第4話 魔球ギャンブルナックル
球を受けてくれるガタイのいいお兄さんがマスクを外しながらこちらに駆け寄ってくる。この人も元プロ選手の方で、我が古女房の田中弟とは大違いの貫禄だ。やっぱキャッチャーってさ、どこに投げても止めてくれそうな大きい人の方が投げやすいよね。完全な偏見だけど。
「初めましてお嬢ちゃん。俺は佐藤な。この距離のマウンド初めてだろ? 届くか?」
ガタイの良い兄ちゃん改め佐藤選手はそう尋ねてくる。失礼な、と言いたいけどまぁ僕も前世の常識で考えれば小6の女の子に大人用のマウンドから投げろなんて言う方が非常識だって思ったろうし、これは当然の反応だろう。我慢我慢。
「大丈夫です。練習はしてますんで」
そう返答すると、佐藤選手は「お、分かった」とカラッとした笑顔を見せた。ううん、イケメン。思わずファンになってしまいそうだが、いかんいかんと意識を切り替える。マウンドの上に立つ以上、主役は僕だ。容易く食われるようじゃぁ甲子園なんて夢のまた夢である。
「リトルなら直球だけか?」
「いえ、色々投げられますよ。ただ肘に負担をかけたくないんで直球とストレートとシュートとカットボールとチェンジアップとナックルですかね」
「多い多い。直球とストレートってなんやねん。いや、え、君の手でナックル投げられるん? 君どっち利き?」
「両利きなんでどっちでも全部投げられます!」
「いきなり倍に増えたぞ???」
「サイドもアンダーも行けますよ」
「6倍になったわ」
頭の上にハテナマークを浮かべる佐藤選手と必要な会話を交わし、とりあえずのサインを決める。「どっちの腕で投げるなんてサイン初めて作ったわ」と笑う佐藤選手にキャッチャーは皆同じ事を言うんだな、と思いつつ、僕はマウンドの上でボールを握る。
ここまで来ていてなんだが、多分僕の合格はもう決定したと考えて良いだろう。話してみてわかったが、チームの監督さんや選手たちからは、心の底から野球を楽しもう、楽しませようみたいな考え方が透けて見える気がしたからだ。ここまでエンタメ重視で野球を捉える考え方に初めて触れたから、正直新鮮な気分だ。野球一筋の人間とはいっぱい関わってきたけど、同じ球技にたいしてここまで違う接し方もあるんだね。
そんな監督さんたちからしてみれば、僕みたいなちょっとだけ変な所のある野球少女はきっと面白いと思える対象なんだろうな。そのうえ特別可愛いと来ている。これはもうね、勝負は決まったようなもんでしょ、と僕は思う訳です。
――だからね、女神様。そのガラガラはしまいなさい。ここで変な事したら折角の機会がなくなっちゃうでしょ!
【ダメ?】
――ダメです。
そんな気の抜けるやり取りを密かに行いながら、僕は佐藤選手が出したサインに首を縦に振る。右腕でオーバースロー、外角低めに目いっぱいの直球。あれだけ渡した選択肢の中から、もっとも力強い一投を命じてくるとはね。好きだぜ、そういうの。
でも、僕の真っすぐはストレートじゃないんだぜ。初見で取れるかな?
投じられた一球は狙いたがわずに外角低め目いっぱいに突き刺さる。受けた佐藤選手の眼の色が変わった。落ちなかったからね。僕の直球は普通のストレートと違って、ほぼ落ちずにキャッチャーミットまで飛んでいくんだ。普通のストレートのつもりで取ろうとしたら冷や汗かく羽目になるんだよね。
その事を一球で悟ったのか、佐藤選手は次は左投で、同じく外角低めのストレートを要求してきた。さっきとは真逆の場所に、ほぼ同じ速度今度はちょっと落ちるストレートが突き刺さる。投球フォームもほぼ同じ。傍から見ている人には鏡越しに投げているようにしか見えないんじゃないかな?
僕の一挙手一投足に周囲の見物人たちがざわめくのが心地いい。これこそがピッチャーの。マウンドの王様が一番気持ちいい瞬間だ。
それでまだ直球? 僕の持ち味はそれだけじゃないよ。そう視線に意思を込めると、佐藤選手がマスク越しに笑っているのが見えた。サインは右腕。コースはど真ん中で球種はナックル。最初に要求する変化球がそれかよ。いいね。とってもいい。
瞳に炎を宿し、振り被る。ナックル。女神さまが僕に投げさせる球とは違うが、魔球と呼ばれる変化球だ。ようは出来る限りボールの回転を無くして投げ、風の変化で不規則な変化を起こす変化球なんだけど、投げた投手もどう変化するか分からないんだよね。風次第でめちゃめちゃ動いたり棒球になったりするから一種のギャンブルみたいになっちゃう。
そしてこの球、どれだけ回転を削って投げられるかがキモだから球速とかも関係なし。ひたすら無回転でキャッチャーミットまで投げ込めばOKって球だ。ただ、普通に考えて投げようとすると絶対に回転が起きちゃうから、ナックルを投げる際には指先でボールを押し出すように投げる必要がある。この指先のコントロールが難しい! ちょっとミスればただの棒球になっちゃうからね。
――というわけで女神様。いま大事なところなんで! ガラガラはしまいなさいって!
【ちょっとだけ! 先っちょだけだから!】
――そのセリフ吐いて先っちょだけで済ませる奴ぁ居ねぇよ! あ、ちょ、こら!
周囲の人から僕が注目されているからか魔球と呼ばれるナックルを投げようとしているからか。指からボールが離れるまでの数瞬の間、僕と女神様は熾烈な争いを繰り広げ、そして僕の敗北でその争いは幕を閉じた。指先のコントロールどころじゃなかった僕の手から放られたボールは全然無回転じゃないのに気持ち悪い軌道でミットに飛んでいき、バッターの目の前でいきなり分身する。
「は?」
僕の魔球を見た人が大体する反応をしたブーさんと佐藤選手は分身した球の中の本物を見分けることが出来ず、見逃したボールがガツンとプロテクターでにぶち当たる。そして佐藤選手は続けざまにガツガツガツと全身をボールが強かに打った。さながら至近距離で散弾銃が撃ち込まれたというべきだろうか。分身した他のボールまで実体もってんじゃねーか!
全身を硬球で滅多打ちされた佐藤選手がうつぶせに倒れ伏し、周囲の見物客がその一球に静まり返る中。空のかなたから上機嫌な女神さまの声が耳にガンガンと鳴り響く。
【ほら、ナックル! ナックルですよただの!】
――あんな変な回転して分裂する球はナックルじゃないんだよなぁ!!
やっぱりこの女神さまが甲子園出場最大の壁なんじゃないだろうか。騒然とする周りの空気を鑑みて、僕は改めてそう確信する。
ボールを受けそこなった佐藤選手は暫くうつぶせに倒れていたが、やおら立ち上がるとマスクを外してこちらに歩いてくる。良かった、ほとんどダメージはないみたいだ。そしてその表情は――なんかすっごい釈然としないって顔してるな。百面相みたい。
「お嬢ちゃん。今の絶対ナックルじゃないよな?」
「ナックルです(震え声)」
【あ、認めましたね! ナックルですよナックル! 魔球分身ナックル! 相手は死ぬ!】
――分身はいらないしキャッチャー殺してどうすんだよぉ!
揚げ足を取りに来る女神さまと心の中でバトりながら佐藤選手の追及を「ナックルです」だけで返す。ほら、どういう変化するか僕にも分からないからさ。言われてもその、困るって言うか。ダメ?
佐藤選手も別に僕を責めるとかそういう事がしたいんじゃなく、たった今目にした良く分からないボールがなんだったのかを知りたいみたいなんだけど、むしろ僕の方が聞きたいから応えることが出来ない。いっそ分身魔球って言ってみるか?
【!(シュババババッ)】
――座っててください
いや再現性なさすぎだし言ったらめちゃめちゃ面倒くさいことになるだろうからやっぱ言えないや。どうしたもんかと悩んでいると、僕と佐藤選手のやり取りを眺めていた監督さんがのほほんとした声で言った。
「今のは魔球だ。魔球姫だ」
流石は芸人さんというべきか。それほど大きな声で言ったわけでもないだろうに、その一言ははっきりとこの場の見物客の耳に届き。あちらこちらで「魔球か」「確かにあれは」と納得するようなつぶやきが聞こえてくる。
「今の、また投げれる?」
「ナックルなんで同じ変化になるかは分かりません(強弁)」
「じゃあギャンブルだな。うん、魔球ギャンブルナックル! 面白いんじゃないかな!」
監督さんに尋ねられたために嘘偽りなくそう応えると、監督さんはのほほんとした声のまま笑い始めた。
「キミ、ごーかくね。北埼玉デッドボールにようこそ。ええと、お名前は?」
「あ、すみません! ハラキリトルの権藤あまねです!」
「うん、権藤あまねちゃん。僕は坂本金太郎です。これからよろしくね」
僕の言葉に笑顔のまま頷いて、監督さんは僕の頭を撫でた。
こうして入団トライアウトは最高の結果で終わり、僕の社会人野球生活はこの瞬間からスタートする。ま、まぁ途中でトラブルもあったけどなんとかなったからとにかくヨシ! 田中兄弟に大人になったぜって自慢しないとね!




