第117話 女子柔道皇杯 決勝
「うどりゃああああ!!」
「うわわわ」
決勝戦の対戦相手にぶん投げられた僕は、その勢いに乗って畳を蹴りふわりと空中を舞い、そのまま相手の投げの力を利用して姿勢を入れ替え足から着地する。あっぶなかった! 今の完全に腕の力だけでぶん投げられたんだけど僕、もしかして人じゃなくて熊と取っ組み合いしてんのかな!?
「お前、今失礼な事考えたろ!?」
「ひーん! 考えてませーん!」
横えりに飛んできた腕を逸らしながら、僕は対戦相手――一ノ瀬選手の言葉に返事をする。あすみちゃんの身長にトロ子ちゃんのガタイを兼ね備えた――いや、もう女版ルイと思った方がぴったり来る外見の一ノ瀬選手だけど、なんと年齢は僕より一つ上の高校二年生。対戦前に所属は浪速通天閣大付属って言われた時は思わず「えっ!?」とか言っちゃったもん。そこって網走くんが進学した学校だから知ってたんだよね。
「うがあああぁぁ! 勝つ! 私は、勝つんだぁ!」
そんな花も恥じらうJKである一ノ瀬選手は雄たけびを上げながら、丸太のような腕で僕に掴みかかってくる。こ、これまでの対戦相手より技術的なあれこれは少ないけど、勢いが凄い。ほんとーに凄い。僕はここまで、相手の動きに合わせてその起こりを潰してバランスを崩してぶん投げる、いわゆる“後の先”戦法でここまで勝ち上がってきたんだけど、それが彼女には通用しないのだ。
いや、速度も反射も僕の方が速いから、一ノ瀬選手の行動に合わせて先回りして技を仕掛けるってのは出来るんだけどね。崩そうにも、その崩す先が岩みたいに頑強なのが問題なんだ。僕自身の技術不足を鑑みても、一ノ瀬選手は強い。ほんとーに、強い!
「強い相手だと、やっぱ楽しいよねぇ!」
「しゃあああ!」
激流のような猛攻を相手の勢いを利用していなし、逆に攻める。僕だけの力じゃ足りないなら一ノ瀬選手の力も利用すれば良い。一ノ瀬選手が僕をぶん投げる瞬間、更に僕が飛び上がる事で加速。一ノ瀬選手が投げて背中から落とすより先に足から着地し、その勢いのままに自身の背負いへと移る。曲芸みたいな技だけど、だからこそ意表を付けたのだろう。先ほどまで岩のように硬かった一ノ瀬選手の足が、今、地面から切り離された、その瞬間。
「まいねーちゃん! まけないで!」
グイっと彼女を持ち上げた僕の耳に。そしておそらく一ノ瀬選手の耳に、その声が飛び込んできた。
『私たちは今、凄いものを目にしている! 公式戦はこの大会が初出場の白帯が、今! 栄えある皇杯で栄冠に手を届かせようとしている! 一ノ瀬の猛攻を警戒に捌きます権藤! まるで彼女だけ流れる時間が違うかのように余裕の表情です! 一ノ瀬の投げが! ああ! 違う違う回った回った権藤だいや権藤が回って! 落ちたぁ! 一ノ瀬が権藤を捉えたぁ! 完全に決まっているぞ! これは決まった文句なし!』
一瞬の油断。それとしか言えなかった。飛び込んできた女の子の声と、必死に声援を向ける姿に、ほんとーにコンマ一瞬僕の中に空白が出来た。そこを、一ノ瀬選手は見逃さなかった。僕の足に自分の足を絡ませ、背負いを不発に追い込むとそのまま寝技に持ち込み、勝負あり。僕は寝技出来ないからね。そのまま決められちゃったよ。
あー。油断した。最後の最後でもー。開始線に戻って、まだ夢見心地のような表情の一ノ瀬選手と向き合って礼。その瞬間、優勝した事を自覚したのか一ノ瀬選手がまた熊のような吠え声で喜び始めた。腰にしがみつく小さな女の子を抱き上げて。
あー。こういうの見ちゃったらなー。もう、祝福するしかないじゃん。
「お疲れ様です! あまちゃん、惜しかったけど無差別級で準優勝! これは凄いことだよ!」
「あ、プロデューサー兼カメラマンさん。今日は北埼玉デッドボールの方じゃないんですね」
「ああ。まぁ、あまちゃん番だからこっち優先なのよ」
そして大きな大会の場合、敗者にもにインタビューが待っているわけだけど、そこでカメラと共にやってきたのはよく知る顔の人物だった。そういえばこの人、ワールドツアーの時もオリンピックの時もバリバリついてきてたからなぁ。国内の大会だったらそりゃあ居るよねって感じだ。
今日は北埼玉デッドボールの方でもバリバリ試合やってるからそっちはどうなるのかなって思ってたんだけどそっちは部下の人がまわしてるんだって。プロデューサー兼カメラマンさん、いつの間にか随分と出世してるみたいで自由に使えるスタッフが結構な数居るらしい。北埼玉デッドボールの撮影が始まった当初はプロデューサー兼カメラマンさんだけで回してたのになぁ。しみじみ。
「あまちゃんとしては今後はどう活動する予定だい?」
「僕はやっぱり根っこは野球選手なんで。甲子園出場を目指してそっちが優先ですけど、それ以外の時間で色々やりたいなと思ってます。せっかくの高校生ですしチャレンジ精神でいきたいなと」
「皇杯は高校生関係ないけどね」
僕の抱負を耳にしてプロデューサー兼カメラマンさんが苦笑する。ま、まぁいいでしょ。その辺は。僕だって今回の大会でもらえるポイント狙いで出場したようなもんだけど、流石にそれは口にしない。甲子園と時期が被らないなら出場しても良い。僕の優先順位は変わらないからね。
ただまぁ、3年後のオリンピックについて今から盛り上がる人たちを見てると野球代表兼柔道代表を狙ってみるのも良いかなって気持ちはあるかな。僕ならそんな選手が居たら面白いって思うし、その競技に興味がわくからね!
「まぁでもあまちゃんの今回の出場はね。甲子園に向けてって意味だと大正解だと思うよ。優勝してもしなくても」
「そうです?」
「うんうん。まぁ、悪いようにはしないから僕らに任せといて」
プロデューサー兼カメラマンさんは悪そうな笑顔でそう言った。悪いようにはしないからって大体悪いようにしかしない人が言ってる気がするけど、まぁプロデューサー兼カメラマンさんは僕も信頼してる大人の一人だからね。その彼がこんな事を言うからにはなにかしらあるんでしょ。
インタビューを受けた後、偉そうな人のありがたいお言葉の後にメダルとトロフィーを貰った。一ノ瀬選手がもらったものよりちょっと小さいけど、これも立派な記念品。これは純喫茶アンデッドに飾ってあるトロフィー棚に飾っとこうっと。さて貰うもん貰ったし帰るかなーと着替えをしていたら、決勝で戦った一ノ瀬選手が僕の肩にぐいっと手を回してきた。
「おう、権藤。ちぃと面かせや」
「うっわ一ノ瀬さん明らかにヤンキーが絡んでくる絵面っすよ」
「やかまし。飯奢ってやるから来いって」
今時こんな絡み方ヤンキー漫画でもそうやらねぇよって絡み方で声をかけてきた一ノ瀬さんにそう素直に感想を告げると、一ノ瀬さんは非常にバツの悪い顔で目を逸らしながらそう魔法の言葉を口にする。体育会系の人間にとって年上からの奢り発言にはね。抗えない魔力があるんだよ……!
「奢り!? あ、でも。優勝者と準優勝者がそのまま飯食いに行くって絵面ちょっとヤバくないです?」
「……あー。そう、いえばそうか。どうしよ」
「おねーちゃん、ぐあいわるいの? ぽんぽん?」
談合とか勘ぐられても困るからなぁ、と懸念を尋ねてみると彼女は今更それに思い至ったかのように頭を悩ませ始めた。そしてそんな一ノ瀬選手を心配そうに眺めながら、妹さんが彼女のお腹の当たりを撫でる。あれ、この人結構なポンコツか? 仕方ない。ここは賢い僕が妙案を出して進ぜようではないか。ふんすふんす
「で、私に声をかけてきたと」
「はい。柔さんが連れ出してくれた体なら言い訳しやすいんで」
「ついでに財布係もでしょ?」
「バレたか」
この大会に誘ってくれた柔さんに一言、一ノ瀬さんと飯食って先に帰りますって伝えようと声を掛けたら、それなら私もという事で急遽3名+妹さんでご飯を食べに行くことになった。いやー! そんなつもりは毛頭ないんだけどなー! もちろんこの場合は最年長の柔さんが財布を出すことになっちゃうよなぁ!
一ノ瀬さんは大学生だからあんまり財布にダメージが行くものは頼めないけど、立派な社会人でいい会社に勤めてる柔さんの財布には無茶を言えるからね。へっへっへっ。高校生の胃袋は無限大だからね。こういう小狡さもないと満腹はなかなか味わえないんだよ……!
「それでなんで誘ってくれたんです? 生意気な後輩を〆るんすか?」
「しないわ! んな事!」
「んー、ごめん一ノ瀬ちゃん。私ちょっと怪しいと思ったからついてきたんだけど」
「えぇ……柔先輩、そりゃないっすよ……それに、それなら遥を連れてきませんって」
僕の弾丸ストレートな質問に一ノ瀬さんはそう叫ぶが、柔さんも怪しいと思ってたと口にすると途端にしょぼんとした顔を浮かべる。あ、思った以上にストレートな性格だね。疑って悪い事したかな?
でも決勝を争った相手。しかもほとんど付き合いのない相手を飯に誘うなんて疑ってくださいって言ってるようなものだからね……実際は単に不器用な人っぽいけどさ。
それでどういう理由で呼び出したのかと思ったら、幾つかの理由があったみたい。まず柔道界にいきなり降って湧いた他のスポーツのスター選手がやたらと目立ったからってのが一つ。実際に対戦したからこそ一ノ瀬さんは僕の強さを肌で体感したけど、それが分からない人が今回の結果を懐疑的に見てなにごとか言ってくるかもしれないから、それに注意しろって言いたかったらしい。普通は勝ち上がる事すら難しい大会だからね。無差別級って。
あとは、単純に柔さん以外に会場に知り合いも居なさそうだし、ロッカールームでぽつーんと着替えしてる僕に年長者として声かけておくかと思ったのが一つ。この時点で僕の中で一ノ瀬さんはめちゃめちゃ不器用な人だなって評価が固まった。
そして最後に、これは選手としての質問というか確認だったんだけど、今後どういう風に柔道と向き合うのかを尋ねられた。今回の大会で柔道の方でもオリンピック候補に挙げられるくらいには活躍した訳だけども、野球が本業だと口にしてる僕がどう動くかは誰にも分からないからね。一ノ瀬さん的にはその辺を知っておきたいらしい。
「甲子園期間は野球に専念するってマジか? 今日、戦って思ったけど日本の重量級超でお前より強い奴いないぞ? 今から頑張れば夏の世界選手権にも出れる目があるかもしれないのに」
「それよりも甲子園を優先したいんです。子供のころから、そのために生きてきたんで」
「そっかぁ。まぁ、子供の頃の夢なら仕方ないよなぁ。お前の分も私が世界獲ってきてやるよ!」
「おねーちゃん、ごはんのときにさわいじゃだめでしょ」
「ごめん」
一ノ瀬さんは勿体ない、勿体ないと口にしながらも、非常に嬉しそうな顔でそう言った。正直お前とは次やっても勝てる気がしないとか言ってくるあたり、本当に不器用な人だなこの人。ちょっと好きになってきたかもしれない。
そんな僕と一ノ瀬さんとのちぐはぐなやり取りを、柔さんはけらけらと笑いながら見物していた。あ、忘れてた忘れてた。この人の財布にダメージを与えないとね! という訳でこっちのメニューのここからここまでお願いします! ほら、妹さんもガンガン食べてお姉さんみたいに大きくなるんだよ?




