第142話 甲子園決勝 浪速通天閣大付属⑤
雑賀一さん。一番最初に出会ったのは僕が小学校6年生で初めて選抜に出た時だった。雑賀さんは当時から全国でも名の知れたピッチャーで、その時の僕は雑賀さんからヒットを打てたけどホームランを打つことは出来なかったなぁ。次の対戦の時はホームランボールをグローブで叩き落とされて負けちゃったし。
うん、そうだね。僕、一さんからホームランを打ったことがないんだ。
これの理由はもう分かってる。僕のホームラン狙いのねじ巻き打法と一さんのランダムストレートはすっごく相性が悪いんだよね。僕の打撃の最大の強みは相手の握りが見えるくらいの動体視力だから、どこにどういうボールが来るか分かっていて、だからこそねじ巻き打法なんて思い切り体を捻じった打ち方が出来る。でもランダムストレートの場合、僕の読みが通用しないから結果として凡打になる可能性が高いんだ。
ある意味久留米さんよりも相性が悪いかもしれない相手。それが僕にとっての一さんで、だからこそセオリーに従うならどこでも打法でヒットを狙うべきなんだけども。
「でもまぁ、ここで逃げたら流石にダサすぎるよね」
あんだけ網走くんと久留米さんを煽った僕がシングルで出塁してアンジー任せなんてできない。やったら恥ずかしくて二人の前に顔を出せないレベルでダサすぎる。でもチームの勝利を願うなら塁を埋めるべき。でも流石の雑賀さんでもこの場面でアンジーと勝負してくれるかはちょっと怪しいかな。でもでも!
頭の中をぐるぐると考えがよぎり、そして僕は網走くんを見る。うん。打つっきゃない。ここでホームランを狙わなかったら、そんなの網走くんのライバルである権藤あまねじゃないよね。打てなかったら……その時は、ごめんなさいしよう。
バッターボックスに立つ。大きく息を吸って、吐き出し。「オナッシャアアス!」と声を張り上げて球審とキャッチャーに頭を下げる。そして、視線を雑賀一さんに向ける。雑賀さんはちらっとセンターの網走くんを振り返った後、むすっとした表情で僕を見る。
あれ、なんだかご機嫌斜めっぽい。まぁ、そうだね。今から勝負をする相手が別の人をみてたらそうもなるかな。うん、これは僕が失礼だったね。だから、うん。バットを持ち上げ、先っぽをバックスクリーンに向ける。これが僕の決意表明です。受け取ってください、雑賀さん。
途端に球場内が爆発するように沸き立つ。過去に予告ホームランをしたのはオリンピックで、相手はレイチェルだったかな。あの時は互いに予告ホームランと予告三振をして失敗して盛大に恥をかいて盛大に怒られたけど、まぁそれはそれ。バッターがピッチャーに対して行う最強の宣戦布告なんだからさ。ちょっとだけ、大目に見てほしい。
僕のこの行動に虚を突かれたように一さんは呆けて、そしてすぐに笑い始めた。お、今日の一さんからの初笑いゲットじゃないかな。これは幸先良いね。
一しきり笑った後、雑賀さんは先ほどまでの仏頂面が嘘のような晴れやかな笑顔で、僕に向かって鷲掴みにしたボールを見せてくる。ランダムストレートを投げるぞと、彼は無言で僕に向かって叫んだ。互いに宣戦布告が終わった。じゃあ次にやる事は、ただ一つ。
「勝負」
小さく呟いて、視界の端にギリギリピッチャーが見えるまでに体を捻じ曲げる。ねじ巻き打法。僕の柔らかい体と動体視力があるからこそ成立する狂気の打法で、彼の投球を見る。その全てを余すところなくこの目で捉える。
雑賀さんのランダムストレートの肝は指先だ。全ての運動エネルギーを手のひらから指先に、そしてボールに伝わる瞬間伝わる回転が毎回ぐちゃぐちゃだから手元でランダムな変化をする要因となっている。この握りなんか関係ないっていうスタイルは僕としてはマジかよどうすりゃいいんだって感じなんだけど、対抗策自体は考えていた。
ボールだ。投げられた後のボールの回転を見極めることが出来れば、おおむねどこにどういう風に変化するかが読めると踏んだのだ。もちろん僕の動体視力をもってしても140後半で飛んでくるボールの回転を見極めるのは困難だ。でも、それをやらなければ確実な勝利はつかめない。2年前のように上下左右4択を運任せにフルスイングなんてこの場面では出来ないし、それじゃあなんの進歩もしてないって事だからね。
投じられた1球目をじぃっと観察する。目に全神経を集中させると、灰色の世界に入った時のように世界がゆっくりと止まったかのような錯覚を受ける。違いがあるとすれば色があって、ゆっくりと前に進むって事だけだろうか。
そのままボールがミットに納まるまで凝視していると、ボールをキャッチした多田野さんが僕にぎょっとしたような視線を向ける。あれ、もしかして僕の美貌が横目に入って今更ながらキンチョーしちゃったとかかな? ふんすふんす。
「お、おいネコ娘。お前鼻血でてんぞ!?」
「へ、………うわぁ」
言われて手を鼻元に持っていくと、お気に入りの白いバッティンググローブに血が付着してしまっている。慌ててタイムを取るとベンチからトロ子ちゃんがどすどすと足音を立ててティッシュを持ってきた。
「どしたんー急に出たぞー」
「いやー。集中しすぎたみたい」
「あー。鼻にティッシュ詰めて深呼吸しろー」
「うん。あんがと」
「あと予告なんざ二度とするなっつったよな」
「ひゃい。ごめんなひゃい」
割とガチ目な表情で心配してくるトロ子ちゃんに心の中をあったかくさせてもらいながら返答すると、トロ子ちゃんは僕の顔と胸元をティッシュで拭いてくれた。集中による鼻血はストレスと興奮のダブルパンチに鼻の血管が耐えられないだけだからね。まぁ、この打席が終わったらすぐ止まるでしょ。
それから、別れ際に僕の肩をポンと叩いたトロ子ちゃんは「私が多田野さんならー次は内角高めになげるー」とだけ言ってベンチに戻って行った。うん。僕もそうかなーって思ってたけど同じキャッチャーのトロ子ちゃんがそういうなら、かなり確度が高くなった気がするね。
なら、信じる。コースは内角高め。後は、どう変化するかただそれだけを見極めればいい。鼻にティッシュを詰めたまま、バッターボックスに立つ。相手に背番号が見えるくらいに背中を捻じり、ギリギリ相手のピッチャーが見えるくらいの角度で雑賀さんの投球を待っていると、雑賀さんはまた小さく笑って振り被った。
投じられたボールを肘と腕の振りから凡そのコースを割り出す。内角高めが高確率。コースはドンピシャ。指先から離れたボールは、バックスピンがかけられた直球に見える……違う。若干、右回転が加わってる!
カットボールに近い動きを予測して僕のバットが始動する。約0.4秒でホームベースに到達する直球を捉えるために動き出した僕のバットと雑賀さんの投げた白球はホームベース直上で衝突。若干スライドした直球を真芯でとらえた僕のバットは、その運動エネルギーの全てを白球に伝える。このインパクトの瞬間、僕は手首を返して、ボールに強い回転を加えてバットを振り抜いた。
「ぐわら!!」
遅れて、僕の口から叫び声が上がる。ほとんど無意識に普段は叫んでいる打撃の際の言霊を、僕の身体は極限の集中状態でも覚えていたのだ。ガッキィンと金属音が鳴り響き、白球が空を飛んでいく。
そしてスローになったかのような世界が終わる。僕と雑賀さんとボールとバットしかなかった世界の中に、唐突に他の音や人が割り込んできた。ドバっと耳を打つ満員の歓声。敵味方に分かれた応援。何故か流れてる僕のダークなサイドに落ちたお父さんっぽいテーマソング。それチャンステーマじゃなかったっけ?
白球の行方を目で追いながら、僕はゆっくりとバットを地面に置く。確信歩きじゃないよ。めっちゃめちゃ疲れたからちょっと休んでるだけ。それに、あの手ごたえならまぁ問題ないだろうしね。あ、そういう理由だとやっぱり確信歩きに見えるか。良くないな、ダッシュしよっと。
視線は白球を追いながらも1塁目指して走り始めると、1塁コーチャーに立つ先輩が「ゆっくりでいいぞ! 鼻血! 鼻血!」と大きな声で叫んでくる。あ、そうか僕鼻血出してたっけ。って走った衝撃でティッシュ落としちゃってるじゃん。やば、おさえないと。
1塁の上でコーチャーの先輩とあたふたしていると、球場内の歓声が更に大きくなる。ん、入ったのかな? と思ってスタンド側を見ると、バックスクリーンのスコアボードの一部。5回表の部分の0が無くなってしまっている。あれ、どうしたんだろ。故障かな? と思っていると、1塁コーチャーの先輩から「ホームランだよ!」と言われた。あ、そっか。それなら鼻をつまんでさっさと走っちゃおうっと。
塁審さんから「大丈夫?」と聞かれたので問題ないとフガフガ言いながらダイヤモンドを回ると、ショートに居た雑賀二さんから「脱帽です」とお褒めの言葉を頂いた。ふふん、これで国内最強ショートの座も僕が頂くことになっちゃったかな。ふんすふんすしながらホームベースに到着。
「おらーホームランバッターのおかえりだぞー!」
「このバカ! ティッシュ! このバカ!」
「意味わかんね。あすみちゃん、言語野取っ払っちゃったの?」
言葉を失ってしまった悲しきのっぽ女と遊んでると、トロ子ちゃんが再びティッシュを持ってきてくれた。あ、あとはワセリンとそれを塗る綿棒があると嬉しいかな。鼻の止血に効果があるらしいからね。多分救護室にあるんじゃないかな。
「おい、お前。やりやがったなお前」
「うーっす。同点弾やっちゃいました」
「ちっげーよ! アレ見ろアレ! スコアボードぶっ壊した奴なんて初めて見たぞおい!!」
沸き立つベンチの中でもとりわけ大喜びなのは星監督だ。星監督はメジャー行く前はこの甲子園をホームにしてた球団に所属してたからか、この球場に色々愛着があるみたい。でもスコアボードぶっ壊されて喜ぶってのはあんまり意味わからないよね。そういう性癖なのかな。ちょっと距離おいとかないと。
僕にホームランをぶっ放された雑賀さんは、僕がぶっ壊したらしいバックスクリーンのスコアボードから視線をそらさず、くつくつって感じで笑ってるみたい。まぁ、あそこまでぶっ飛ばされたら投手としては笑うっきゃないよね。同じ投手だから分かるよ、うんうん。
ともあれこの勝負は僕の勝ちって事でVサインを雑賀さんに向けると、雑賀さんはそれに気づいたのかまたぷはって感じで噴出して僕に向かって帽子を脱いでぺこりと頭を下げた。これが本当の脱帽って奴かな? この場面で上手い事ジェスチャーしてくるなんて、雑賀さんも大分大阪に染まってるみたいだね。うんうん、エンタメが理解できる野球選手が増えることは良いことだよ。雑賀さんは多分プロ行くだろうしそっちでもその調子で頑張って野球界を盛り上げてほしいよね!




