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平民聖女は屈しない  作者: 伊織ライ


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第五話

視点が変わります

 隠し戸棚のギミックを起動した瞬間、かちりと背後で音が鳴る。咄嗟に身体を翻したもののヒュンと何かが風を切り、瞬く間に飛んできたそれは避ける間もなく己の脇腹を切り裂いた。


「──ぐっ……!」


 鋭い痛みに思わず奥歯を噛みしめた。

 この国の王族たちが軒並み能無しだったものだから、僅かな油断があったのかもしれない。何の苦労もせずこの禁書庫の鍵を手に入れることができ、ここで必要な情報を手に入れたらようやく自国へ帰れる算段がついたところだった。まさかこの部屋自体にトラップが仕掛けられていたとは──我ながら古典的な仕掛けにまんまと引っ掛かり、歯噛みする思いだ。

 だくだくと血を流す傷口を強く押さえて止血する。背後の壁に突き刺さっていたのは小型のスローイングナイフで、患部の状態からみて毒などは使われていなさそうなのは不幸中の幸いか。もしかすると仕掛けが作られた当時は毒も併用されていたのかもしれないが、おそらく今現在の王族たちもこのギミックを知らないのではないだろうか? まさに宝の持ち腐れである。


「……ま、おかげで必要な情報も手に入ったし、身体を張った甲斐はあったかな」


 治癒の力を使えるという聖女・聖人は何故か、この国にしか生まれない。これまでほとんど国交を開いていなかったこの国の者たちはそれを当たり前だと思っているようだけれど、他国からすれば彼らは攫ってでも手に入れたいほど貴重な人材なのである。

 当たり前すぎて大事にすることも忘れてしまったならば、貰っていっても構わないだろう。ちょうど今日は治癒の儀式とやらが行われる日のようだ。しばらく激しい動きは出来そうにないし、ついでに様子を見てから拠点に戻ることにしよう。



 歴史を感じさせる荘厳な佇まいの大神殿、その聖堂へ集う人々が列をなしている。ほとんどが簡素な身なりで平民だからか、入場時にチェック等はないようだ。念の為に用意した仮の身分証はあるけれど、使わないに越したことはない。

 

「──皆さま方の御心に、神の光が降り注ぎますよう」

「聖女様……!」

「相変わらず神々しいお姿だ……!」


 美しいステンドグラスから光が差し込む広い聖堂に入ると、金髪の女が跪いているところであった。真っ白の祭服にその長い髪がさらりと流れ、祝詞を紡ぐ凛とした声も良く響いて民の心を震わせる要因となっている。

 最前列には煌びやかな服を着たおそらく貴族の若者たちと、金回りの良さそうな一団は商家かどこかの子息だろう。目を輝かせて見つめる先には当然先ほどの聖女がおり、ちょうどこれが噂の儀式とやらであることが察せられた。

 まあ確かに宗教画に出て来そうな雰囲気の、ドラマチックさはあると思う。が、ただそれだけではないか? 芸術が盛んな自国では神話を基にした演劇なども盛んに公演されている。今目の前で繰り広げられている儀式は、まさにその劇中で演じられている一場面のように見えた。


「……あれが、筆頭聖女……?」


 一部猛烈な信者もいるようではあるが、聖女本人がさほどの力を持たない偶像ならば全く脅威にはならない。手に入れた資料に記述されていた筆頭聖女は、瀕死の者をも瞬時に癒し、まるで無限の兵力を生み出すかのような驚異的な力を操ったという。時代がそれほどの力を必要としなくなったということなのか、もしくは聖女によってその力に振れ幅があるのか。詳しい考察は資料をもう少し読み解いてからになるだろうが、眼前で聖女の姿を確認し、この国に対する優先度が一段下がったのは紛れもない事実だった。あの程度か、としか思えなかったのだから。


 未だ血の気が足りず重怠い身体を引きずり、無駄足だったかもしれないなとひとつため息を付く。ぼうっとする視界の隅、関係者用であろう奥の扉が静かに開閉するのが目に入った。するりと隙間を抜けて音を立てず現れたのは、使い込まれた祭服を身に纏った小柄な少女。くすんだ灰色の髪は、昔可愛がっていた猫とどことなく似ている気がする。人々がひしめく聖堂の中を足早に移動する様子もなんだか小動物の様で、不思議と視線が引き寄せられた。

 顔色が悪い中年の男の背後、ゼロゼロと嫌な咳をする幼い子供、杖を突いた腰の曲がった老人の側。少女がそんな人たちの側を通り抜けた後、彼らの顔色はほんの少しだけ明るくなっているように見える。本人たちは中央に立つ金髪の聖女に釘付けで気付いていないようだけれど、祈りのタイミングがずれていることからしてきっと金髪聖女の恩寵ではないはずだ。布で腕を吊った男の背後を少女が通り抜けた瞬間、男の眉間から皴が消える。妊婦の横を少女が通った直後、妊婦は表情を和らげて大きな腹を優しく撫でた。


 あれが、本物だ。

 短くない期間、他国に赴いて様々な情報を集める仕事についてきた自分の勘がそう告げている。不思議と心臓が高鳴り、自然と口角が上がった。

 己の直感に気持ちが高揚し、僅かに気が逸れたのだと思う。


「──っ」


 背後で小さく息をのむ音が聞こえた。傷に響かないよう首を振り背後を見れば、一瞬の間姿を見失っていた例の少女が立ちすくんでいて。

 近くで見るとあちこちが擦り切れて傷んだ祭服は少し大きいようで、微妙にサイズが合っていない。灰色の髪に、こちらを真っすぐ見つめる瞳はぱっちりとしたアーモンド形。長いまつげがひとつ瞬き、おずおずと一歩近付いてきた彼女の赤い唇がゆっくり開いた。


「あの……失礼ですが、お洋服にゴミが。少し触れてもよろしいですか?」

「あ、ああ。構わない」

「ありがとうございます。……では、失礼しますね」


 そっと伸ばされた手は小さく、水仕事でもしていたのか赤くなって荒れていた。


「はい、取れました。では、失礼しますね」


 すっと頭を下げると薄く微笑み、引き留める間もなく去っていく少女。その背中を視線で追うが、もう振り返ることもなく扉の奥に消えていってしまった。

 茫然とする中、ふと気づく。


「……痛みが治まっている」


 そこにもうひとつ心臓があるかのように、ドクドクと疼いていた患部。それが今は、すっかり落ち着いている。これが、聖女の力なのか。瀕死の者をも癒すという、無限の兵力を生み出すという、伝説の存在。


「こりゃ……凄いな……」


 聖女()()()で下がりかけた熱が、再び熱く燃え上がるのを感じた。

 

 そもそもこの国自体で言うと、立地や産業など総合的に見ても大した旨味はないのだ。けれども自国の皇帝が代替わりするタイミングで、念のためにと周辺国一帯の調査を命じられた。己の立場上しばらく国を離れた方が都合も良かったし、この仕事自体も嫌いではない。兄の力になれるのならば本望であるし、時折こうして大当たりを引くのだからやめられないよなと笑みが漏れてしまう。


「……土地はいらんが、あの子が手に入るならば安いものか?」


 こんな国、正直言って簡単に落とせる。が──正直言って面倒だ。欲しいのはひとりだけなのだし、わざわざ国を落とすよりは攫った方が手間が少ないかもしれない。

 先日母国の兄に送った報告書を、少々訂正する必要もありそうだ。


 楽しくなりそうな予感に、自然と口角が上がるのを自覚した。

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