第二話
「あら、貴女。まだ掃除が終わっていないの? 全くこれだから平民は愚図で嫌だわ……」
「アリシア様! この平民聖女には私どもから罰を与えておきますから、アリシア様は儀式の準備をお願いいたします」
「ええ、分かったわ。民に恩寵を与えるのもわたくしたち聖女の大事な仕事ですからね」
金の長い髪をばさりと翻し、聖女アリシアとその取り巻きたちは大きな靴音を立て歩き去っていった。現在この大神殿に勤める聖女は私を除いて六人、聖人は二人いる。その全てが貴族の出身であり、中でもこのアリシアが最も高位の家門出身らしい。私が平民でありながらあの玉をたいそう光らせて仮にも筆頭聖女に選ばれたことが気に入らないようで、事あるごとに嫌がらせをしてくるのだった。
「……私だって帰れるもんなら帰りたいっつーの」
彼女たちには、社交期になると王都に出てくる家族から面会の申請が来る。聖女になったからといって俗世を離れるわけではなく、数年務めたあとは元聖女のブランドを引っ提げてよりよい縁談を得て嫁いでいくらしい。普段から差し入れと称した物資や食料、衣服なども届いているし、おそらく神殿側に金銭も支払われているのだろう。おかげで神官たちも押しなべて貴族の腰掛け聖女たちの味方なのである。
対して私には、当然後ろ盾などない。あの日村に訪れた神官たちは、馬車に乗るのを嫌がる私の耳元で囁いた。言う通りにしないとお前の家族がどうなるか分からないぞ──と。『お姉ちゃんを返せ』と泣き叫ぶ弟妹を大声で怒鳴りつけ、私を奪還せんと駆け寄る父はメイスのような武器で殴打された。腕のいい狩人であった、あの体格の良い父がよろめく程に強く。
この大神殿での務めでは、多少の給金が支払われている。最低限の衣食住は保障されているから、貴族聖女のようにお茶だのお菓子だのアクセサリーだのに使うのでない限り使う用途のない金である。一応申請すれば休日に街へ出ることも許可されてはいるものの、周囲から雑用を押し付けられている私に休日という概念は存在していない。せめて私の生存だけでも伝わればいいと月々の給金は村の家族宛てに送って貰っているけれど、連絡が取れていない以上本当に届いているかは怪しいところだ。神官たちからも下に見られている私だから、この敷地から出る前に着服されている可能性さえある。
それでも、いつかは。大好きな家族たちは絶対に、私を待っていてくれるだろう。だから私はどんな仕打ちを受けても決して心折られることなく、皆と再会が叶うその日まで力を溜めていなければと思うのだ。
◇
「──全く、どうやったらこんなに汚せるんだか。お嬢様が聞いてあきれるわ」
裏庭の水場で行う洗濯は、本来ここに住む聖女・聖人たち皆の持ち回りで担当する仕事のはずだ。けれど私がここに連れてこられてからは基本的に私ひとりで行っている。どうしてもひとりでは洗えない大物なんかだと渋々下っ端神官が手を貸してくれることもあるけれど、それだってごく稀な事。支給されている聖女用の服はどれも真っ白で、少しでも汚れが残っていると大変に目立つ。実際私の服など掃除や日々の雑務で落としきれない汚れが溜まってしまっているくらいだ。
でも、逆に言えばそんな雑務を私に押し付けている貴族聖女たちは服を汚す作業などほとんどないはずなのに。
「これはアリシア様と……レナ様か。脚を見せるのがはしたなくて、こんな汚れた服を他人に洗わせるのは恥ずかしく思わないのかしら。お貴族様の感性って本当に分からない」
私はここに攫われてくるまでの十四年間余り、あの村で育ってきた正真正銘の平民だ。貴族の教育がどうかはしらないけれど、友人の中には既に結婚した者もいたし、夫婦のあれこれだってわりと明け透けに噂されるのが普通であった。なにせこの王都と違い、田舎の村では娯楽施設など存在していないのである。そんな中、若者たちが楽しめることと言ったら……まあ、そういうことになるだろう。かくいう私はそんな機会もないまま連れ去られ、もう三年も経ってしまったのだけれど。
だから、貴族聖女たちが私に押し付けてくる服や寝具についた汚れが一体どういうものなのかだって見れば分かる。この国において令嬢の処女性がどう扱われているのかはよく知らないけれど、恥じらいもせずこんなものを他人に始末させる時点で碌なものではないなとしか思えなかった。
平民だから卑しい、下賤の身で穢れているから聖女に相応しくないなど散々罵られているけれど、どの口が言うのかと少し笑えてしまう。だって貴族聖女全員がそうなのだ。まあ彼女たちから見たら、私など同じ人間にも見えていないのかもしれないけれど。物だと思えば、恥もなにも感じないのかもしれない。
「──シャルロット! いつまでそんなところでダラダラしているんだ、もう儀式は始まっているんだぞ! さっさと来ないか!」
私を怒鳴りつけるのは、下位貴族出身の神官だ。こいつは私が来るまで最も身分が低かったようで、嫌がらせの頻度が減ったのがさぞ嬉しいらしい。身分の高い人たちの前ではへこへこと頭を下げて媚を売っているようだけれど、私には殊更きつく当たる節がある。機嫌が悪いと結構本気で殴られることもあるし、要注意の人物だ。まあ動き自体は鈍くさいので、野猿のように活発だった弟妹と比べれば亀みたいなものだ。背後からの不意打ちを喰らわないようにだけ気を付ければいい。
「はい、ただいま参ります」
洗濯をしなければ怒鳴りつけるくせに、同時に行われている儀式に遅れても怒られるというのはどういう了見なのだろう。筆頭聖女ともなれば、分身の術まで使いこなせるようになるとでも思っているのだろうか。
この儀式というのは治癒の力を欲する人々が月に一度聖堂へ集まり、僅かな寄進を受けて聖女・聖人たちが施しをする会のことだ。
基本的に平民はあまり聖女の治癒を当てにしていない。日常の怪我や病気なら町の医師や薬師が見てくれるからだ。ただそれでは治りきらなかった重病や治療法の分かっていない不調などの際、神頼み的に聖女のもとへ向かう印象だろうか。
確かに、治癒の力は万能ではない。一日に癒せる人数もさほど多くないし、使うこちらの身もなかなか疲れるものなのだ。腰掛け聖女たちなど最たるもので、指先の切り傷を五人も癒せばふらりと身体をよろめかせたりしている。本当に力を使ったせいなのか、もしくはもう使いたくないからそう見せているのかは分からないけれど。
しかし、私は仮にも今代の筆頭聖女だ。癒せる人数も桁違いに多ければ、そのスピードや練度も別物といっていい。思うに、村にいる頃からちょくちょく家族に向けて使っていたせいもあるのではないだろうか。使えば使うほど治りが早くなっていたし、私自身が疲れを感じることも減っていったからだ。
治そうと思えば、聖堂へ集まる全ての人に力を振るうことも可能ではある。けれどそれが本当に良いことなのかどうかが分からないから、私はそうしていない。永遠にこの大神殿に捕らわれて暮らす気はないし、いつか私がいなくなった後に期待していた施しを受けられなかったら不満に思われてしまうかもしれないからだ。そんなことになるくらいなら、聖女は単なる象徴であるくらいで良いのだと思う。普段から己の健康に気を配り、薬師に相談しながら調子を崩さない生活を送って欲しい。
時々気が向いた時にでも見目麗しい聖女たちの優し気な微笑みを受け、ああ有難いものを見たねと満足して帰ってくれたらそれだけで十分なのだ。
そしてそのような象徴的役割を好んで引き受けている聖女がいる。件のアリシア様だ。金髪碧眼で美しい容貌に白い肌、細身の体に儚げな姿はまさに皆が思い浮かべる正統派聖女様といった雰囲気がある。中身は全然聖女様ではないのだけれど、まあ今はとりあえず置いておくとしよう。
「──皆さま方の御心に、神の光が降り注ぎますよう」
「ああ、聖女様!」
「なんてありがたい……!」
ステンドグラスから差し込む太陽の光が効果的に自分を引き立てるベストなポイントで、アリシア様が膝を突き祈りを捧げる。最前列に並ぶのは彼女の熱心なファンである貴族の令息たちと、裕福な商家の子息たちだ。
しばしの祈りを終え、アリシア様とその取り巻き達は静々と別室へ去っていった。必要があれば多少の治癒を施すのだろうし、あとはまあ献金でも受けるのだろう。いつものことだ。
後に残された平民たちのうち、本当に治癒を必要とする人たちへさっさと力を使う。もはやパフォーマンスは済んでいるのだし、ここから私がでかい顔をする必要もない。小汚い格好をした平民聖女になんて彼らも大した興味を示さないし、私にはまだこなさねばならない掃除が山ほど残っているのだ。ましてやここで目立ってしまったら、筆頭聖女プレイを楽しんでいるアリシア様からまた余計な目を付けられてしまう。いくらこの場でありがたがられたって、私の境遇が改善されるわけではない。腐っていない食事でも差し入れてくれるならそこそこ気合を入れて力を使うかもしれないけれど、儀式で聖女宛ての個人的な寄進は禁止されているのだ。あの別室ではどうか知らないけれど、私に関しては神官たちの見張りにより一切の物資を受け取ることは許されていない。
残念ながら私は、困っている人がいるなら身を切ってでも助けたいなどと言うようなお綺麗な心の持ち主ではない。今更やる気など出るわけがないのであった。




