第三話
「シャルロット! シャルロット、どこにいる! さっさと出てこい、一刻も早くだ!」
何やら表の方が騒がしいが、私は今日も今日とて洗濯に掃除に雑用にと忙しい。横からまた別の仕事を押し付けるつもりなのかもしれないけれど、だからと言ってその他の仕事が免除されるわけではないのだ。こなさねばならない作業はまだまだ山積みだし、用事があるならそちらの側から出向けばいい。どうせあの神官たちは聖女に媚を売るくらいしか仕事をしていないのだから。
「シャルロット! 見つけたぞ、なぜさっさと返事をしない! これだから愚図の平民は嫌なんだ。おい、さっさと身支度を整えて応接室へ向かえ。その汚い服を着替えてからな」
「──はぁ? 今日は儀式もないですよね。悪いですけど、まだ洗い物が残っているんですが」
「そんなものはどうだっていい! 殿下がお前をご所望なんだ!」
「どうだっていいって、でも他の誰も代わってくれな……殿下?」
殿下とは王族に対して使われる敬称であるが、この大神殿に顔を出すとしたらおそらく第二王子であろう。私のひとつ年上らしい第二王子は、先触れもなく時折こうしてふらりとやって来るのだ。そして六人いる聖女のうちの何人かと共に数時間お楽しみ遊ばして帰っていくのが常のはず。前回がアリシア様とレナ様だったから、今回はまた別の誰かを指名するのだろうとは思っていたけれど……。
「……まさかね……」
これまでにも、この神殿内で第二王子の姿を見かけたことはある。私が近くで洗濯をしていようが掃除をしていようが、お構いなしに聖女たちの尻を撫で回していた。平民などそれこそ物扱いか眼中にないのだと安心していたのに……!
「……私の手持ちの着替えで真っ白なものなど一着も残っていませんが」
「はぁ? ……チッ、仕方ない。予備のものを出してやるからさっさと付いて来い!」
いくら時間稼ぎをしたとて、永遠に逃げ回ることはできないだろう。私がここへ連れてこられてから、だいたい三年が経つ。なぜ今更目を付けられてしまったのかは分からないけれど、ひとまず最も防御力が高そうな下着を身につけることにしよう。
「──そなたが今代の筆頭聖女か? ……ふぅん、肌は焼けているし髪もぱさついて美しくないな……。顔付きはまぁ我慢できんでもないか。身体は少々細すぎるように見えるが……ふむ、抱けないこともない」
「…………」
対面するなり頭の先から足の先まで舐めるようにこちらを眺めてきた男は、サラサラの金髪に緑色の瞳をした細身の美男子だ。この国の王家に出る特有の色合いであると聞いた。まあ一般的には整った容姿なのだろうけれど、田舎育ちの私からすれば貧弱そうだとしか思えない。畑も耕せない、獣も狩れないでは生きていけない土地なのだ。
ぶつぶつと呟かれているのはうっかりこぼれ出た独り言なのかもしれないが、普通に気持ちが悪くて虫唾が走る。あくまでも自分が選ぶ側の存在であり、選ばれる側の意思など存在しているとも思っていないのだろう。
「ああ、直って良いぞ。自由な発言も許可する」
と言われても、この男が一体なんの目的で私を呼びつけたのかが分からない以上警戒せざるを得ない。自由な発言を許可されたとて、本当に思っていることをそのまま口にすれば確実に不敬罪とか言ってくるに違いないのだ。これが『大きくなったなぁ』などと笑いながら尻をペロンと撫で上げてくる近所のおじさんだったら、遠慮なく怒鳴りつけてやれたのに……。
しばしの間必死で脳を働かせ最適解を探していると、ふいに応接室の扉がバーンと開かれた。
「カルヴィン様……っ! どうして、どうしてわたくしをお呼びくださらないのです……っ!」
息を切らして駆け込んできたのは、第二王子とよく似た金髪を乱したアリシア様だ。もしかすると高位貴族出身の彼女にも王家の血が混ざっているのかもしれない。どうりで王子に好感を持てないはずだ。二人並ぶと、本当によく似た色味だったから。
「ああ、アリシア。そんなに慌ててどうしたんだい? 君らしくもない。心配しなくてもちゃんと順番に君の相手もするからね、良い子で待っていておくれよ」
パチリと飛ばされたウインクにアリシア様は頬を染め、一方私は腕の鳥肌をそっと擦った。なんだ、この茶番は。
「けれど……そこの女は平民ですわ! いくら筆頭聖女とはいえ、毎日下女の仕事をやっているような者にカルヴィン様のお相手など務まるわけがありません!」
「ああ、もちろん僕も同じ気持ちさ。できれば君のような高貴な姫を娶りたい、とね。けれど……悔しいことに、今の僕には力が足りないんだ。兄の婚約者は公爵令嬢だろう? そしてアリシア、君は侯爵家の出身だ。身分で公爵令嬢を上回る者は他にいない。となると、筆頭聖女を娶って神殿を味方に付けるくらいしかもう兄に勝つ方法はないと気付いてしまったんだよ」
「でもっ……! わたくしだって、聖女ですわ! 儀式の際もこの平民に代わり、聖女代表として祈りを捧げておりますし! 神殿の皆もわたくしが最も高貴な存在であると認めてくれているのですよ!」
「アリシア、君はそこまで僕の為に……ああ、嬉しいよ」
感極まった様子で熱く抱き合い始めた二人を私は一体どういう顔で見ていればいいのだろうか。まだ仕事は残っているのだから、後はもう勝手にやってくれないだろうか。家畜の交尾の方がまだ見ごたえがある。もしくは果樹の受粉の方が。
「アリシア、心配しなくてもよい。例えこの平民を娶ろうとも、僕の愛は枯れたりしないさ。この者はそうだな……僕専属の治癒師か召使いだと思いなさい。ああほらお前、この首の痕を治すんだ。ちょうどこの後父上にお会いする予定があるからな」
ようやく私の存在を思い出したらしい第二王子は、首元にくっきりと付いた鬱血痕を指さしてにやりと笑った。そのくらいならばお膝に乗せたままの腰掛け聖女だって治せると思うのだけれど。
「……いえ、聖女は与えられた力を勝手に使ってはならないと規則で決められておりますので」
「はぁ? それは、どういう……」
「ですから私に治させたいのであれば、儀式の日にいらしてくださいませ」
「なっ……! お前、僕は王族なんだぞ……!」
「神殿の規則では、身分による規定はございませんでした。申し訳ありませんが致しかねます。私が勝手な行いをすれば、治癒を求める民たちの中に混乱も起きましょうし」
かつては本当にそのような事件もあったらしいのだ。心優しき筆頭聖女様が所かまわず訪れた人たちに治癒を施した結果、順番を争って喧嘩が起きたとか。それが暴動に発展し、結局聖女様が治癒した人数よりも巻き込まれて怪我をした人の方が多くなっただとか。
今では形骸化しており誰も守っていない規則だし、別に真面目ぶって素直に決まりを守っているわけではない。ただこの場所に、私が力を振るって治してあげたいと思える相手がひとりもいなかったというだけだ。いらぬ文句を付けられぬよう、念のために教典を覚えたかつての私に拍手を送りたい。いつか逃げ出す時の為、何が役に立つか分からないと思い読み込んでおいて本当に良かった。睡眠時間を削ったあの日の労力が、今こうして確かに実を結んだのだし。
「──僕に、直接触れられる機会でもあるのだぞ……?」
「はぁ? きっしょ……」
我ながら気の利いた言い訳が出来たものだと満足していたところに意味の分からない言葉をかけられ、ついうっかり口から本音が漏れてしまった。高貴なお育ちの方には意味の分からない田舎言葉であったのが幸いだ。こほんとひとつ咳払いをして、背筋を伸ばす。
「殿下。聖女の力を求めて聖堂へやって来る者たちは皆、朝から行列を作って待っております。仰る通り平民が多いですが、貴族様方も同様に。流石に代わりの従者の方が並んでいらっしゃるようですけれど、例外とは言えませんでしょう。せっかく王城には専属の聖人様が控えているのですから、そちらに頼まれないのであれば、どうか大神殿の規則に則った行動を願います」
まあ言葉通り並ばれたとて、結局対応するのはそこのアリシア様を筆頭とした貴族聖女になるだろうけれど。
歯ぎしりしながらこちらを睨み付けている間に、さっさと貴女が治癒してやれば終わる話だと分からないのだろうか。王子様曰く、直接触れられる機会なのだそうだし。喜んでお譲りするが?
私が冷めた目で王子を見やれば、何故かどんどん彼の頬が赤らんでいく。
「──どうやらそなたを見くびっていたようだ。真摯かつ、誠実。そのような心持ちだからこそ、神はそなたのような者を筆頭聖女に選ばれたのかもしれぬな……!」
「んなっ……! カルヴィン様っ、騙されてはいけませんわ!」
「いいや、アリシア。僕は今まで間違っていたようだ。君のように高貴な令嬢ももちろん素晴らしいが、彼女のように平民でありながらも己の意志をしっかりと持った強い女性もまた美しいのだと。君への愛は永劫褪せることはないけれど、僕の持つ愛はどんどん増えていくものなのさ。だから安心しておいで、ここの聖女たちは皆まとめて溢れるほどに愛してあげるからね」
一応言っておくが、いまだにアリシア様は王子の膝に乗ったままである。ついでに貴族聖女たちが毎度毎度恥ずかしげもなく私に洗わせてくるあの汚れ物は、十中八九この王子が溢れさせた愛とやらであろう。そんな愛、いらない。洗濯が大変だから増やさないで欲しい。
私ったらまだ結婚前のうら若き十七歳の乙女なのに、夢も希望も枯れ果ててしまいそうだ。どうしてくれる。責任は取らなくてもいいけれど。
「……殿下の愛についてなど、下賤の身である私には分かりようもございませんけれど。私はアリシア様をはじめとする聖女様方のお邪魔をする気は毛頭ございませんので、どうぞこれまで通り下女か何かだと思ってお捨て置き頂ければと思います」
「ふふ……そういう謙虚なところも実に聖女らしくて素晴らしいね。ああ分かったよ、君の気持ちを手に入れるために僕も精一杯努力すると約束しよう」
ものわかり良い風に頷いた王子はにこりと微笑み、お膝聖女をそっと下ろして立ち上がる。全く言葉の通じない様子に私も説得を諦めてお帰りを見届けるべく腰を上げると、その長い御御足で一歩距離を詰めてきたこいつは勝手に私の手を取り、あろうことかその指先に口付けた。
「また会いにくるよ」
そのキラキラと輝く緑の瞳に、どれほど指を突き立ててやろうと思ったことか。妥協して、鼻の穴でもいい。不意を突いて膝蹴りもありだ。
「……ごきげんよう、殿下」
ちなみに私のご機嫌は最悪だ。汚れた指先は、服の太ももあたりに擦り付けて拭いた。




