映された自分も、私だった
いつからだろう、「どう見られているか」が気になるようになったのは。
中川凛は、ガラスの自動ドアの前に立ち、ふと足を止めた。ドアに映るのは、控えめな服装と伏し目がちの目元。誰かの目を気にして整えた髪。──ああ、これが「他人に見せる自分」だ。
ふと心に浮かんだ。
この姿は、わたしじゃないのかな。
電車の中でも、職場でも、SNSでも。自分がどう思われるかをいつも意識していた。
優しく、ちゃんとしていて、空気も読める。けれど、それは「見られたがっている自分」ではなく、「悪く思われたくない自分」だった。
けれど、ある日。
後輩の沙耶が、ぽつりと言った。
「凛さんて、すごく優しいけど…たまにすごく疲れてそうに見えます。無理してませんか?」
心臓が一瞬止まりかけて、そして、少し動き出した。
ああ、見られてる。けど、嘘じゃない。
そのとき、ふと思った。
見られている自分は、演じた姿でも、誤解された姿でもある。
けれど、それを「気にしている自分」もまた、まぎれもない自分なのだ。
外に映った自分。
気にしている自分。
そうして、気づいた自分。
すべてが一つにつながって、「わたし」だった。
だから今は、怖がらずに言ってみる。
「私は、思われている自分も、気にしている自分も、まるごと受け入れて前を向く私でありたいです」
ガラスに映った姿は、少しずつ柔らかくなっていた。




