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黒と青の狭間  作者: 空丸
2/6

一、

明るい日差しが差し込む部屋の中で、シオンは目を覚ました。

朝か。

開け放たれた窓からは、昨晩までのどんよりとした曇り空が嘘のように、真青な空が広がっているのが見える。


ここは、かの勇猛なデイン1世の統治するアザラエシア王国だ。

王国の首都アザラエシアから馬でおよそ7日のところに、ミエラと呼ばれる田舎街がある。

ミエラはこれと言った産物に恵まれては居なかったが、東西南北からの街道が交わっている交通の要所だった。

そのため、街にはさまざまな物資があふれ、田舎の街にしては驚くほど潤っていた。

街は東西南北に伸びる街道そのままに、大通りで東地区、西地区、南地区、北地区と、4つの地区に分かれていた。

そしてシオンの住む小さな古い路地は、北地区のはずれにあった。


昨夜は。

シオンは、まだ横たわったままのベッドの中で、昨夜のことを思い出していた。

昨夜もいつも通りに寝たはずだったが、まるで何日も寝込んでいたように頭が重かった。

夏場の目覚めは、いつもこんな感じであった。

今日も暑くなりそうだ。いや、既にうっすらと汗をかくほどには暑い。今既にこの暑さでは、陽が高くなったらいったいどれほどになるのか。

シオンはおもむろに両の手を伸ばし、いらいらとした気分そのままに、肩まであるその黒い髪を、むぞうさにかきあげた。

それから青みがかった黒い瞳を上げ、気だるげに部屋の中を見回す。

いつもの見慣れた古い部屋だ。夏なので、窓の木戸は開け放してある。

古ぼけたランプの乗った小さな木のテーブル。年月を感じさせる木の丸椅子。そして木組みで出来た粗末なベッド。

それがこの部屋の家具の全てだった。

「くそったれ・・・。」

そう小さく吐き出し、シオンはうんざりとした気分で雲ひとつない空にちらりと目をやり、そうしてのろのろと身を起こす。

こんなに良く晴れた日には、魔物がその姿を見せることなど殆ど無いことを、彼は知っていた。

昨夜請け負った魔物討伐。

一日で片を付けるつもりだったが、どうやら今日中に終わらせるのは、少し難しいかもしれない。



「シオン殿はご在宅か!」

街から程近い森に妖魔が出た、と、シュトー商会からの使いの者が息を切らしつつ飛び込んできたのは、昨日の夜も更け始めた頃だった。

来客の気配にシオンが階下に下りて行くと。

驚き顔でドアを開けた栗色の髪の少女の後ろに、真っ赤な顔で大汗をかき、息を切らした一人の男がいた。

色が白く丸顔で小太りのその男はダーレンと言い、シオンとは既に数年来の顔なじみでもあった。

歳は良くわからなかったが、中年と言ってもいいだろう。

シオンが初めて見たその数年前から、全く老けていない気がするのが不思議だった。もしかしたら自分が思うより若いのかもしれない。

いつも仕事場の自分の椅子にどっしりと座り、まるで立ち上がる気配すら見せないような男だった。

そのダーレンが今、シオンの住む家の戸口に汗にまみれ、息を切らして立っている。


「・・・ダーレン。あんたが直接来るとは、珍しく急ぎの用みたいだな。」

「ああ、シオン殿。このような夜分に誠に申し訳けございませんが、是非とも引き受けていただきたいお話がございまして、シュトー商会の命により、まかりこしました次第でございます。」

「入れよ。話は部屋で聞かせてもらう。―――2階の俺の部屋まで来てくれ。」

「有難く!」


シュトー商会は、ミエラの街で一番古くからある商人ギルドで、東地区に会館を持っていた。

いくつかある商人のギルドの中でも一番大きく、主に穀物などの作物を手がけている。

隣りの地区とは言え、その距離はかなりある。とてもダーレンに走りきれる道のりとは思えなかったが、やはり走ってきたのだろう。さっさと階段を登るシオンの後から、息を切らしたままのダーレンが足をもつれさせ、まろびつつ後を追って登っていった。


その日、日暮れより少し前、日没までにこの街に辿り着こうと馬車を急がせていた行商人が、もうすぐ森の出口という辺りでいきなり妖魔に襲われた。

シュトー商会からの使い(ダーレン)は、まるで自分が妖魔に出くわしでもしたように、先ほどまでは上気していたその顔を青ざめさせ、ぶるぶると震えながら、そうシオンに話した。

「近いな。」

ダーレンが怖がるもの無理は無い。

森の出口なら、街からは人の足でほぼ半時程度の距離だ。馬なら一駆けと言ったところか。

魔物がその気になりさえすれば、街中まで人間を狩りに来る事など容易いだろう。


なんでもその行商人は、利き腕を妖魔のカギ爪で裂かれながらも、命からがら、なんとか街まで辿り着いたらしい。

多分もともとそこが彼の目的地だったのだろう。くだんの行商人は、この街で最も大きな商人ギルドであるシュトー商会に助けを求めたのだった。


「・・・その行商人は、馬が食べられている隙を突き、藪伝いに逃げたとの事でして。荷物も何も、持ち出す暇など無かったそうなのでございます。」

なるほど、とうなずきながら、

「そりゃあ、命と荷物とじゃあ秤にすら掛けられないだろうよ。」

「確かにそうですね。でも街の門が閉まりきる前に辿りつけて、本当に不幸中の幸いでございましたなぁ。」


街では日没と共に街道に面した門を閉め、夜明けと共に開けるのが普通だ。確かに閉門までに逃げ込めて良かった。

それに馬が居なかったら、間違い無くその行商人が喰われていただろう。

それでも馬を馬車ごと倒して喰らう程の大きさの魔物に襲われて逃げ切るとは、並大抵の運では済まされない。

確かにその運の良さなら、街から街へと渡り歩き、時として珍しい品物を取り扱う行商と言う商売には向いているに違いない。

「―――それで?」

黒に、青を宿したようなシオンの瞳が、ランプの明かりで妖しく輝く。

その眼を向けられて、ダーレンは、妙にそわそわするような、あるいは気まずいような、不思議な気分を味わっていた。

「それで俺に急ぎの用と言うことは、他のハンターや冒険者が魔物に気付いて倒しに行く前に、安い金でも動くこの俺を先に行かせようという魂胆だろう?」

「い、いえ、そういう訳では・・・。」

「隠さなくてもいいんだぜ、ダーレン。シュトー商会の思惑なんざ、良くわかってるって。」

はあ、と答え、少し逡巡する風を見せていたが、隠しても無駄だと思ったのだろう。

ごくりと喉を鳴らすと、左様でございます、と小さくつぶやくように認めた。

このお方には隠し事は無理だったか、と、ダーレンはシオンをちらりと見やる。

いつ見てもシオンの眼の色は不思議だった。恐ろしいのとはまた違う意味での、ぞくりとした独特の感触が、背中を這うのだった。

思えば、初めて妾館に行った時でさえ、これほどの感情に支配された事は無かった。「男だぞ。」ダーレンは心の中でつぶやく。「シオン殿は男じゃないか。」

わかりきった事だが、とりあえず自分を落ち着かせる為にあえて己に言い聞かせた。


「まあ、その方は、以前より私共と取引がありまして。それにその魔物を放置していれば、他の旅人も襲わてしまいますし、何よりシュトー商会と取引関係にある他の方々が、また馬車ごと積荷を無くされでもしたら、私どもの商売もあがったりですからね。」

先ほど走ってきた時とはまた違う汗をかきつつ、ダーレンの口調は自然と速くなる。

「今回襲われた馬車に積まれていたのは、あの有名なトラス麦だったそうですよ。ああああ勿体無い。それで私共シュトー商会では、なんとしてもその魔物を退治して頂くべく、シオン殿のところへこうしてお願いに伺った訳でして。」

シオンは頷き、その青みがかった黒い瞳で、未だ汗の止まらない白い丸顔じっと見つめた。

ダーレンは思わず目を逸らした。

ふっ、と笑う気配がし、慌てて彷徨わせていたその眼を戻す。

「細かい話なんざ、結構だ。いくらだ?それから、魔物の数と特徴、それと出くわした場所を教えてもらおうか。」

ダーレンは慌てて「こちらでございます」と言いながら、懐から細く巻いた紙を2枚取り出し、傍らの小さなテーブルに乗せた。


シオンも、自分の眼が他人に及ぼす作用にはかなり以前から気が付いていた。

最初の頃は、その眼で見つめるだけで、相手がしどろもどろになるのが面白かった。

だが今は。

―――うんざりだ。クソ面白くもなんともねぇ。 

そう思っていた。

自分の眼を見てそわそわしだす人々に、何故だか自分だけが別もののような、疎外感を味わっていた。


シオンは小さなテーブルの上に置かれた地図と依頼書を開き、一瞥し、そして依頼書に示された魔物の退治料に、何の躊躇もなく首を縦に振った。

「いいぜ。確かに引き受けた。」

「ああ、有難うございます。これで安心してギルドへ報告に戻れます。」

シュトー商会からの使いの、白い丸い顔が、初めてぱっと明るく輝く。

シオンが断る事など無いとは思っていただろうが、やはり本人の口から聞くまでは安心できなかったに違いない。

ダーレンは、シオンの署名(サイン)を受け取ると、来た時の勢いそのままに、大慌てで戻っていったのだった。


シオンはハンターでもなければ冒険者でもなかった。

本来の仕事は、頼まれ事を請け負う、所謂「何でも屋」とでもいうようなもので、普段は道端の溝や煙突の掃除から、迷子の子猫の捜索まで、依頼が重ならない限りは断ることもせず、何でも引き受けていた。

そして今回のような魔物退治の依頼が持ち込まれるのも、実は珍しい事ではない。

何故ハンターや冒険者ではなく、何でも屋などに魔物退治のような危険な依頼がくるのか。


まず第一に、シオンがハンターギルドにその籍を置いている中堅どころのハンターや冒険者などにも引けをとらない程、戦闘能力に恵まれていたからだった。

一見して、偉丈夫でもなんでもない。

歳の頃は二十歳くらい。肩まで伸びた軽く癖のある黒い髪を、今は後で無造作に束ねている。光の加減で青い光を放つ黒い瞳が印象的だった。

およそ力仕事に向いているようには見えないくらいのごくありふれた中肉中背で、どちらかというと痩せぎみなせいか華奢な印象だったが、まだ誰も、彼が大怪我をして戻ってきた姿を見たものなど居なかった。


そして第二に、魔物退治をハンターギルドに頼むと、たいそう高額な金銭を要求されるからである。

ハンター達は依頼を受けると、通常2人から3人のパーティを組み、数日かけて目的の獲物を追うのが通例であった。

支払う金額は、かかった日数に人数を掛けたものとなる。

だから確実を期して上級ハンターを指名すれば、その雇い料は、よりいっそう高額になるのだった。

したがってハンターギルドに討伐依頼をした場合、春の収穫分が、また、数ヶ月分の労働と同等の金額が支払いの為に消える事など珍しくはなかった。


だが、何でも屋である彼の引き受け料は、ハンターギルドを通すより遥かに安価だったので、高額な金を支払う余裕を持たない者達や、今回のように身包み剥がされた被害者を抱え込まねばならないシュトー商会のように、はなから大金を支払う意思の無い者たちからの依頼は、結構多かった。

この引き受け料も勿論そうだ。

普通にハンターギルドを通していたら、この金額では駆け出し冒険者すら雇う事など出来ないだろう。

シオンは、昨夜提示された金額を、もう一度頭の中で反芻する。

せめてもの救いは、この依頼料があのシュトー商会の支払いだと言うことだ。

あれほど大きなギルドならば、取りはぐれる心配だけは無い筈だ。

「いくら安い請負料だとは言え、取りっぱぐれなんざ、ごめんだからな。」

そう口のなかでつぶやき、シオンは、昨晩脱ぎ捨てたままの服に手を伸ばした。


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