い捨てライターで火を着けようとしたその時、彼の視界に違和感のある風景が飛び込んで来た。
それは、何と言う事もない風景なのだが、この食堂をしている山崎にとっては "違和感" と映るのだ。
山崎はハイライトをケースの中に戻しながら、100m程先にあるその違和感の方に向かって走り出した。
「ちょう、待ち、ボン!ちょう、止まり!」
山崎は途中で落ちてしまった使い捨てライターにも気付かずに必死に走った。
少年は声に気付いて山崎の方を振り返ったが、そのままその場に尻餅を付いてしまった。
ようやく山崎は少年に追いついたが、少年は両手で頭を抱え込み、亀のように丸くなってしまった。
「ゴメンナサイ!ゴメンナサイ!もう悪い事しませんから殺さないで下さい。許して下さい」
少年の頭を抱えているその両腕や縮込めた両脚には、無数の斑点状の水膨れ後や紫色の痣が見られた。
山崎は少年の身体を引き起こすと、直ぐに少年の頭を自分の胸に抱き抱え「大丈夫や。ボン…もう大丈夫やからな。もう何も心配せんでエエからな」と少年の背中を摩りながら言った。その少年はその小さな身体を小刻みに震わせていた。
山崎のメガネの奥には真夏の日差しに反射してキラリと光るものがあった。