今日、ジャガイモのキッシュを食べる。
エッセイ風ショートストーリー。
学生時代からの友人にガンを告げられる。軽くて重い会話の中で私は友人を支えて行こうと思う。女同士だからわかる事。。
レストラン「アシジ」はランチの時間には少し早い為か空いていた。
窓際の席に案内される。私にとって特等席だ。窓際の席が好きなので。
メニューを見てすぐに「彩り野菜のトマト味パスタ」に決める。飲み物はアイスティ。
メニューで迷ったり吟味する事はめったにない。
食べる事は大事な楽しみの一つではあるが、
食べる事なんてたいしたした問題じゃない、、と言う気持ちがどこかにある。
「ユミは?」さっきからメニューのページを繰っている弓子に声をかける。
「う、、ん、朝食抜きだったから食べなくちゃって思うんだけど食べたいもののイメージがわかないんだ」
「チキンサラダは?さっぱりしていいんじゃない?」
「サラダは今ひとつでパスタもいまひとつだなぁ、、ここのおススメってなに?」
「キッシュよ。その日によって中身はイロイロだけど。この前はほうれん草とベーコンのキッシュだった」
「今日は、、ポテトにチーズ、、うん、いいかも。飲み物はアッサムの暖かいのにするわ」
飲み物が先に来るように注文する。
オフホワイトのお茶帽子をかぶせたティポットが運ばれて来る。
紅茶の飲み頃を知らせる砂時計が、サラサラと落ちるのを弓子はじっと見ている。
キッシュにはミニサラダが、
パスタにはガーリックトーストがセットで付いてきた。私達は黙って食べ始めた。
キッシュをひとくち食べた弓子は「おいしい!」と食いしん坊らしく笑顔を見せた。
弓子はここ数ヶ月、
食欲不振、倦怠感、異常な背部痛に悩まされ20年来のクリニックから総合病院を紹介され
そこから更に精密検査のため大学病院を紹介された。
そして今日、
大学病院でのすべての検査の結果が出たのだった。
検査の結果があまり思わしくない事は前もって、メールがあった。
悪性らしいとの事だった。
「食べられそう?」
「食べられると思う。ジャガイモも卵も好きなの。」
せっせと食べる弓子に比べて
「彩り野菜のトマトパスタ」はオリーブオイルが多過ぎて途中で嫌になった。
パスタを残してガーリックトーストを食べ始める。
少し焦げたニンニクが香りよく
トーストをきれいに食べる。それからバッグからお薬を出して昼の分を飲んだ。
「その薬、食間なの?」
「ううん、食後よ。忘れるといけないから食事中に思い出したらすぐに、飲む事にしてるの」
私は掌に載せた白い錠剤を指でつまんで一粒づつ口に入れる。
コップの水を飲み干す私を弓子はニヤニヤしながらみている。
「何わらってんの」
「だって、知らない人が見たら江里の方が重い病気に見えると思ったらおかしくて」
たしかにそうかもしれない。
私はさっきから咳き込んでいるし、やせているしお薬を飲んでいるし。
私はアレルギーがあって呼吸器が弱いのでしょっちゅう咳が出る。
咳でカロリーを消費する為か、小食ではないのに太らない。
キッシュを半分食べた辺りで弓子のフォークは止まった。
やはり、食欲がない様子だ。私の1.5 倍くらいは食べていたのに。
フォークでキッシュをつつきながら弓子はひとり言のように言った。
「私、これからどんどん痩せるみたいだから昔買って着られなくなった服も着られちゃうかなぁ
取ってあるのがあるんだ」
つとめてあっけらかんとした言い方をする弓子に何と返したら良いかわからず
俯いてしまう。どんどん痩せるって、、やはり結果は、、。
「カップの紅茶を見つめながら「最近、痩せた?」と、弓子が聞く。
「私?変わらないわ。弓子はもしかして少し痩せた?」
「うん、実は6キロも痩せたんだ」
「そうななの?」私は弓子の顔を見つめる。
「私、今まで65キロあったの」
「あら、62キロだって言ってたじゃない」
「ふふ、今だから言うけど66キロある時もあったのよ。で、6キロやせて59キロだけど、
あんまり変わらないわね。今でも服はLサイズ」
「そうなの、、私5キロやせたら動けなくなちゃうね」
私は現在41キロ。5キロやせた自分を想像する。
「さっき、メールにもちょっと書いたけれど、、。」
弓子はティポットからトポトポと
紅茶を注ぎながら話始める。少し改まって真面目な顔をしている。
私はアイスティを一口。それからストローで氷をかきぜながら弓子の話に耳を傾ける。
少しの沈黙。アイスティの氷の音だけが聞こえる。
「やっぱり膵臓ガンだったよ。ステージ3だって」
私はうんうんと頷きながら黙って聞いている。
「転移の可能性はまだ解らないみたい。肝臓と膵臓はもの言わぬ臓器って言うらしいよ。
だからかなり進行するまでわからないんだって。特に膵臓は無口なんだって。家のダンナみたいだよね」
二人はちょっと笑う。
弓子のダンナは無口で、半日くらい口を開かない事もままあるそうだ。
特に機嫌が悪いわけでもないのに同居人がいるのに半日も口をきかないって、私には
考えられないけれど。
「手術になるの?」
「うん、でもその前にもう少しガンのサイズを小さくしておきたいって先生が言うの」
「小さくなるの?」
「うん、膵ガンに効果の有る抗がん剤があるらしいの」
「入院するのね?」
「ううん、週1回の通院で点滴するんだって。1クール1ヶ月で様子を見ましょうって。
私はまだまだ元気だからね、入院しなくてもOK なんだって。、、
で、抗がん剤の効果が出てガンが小さくなったら、入院して手術して根こそぎやっつける、って予定」
「ふぅ〜ん」
私はただ聞くしか出来ない。
3年前に叔父が肺がんで手術したけど、手術の後に抗がん剤を使った記憶がある。
手術前に抗ガン剤って、、それだけでも弓子の症状が重い事がわかる。
「私に何か出来る事ある?」
「ありがと。今はないわ。まだピンときてないからかもしれないけど、そのうちメールとか
電話でグチャグチャ言うかもしれない。そんときはよろしく」
「わかった。いつでもメールも電話もOK だよ」
私が胸をポンポンと叩きながら言うと弓子はフフ、、と笑った後
「そうだ今日、私ね5年日記を買ったのよ。医師の話とか記録しておきたいし、
来年の今日、何をしていたか一目でわかるから」
「闘病日記になるのね」
「そうなるわね。今日から書き始めるわ」
「今日のお医者さんの話も書いておかないとね」
「うん、でもね、今日の書き出しは、、今日ジャガイモのキッシュを食べる、、だわ」
「今日、ジャガイモのキッシュを食べる、、いいね、良い書き出しだね。またここでランチしようね」
「そうね、今度はほうれん草とベーコンのキッシュにしたいな」
「じゃあ木曜日じゃないとね」
「うん、来月辺りの木曜日に」
私達は同時に立ち上がり、レジに進んでワリカンで支払いを済ませる。
店を出ると私と弓子は地下鉄とJR なので反対方向になる。
手を振って「じゃ、また、、」と、言いかけてふとよぎった事があって口を開くが
「あの、弓子、、」と、言いよどんでしまう。。
察しの良い弓子はのニコニコしながら「ステージ3の5年生存率でしょ?」
「わかるの?」
「先生の方から言ってくれたよ。膵ガンのステージ3の5年生存率は20%だって」
私は言葉が出なくて立ち止まってしまう。弓子はあっさりと「じゃ、またね。メールするから」
と、手を振って人混みに消えてしまった。
私はやっと弓子が5年日記を買った理由がわかった。
弓子との学生時代からの長い付き合いが頭の中を駆け巡る。
弓子、来年も再来年も、もちろん5年後もここでキッシュを食べようね。絶対に。
食べる事は大事だ。食べる事は大切だ。食べられる事は良い事だ。
私はちょっとだけ泣きそうになりながら駅に向かって歩き出した。
食べる事、友情、ガン、、ショートストーリーの割にテーマは重いかも。
でも、軽いタッチで読めるよう明るい仕上がりにしました。
実話に近い状況があって、書きました。。