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第八章 ーGrand Escapeー

私も、 つられるように立ち止まる。

「見える?」

彼女の視線の先― ― その先に、

私は気づいた。

――校舎裏の小さな田んぼだった。

学校の裏手に書いてある【シカ部】と

書かれた看板が物置に貼ってある   

「あれは…?」


ほんの数メートル四方の狭い田んぼが


雨に沈み、水たまりに浸された   

小さな苗たちが、 風に揺れていた。

そして、その真ん中に。 ひとりの少女がいた。


「……え?」 思わず、声が漏れた。

麦わら帽子をかけている。

背中は泥まみれ。 細い腕で、  

小さなスコップを握りしめ、

倒れた苗を、ひとつひとつ、起こしている。


顔は見えなかった。 でも、

その姿は―― 私が、

あの日の自分を 鏡で見るようだった。

「……農作業……?」 先生は何も言わなかった。


ただ、横顔のまま、 

私の沈黙を受け止めてくれていた。

「こんな大雨なのに……」 少女の肩が震えていた。


風のせいか、寒さのせいか、

それとも――悔しさか。

それでも、手は止まらない。


泥に沈んだ苗を、何度も、

何度も掬い上げている。  

その手の動きが、胸に刺さった。

私は、一歩、前に出た。 そして――。

あの時の私のようにーー

それは、 今、目の前の―― この少女に、

そっくりそのまま、重なっていた。


「陽菜」 雪野さんがゆっくりと私を見た。


その瞳は、やっぱりすべてを見透かしていて、

それでいて、なにひとつ強制しようとしなかった。


「あなたが“できること”―今じゃないの?…」  


そうだ…あたしにしか使えない力がある。


空が暗くても、雨が降ってても、

わたしは……もう、立ち止まらない。

あの子が、必死で手を伸ばしてるのに。

泥だらけになって、それでも………あの子は………


見てるだけなんて……もう、イヤだ…


わたしにできることは、

ちっぽけかもしれない。

でも、もしこの手で、

誰かを救えるなら…… この空を、

変えられるのなら……


―あの子を救う―


これが、わたしの願い。

これが、わたしの……“力”なんだ…


心はすでに――答えを知っていた。

手に持ったビニール傘を、ゆっくりと閉じる。


カチ、と音がした。

雨粒が、真っ直ぐに 肩に落ちてきた。

でも、 不思議と冷たくなかった。

そして私は、大地を蹴って走りだす。


まるで、

初めからそう決められていたかのように。

ぬかるんだ土を踏みしめながら、

あの少女の背中へ。


“出会い”という言葉では表せない、  

静かな衝動だった。 言葉もなく、 

理由もなく。 でも、迷いはなかった。


あの日の“自分” を助けてくれたのが、

雪野さんだったように。

今日、 あの子にとっての “誰か”になるのは

私の番だった。


雨が降る音が、やがて、

静かな祈りに変わっていく気がした。

そして、 「……お願い……」 私は、雨に濡れた


地面に膝をついて、 両手を強く握りしめていた。   目の前には、泣きながらも黙って 苗を植え続ける少女。 雨粒がその頬を、 打つように叩いていた。


「……ねぇ、空。

どうしてこんなにも、この世界は残酷なの?

どうして、あの子が泣いてるの?」

「わたしね、本当は……怖いよ。

これが正しいことかなんて、わかんない。

でも――わたし、見てしまったの。


あの子の小さな背中が、あんなにも震えてたのを」


「だから……お願い。


もし、  


ーーわたしの“愛”に、

  できることがまだあるなら―― 


この空に、届けて。この世界に、届いて……


口を開く


「もう少し…もう少し…もう少しなんだ……」 


"………………で… …………"  


"……………しで…………う"


"…………こしで………こう"


微かに聞こえる……声……


幻聴……いや、それは幻聴ではない……


その声は…どんどん大きくなる……


どこかで聞いた事がある……その曲の名は……


"もう少しで 文明の向こう 行こう"


"もう少しで 運命の向こう 行こう"


"もう少しで"


"行こう"


"もう少しで"    


その瞬間 、突風が吹き、


樹々がざわめき.


時が止まり、  


ーー世界は静寂に包まれたーー   


ーー空気が、鼓動が響き渡るーー


"夢に僕らで帆を張って" 


"来たるべき日のために夜を超え"


"いざ期待だけ満タンで" 


"あとはどうにかなるさと"


"肩を組んだ" 


"怖くないわけない でも止まんない"


"ピンチの 先回り したって"


"僕らじゃしょうがない"


"僕らの恋が言う 声が言う"


   "行けと言う"


かつての自分が、 何もできなかったあの夜。

希望と不安の隙間で、ただ俯いていたあの時間。

その中で、毎晩のように聴いていた曲。


  ――『グランドエスケープ』ーー  


その曲が彼女を包む。   


そして、世界の景色が、 ゆっくりと変わっていく。


雲が――裂けた。 真っ白な雲の狭間から、  

まるで空の奥から誰かが引き裂いたかのように、

光が、射した。 金色の陽光が、斜めに、まっすぐに、 少女の小さな背中を包み込む。 水面が、反射する。


葉が揺れる。 風が髪を撫でていく。

空の奥から 透明な音が響いた気がした。

雷でも、風でもない――

祈りに応える“天”の音。


私は、震えた。 けれど、その手はもう、 

濡れていなかった。 雨は――止んでいた。


真っ白な天蓋の狭間から、

まるで空の奥から誰かが引き裂いたように、

一筋の光が射し込んだ。


「……晴れた……」 誰かの声が、

風に乗って聞こえてくる。

少女が、 顔を上げる。

頬を伝う涙の先に、 真っ青な空が、 

広がっていた。


空の中央、ひと筋の 光の柱が降り注ぎ、

私たちの場所だけが、

まるで選ばれたかのように 照らされていた。


その光の中、 私は、確かに知った。 祈りは、届く。 世界を変えるのは、


ーー私たちだ――


そのとき、背中で雪野百香里の

言葉が響いた気がした。  

「あなたの“力”で、世界は変えられる」

私は、微笑んだ。 そして、そっと目を開けた。


世界が、まるで、

息を吹き返したように輝いていた。

「晴れた……!?」 その呟きが、

風に乗って届いてきた。

「ねぇ……大丈夫?」

百香里が近づき、しゃがみこむ。

少女は顔中泥だらけだったが、

笑っていた。  

陽菜

(これでよかったのかな…

私の力はこれなのかな…………

後は先生に、まかせて………)


陽菜は帰ろうとした  


「なんで…!?天気予報は一日中雨だって…」


雪野 「あそこにいる晴れ女のおかげよ…」   


陽菜 「………!?」  


雪野 「なに帰ろうとしてるのよ…晴れ女…?」


陽菜 「私は…ただ……」     


雪野 「救ったじゃない………」 


陽菜 「そうなの…かな……」


「ありがとう!お姉ちゃん!!」


その声は、まっすぐで― 

―あまりにも無垢だった。

濡れた頬、泥だらけの手。

でもその瞳は、 まるで太陽が

差し込んだみたいに、明るく光っていた。


陽菜の体が、一瞬びくりと震える。


「お……お姉……ちゃん……!?

ま、まって……まって……!ちょっと……//」


顔が熱くなる。 急に呼ばれた“その言葉”に、

胸がざわめく。 自分のなかの何かが、

知らないうちに やさしく、でも強く、

動かされた気がした。

照れ隠しに頬をぷいっと背けると、

すぐ隣で、雪野百香里がふわりと笑った。

「ふふっ……ねぇ、陽菜」

いつもの柔らかい声色。 でも、

どこかくすぐったそうな 響きが混ざっていた。


「その人見知りな性格も……  

 そろそろ直さないとね?」


その言葉は、冗談のようで、

優しい背中押しだった。

そして陽菜には、

それがちゃんと、 伝わっていた。

「はぃぃぃ…………」


小さくうなずいて、

陽菜は肩をすくめる。

視線は下を向いたまま。

けれどその唇の端が、そっと上がる。

たぶん――彼女は今、ほんの少しだけ

自分が“変わっていける

”気がしたのかもしれない。


――“ありがとう”って言われたことも。


――“お姉ちゃん”って呼ばれたことも。


全部、胸の奥で小さく光っていた。


そして、雨はもう止んでいた。


―― 小さな田んぼと、2人の少女と、    


1人の元教師を包みこんでいたーー

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