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第2話/無理ゲー

 翌日、局の大きな会議室には、編成部、制作部、営業部の主要メンバーが集まっていた。

 天井の蛍光灯がぎらつき、無数の書類と資料が机の上に散乱している。俺はその中央に、慎重に二つの原稿を置いた。


 局長はすでに席に着いており、前に立つ俺の方を見据えていた。目は輝き、表情には熱がこもっている。

「桐谷君、いよいよだな。我が局の看板時代劇を決める会議だ!」


 他の役員たちも手を叩き、期待に胸を膨らませている。

 俺の手は汗で滑る。机の上の原稿、あの二冊がこれからどのような運命を辿るのか。


 局長はゆっくりと立ち上がり、両手を机の上に広げる。

「さあ皆の者、どちらの作品で勝負するかだ!」

 声は熱く、震えるほどの迫力がある。まさに現代の戦国武将のようだ。


 当然のように局長の視線は、あの**“必殺・闇の仕置人”**の原稿に向かう。

「桐谷君、わしはこの必殺の方を推す! これは血も涙も汗も、すべてが詰まった本物の時代劇じゃ! 視聴率もスポンサーも狙える、鉄板の企画だ!」


 俺は心の中で頭を抱えた。

 ――鉄板、確かに。しかしコンプラ部に持ち込んだ瞬間、赤ペンの嵐が吹き荒れることは火を見るより明らかだ。


 俺は机の端に目をやり、もう一方のラブロマンス案を手元に引き寄せた。

 主人公・影十郎と町娘の恋、悪を斬る剣士としての葛藤――こちらなら、赤ペンの被害も多少は抑えられるかもしれない。


 そこで、必死に頭を働かせる。

「そうだ……既に過去に似た番組があったことを理由に出せば……」

 過去に放送された、悪を斬る浪人が主人公のドラマが視聴率低迷で打ち切りになった事実。これを巧みに引用して、「視聴率リスクがあるため、もう一方を推した方が安全」と局長を説得できないか……?


 俺の目は机の奥の窓越しに置かれた、コンプライアンス部の面々へと滑った。

 普段は温厚で無表情な彼らが、今日ばかりはまるで別人のように見える。


 眼鏡の奥の瞳が、まるで閻魔大王の業火のごとく燃えている。

 書類を手にする指先は、鬼の爪のように鋭く光っている。

 彼らの存在自体が、赤ペンの嵐、NGワード、セリフ改変の地獄を象徴しているかのようだ。


 ――いや、これはもはや人間ではない。

 彼らは閻魔であり鬼であり、この原稿を裁き、魂を断罪する存在だ。


 俺の胸は冷たく締め付けられる。汗が背中を伝い、手のひらが湿る。

 だが、ここで腰が引けてはいけない。

 俺は必死に頭を巡らせ、策略を練る。


 ――局長の熱狂をそっと剥がし、ラブロマンス案を押し通すためには、過去の類似企画を盾に、数字と安全策を並べ立てるしかない。


 机の上の二冊の原稿が、まるで天秤の皿のように揺れる。

 一方は血と剣の王道、もう一方は恋と葛藤のドラマチック案。

 どちらを選ぶかで、俺の未来も、そして局内の嵐も決まる。


 俺は深く息を吸った。

 ――この会議が終わった時、俺の心臓は無事でいられるだろうか?

 胸中に広がる不安は、もはや地獄の釜が完全に開ききったかのように熱く、そして重かった。

 編成会議は、静かな緊張の中で始まった。

 局長は依然として「必殺・闇の仕置人」の原稿に視線を注ぎ、熱を帯びた声で語る。


「血と涙、そして正義! 視聴者はこれを待っておるのじゃ! 桐谷君、わしは断固推すぞ!」


 俺は肩を震わせながら、目の端でコンプライアンス部の面々を観察した。

 先ほどと同様、彼らはまるで閻魔大王と鬼の集団のように見える。

 書類を手にした手は鋭く、視線は獄卒のように原稿を貫く。


 俺は意を決して口を開いた。

「局長……あの、少しお時間をいただけませんか。実は、過去に似た企画が放送され、視聴率が伸び悩んだ事例があります」


 局長は一瞬眉をひそめたが、すぐに得意げに笑う。

「ふむ、なるほど。過去の実績を考慮するか。だが、それでもこの原稿は熱いのだぞ!」


 俺は素早く、もう一方のラブロマンス案を机に押し出す。

「こちらの案でしたら、視聴者層も幅広く取り込めます。悪を斬る剣士としての姿と、町娘との恋の葛藤を描くことで、コンプライアンス上も問題が少なく……」


 局長は原稿を手に取り、ページをめくる。

 俺は内心ヒヤヒヤだった。局長の目がキラキラと輝く一方で、横目に見えるコンプライアンス部の鬼たちは、鋭く俺を見つめている。


 ひとりがゆっくりと手を挙げる。

「このラブロマンス案にも、夜の接触や剣戟の描写がありますね」

 低く、しかし確実に圧をかける声。


 別のひとりも口を開く。

「町娘への優しい仕草も、未成年保護の観点で表現に注意が必要です」


 俺は汗をかきながら、深呼吸する。

 ――この人たちはもう人間じゃない。原稿のあらゆる隙間を見逃さず、魂を裁く閻魔と鬼だ。


 局長はまだラブロマンス案に目を通している。

「ふむ……なるほど。確かに安全策としては理にかなっておるな。だが視聴率はどうだ?」


 俺は数字を並べ立て、過去の失敗例を引き合いに出す。

「同じような勧善懲悪だけの作品は視聴率が伸びませんでした。恋と剣の葛藤を加えることで、視聴者の共感を得られます」


 局長は一瞬考え込み、眉をひそめる。

 会議室の空気が張り詰め、コンプライアンス部の視線が俺に刺さる。

 文字通り、心臓が凍りつくような重圧。


 俺は机に手を置き、声を震わせながら説得を続ける。

「局長、これなら熱さと安全性の両方を兼ね備えられます。視聴者も満足、局も安心です」


 局長は原稿をじっと見つめ、やがてゆっくりとうなずいた。

「……なるほどな、桐谷君。わしも時代は変わったと認めざるを得んか」


 俺は胸をなで下ろす。

 ――一瞬の勝利。しかし、安心はまだ早い。


 コンプライアンス部の鬼たちは、微動だにせず、じっと俺を見つめている。

 原稿を読む目は、まるで赤ペンという剣を振るうその瞬間を狙うかのようだ。

 この部屋にいる限り、俺は常に裁かれる側である。


 俺は深く息を吸った。

 胸の奥で、地獄の釜が煮えたぎるのを感じる。

 会議室の天井から降り注ぐ蛍光灯の光は、熱く、冷たく、残酷に感じられた。


 ――だが、ここで負けるわけにはいかない。

 桐谷雅彦、テレビ局の片隅で鍛え上げられた小さな頭脳をフル回転させ、赤ペンの閻魔たちをかわしつつ、恋と剣の時代劇を生かすための戦いは、まだ始まったばかりだった。

 編成会議の空気は、もはや熱と緊張で煮えたぎっていた。


 局長は眉間にしわを寄せ、拳を机に叩きつける。

「桐谷君、わしはこの『必殺・闇の仕置人』を押すと決めた! 安全策も大事だが、魂の熱を削っては時代劇の意味がない!」


 俺は汗をかき、声を震わせながら反論する。

「局長、確かに必殺案は熱い。しかし、コンプライアンス部の指摘を無視すると、放送できる状態まで辿り着きません! 視聴率の前に、赤ペンで全滅します!」


 局長は頷かない。熱に浮かされた眼差しは、揺らぐことなく俺を射抜く。

 「桐谷君、わしの決意は固い! 熱い血と涙、正義を信じるんじゃ!」


 俺は机を握りしめ、必死に説得を続ける。

「局長……お願いします! ここは現実的に、もう一方のラブロマンス案を押して、視聴者の共感も取り込みつつ、放送可能にすべきです!」


 部屋の隅で、コンプライアンス部の面々は冷たい眼差しを向けている。

 まるで閻魔大王の裁きの前に立つ罪人のようだ。

 赤ペンを持つ手は、すぐにでも原稿を切り刻むかの勢いで震えている。


 俺は深く息を吸い込み、頭の中でシナリオの最悪の未来を反芻する。

 ――原稿は粉々になり、放送は不可能になり、局長には怒られ、閻魔たちの前で土下座……。


 しかし、そんな緊迫した空気の中、会議室の片隅で、今まで黙っていた若手局員が小さく手を上げた。

 そして、声を震わせながら、言った。


「ぶっちゃけ……二つを融合させれば良くないっすか?」


 その瞬間、部屋が一瞬静まり返る。

 局長は眉を上げ、桐谷の俺は思わず目を見開いた。

 コンプライアンス部の鬼たちは一瞬、顔を見合わせ、そしてまた冷たい視線を桐谷に戻す。


 ――このバカ……

 頭の中で思わずつぶやく。だが声には出さない。


 胸中には、さらなる混乱が渦巻いていた。

 二つの原稿を融合? それは面白いかもしれないが、企画の骨格はどうなる? 血と剣の熱さと恋の葛藤をどうやって両立させる?

 しかもコンプライアンス部の赤ペンが加わることを考えれば、修正の嵐は避けられない。


 しかし、目の前の局長の熱意、冷たい視線の閻魔たち、そして無邪気に口を開いた局員の一言……

 桐谷の脳内には、さらなる混乱と、どうにかこの危機を乗り越えようとする計算の渦が巻き起こっていた。


 ――俺は、この瞬間、思った。

 時代劇を作るというのは、熱と葛藤だけでは足りない。

 戦略、説得力、そして運……すべてがそろって、初めて放送可能な一本が生まれるのだと。


 会議室の蛍光灯がぎらつき、机の上の原稿が小さく震える。

 胸中の混乱は、まるで目に見えるように渦巻き、俺を包み込んでいた。


 ――これから始まるのは、赤ペン地獄の前哨戦であり、企画と妥協の、熱くも滑稽な戦いだった。


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