疲弊
小学校を卒業する年になる頃、私は疲れ果てていた。
学校では相変わらずいじめの日々で、クラスメイトから無視されたり、持ち物に「バイキン」やら「消えろ」やら落書きされる。
登下校中にうっかりクラスメイトと鉢合せするものなら、聞こえる声で悪口を言いながら後をつけられた。
先生はいじめなんて無いかのように振る舞い、クラスには私の居場所なんて何処にもなかった。
家に帰っても、母が居ない時はあの行為を求められる。
その頃の私は、もうあの行為に痛みを感じなくなっていた。
痛みを感じないなら快感を感じるのか?というと、そうではない。
皮膚に触れられている感覚、圧迫感、そんなものしか感じなくなるのだ。
幼い頃は痛みしか感じなかったその行為は、痛みを失ったことで思考する余裕ができ、自分が汚らわしい事をしているという実感を得るための時間に変わった。
その頃になると私にも生理が訪れていたが、父曰く「○○が小さい頃に大病にかかり、高熱のせいで子共を作る機能がなくなった。お医者さんが言ったから間違いない。」そうだ。
風呂場へ行き、自分一人で後始末をする時間だけが、唯一私が泣ける時間だった。
夜になって母が返ってくると、一見は普通の家族のように過ごした。
夕飯を食べながら学校での出来事を話したり、リビングの机で宿題をしたりと、本当のことは何一つ話さずに子供らしい自分を装って過ごした。
だが、私は何時も罪悪感で胸が詰まる思いだった。
朝から夜まで一生懸命働いている母を裏切って、母の好きな人とそういう行為をしている。
それが悪い事だとはっきり分かっているのに、父が怖くて堪らなく、逆らう事など出来ない。
明日も、明後日も、これからも、学校では虐められ、父にはあの行為を求められ、母を裏切り続けるのかと思うと、生きていくことが辛くて苦しかった。
その内、私は死ぬことに固執し始めた。
夜眠る時『このまま目覚めることなく死にますように。』と願い、朝起きると『今日も生きている。』と落胆する毎日。
家にだれもいない時にカッターで手首を切る練習に腕を切ってみた事もある。
震える手では浅くジグザグにしか切ることが出来ず、痛みが我慢できずに断念した。
適度な長さの紐を探して自分の首を絞めてみたこともあるが、苦しくなると紐から手が離れるため、こちらも上手くできなかった。
高いところから飛び降りる?深い川を探して飛び込んでみる?車道に飛び出してみる?…と、毎日自分が死ぬことだけを考えて過ごしていた。
私が死んでしまったら母が悲しむ事は勿論わかっていた。
それより、この日々が続くことが嫌で嫌で堪らず、辛くて、苦しくて逃げ出したかった。
私が苦しんでいることを、父も母も先生もクラスメイトも気付かないなら、これから先も誰も気付かないだろう。
救われる事なくこの日々が続くのなら、生きることよりも死ぬことこそが、私にとっての希望だった。
辺りには何一つ存在しない暗闇の中で、泥に埋まって呼吸すら覚束なくなっていた私の日々に光を指したのは、待ち望んだ死ではなく、たった一冊の本だった。