ep37 そして長い夜が明けた
8月22日 火曜日 AM9:30 屋上
朝目が覚めた時、神々廻先輩の体に刻まれた黒い茨が消えているのを見てホッとしたのと同時に、気が抜けてなんだか急に恥ずかしくなり思わず逃げ出してしまった。
一緒に眠るつもりなんてなかったのに、いつの間にか意識を失っていた。
昨日の夜のことは、緊張や羞恥を誤魔化すのと痛みに耐えるので精一杯で、細かいことまでは覚えてない。だけど確かに、神々廻先輩と繋がり、一つになったことだけは間違いなかった。
目覚めてすぐに身を清めるため風呂へ直行し、その後は神々廻先輩の呪いが解けたことを報告して回った。
その時、パイロットのみんなには神々廻先輩が俺を探しに来た場合の足止めと、行先の伝達を頼んでおいた。
神々廻先輩と改めて話をする前に、心の準備をする時間が欲しかったから。
今まではこんな風に思ったことなんてなかったのに、神々廻先輩のことを考えると妙に胸がドキドキして、顔が熱くなる。
まさか、たった一度体を重ねたくらいで意識してしまっているのだろうか。俺って、そんなに惚れやすい人間だったのか? 誰かを恋愛的な意味で好きになったことなんてなかったから、これが本当にそういう感情なのかわからない。
そもそも俺は男で、そりゃ今は女の体だけど、心は男のはずで、別に神々廻先輩との行為だってあくまで呪いを解くためで、言うなれば医療行為というやつで、好き好んでってわけじゃなくて……。
……でも、最初は確かに男とそんなことをするなんてって抵抗感はあったけど、始めてみれば身構えてたほどの嫌悪感はなかった。それは相手が神々廻先輩だったからなんだろうか。それとも俺が今、女になってるから?
あ~~~~! わかんねえ! どうしちまったんだよ俺! 素直に先輩が助かってよかったで良いじゃねーか! なのになんでこんな、胸が締め付けられるような気持ちになるんだ!
先輩を助けるためとはいえ、もうちょっとやり方ってもんがあったんじゃないかと思ってしまう。
だってなんか嫌がる先輩を俺が無理矢理襲ってるみたいな感じになっちゃってたし……。
先輩、嫌とかそういう問題じゃないって言ってたけど、やっぱり俺みたいな偽物とするのは嫌だったのかな。
先輩を助けたことを後悔はしてないし、たとえ帰れなくなったとしても先輩を責めるつもりなんてない。だけど先輩に嫌われてしまったかもと考えるたびに、締め付けられるように胸が痛む。
先輩は多分、昨日の夜に死ぬ覚悟はできてたんだと思う。だけど俺は、先輩の望まぬ方法でそれを捻じ曲げた。ただ自分が、死んでほしくないからって我儘で。
「そんなの知るかって、いつもなら思えるのに」
誰も死なせない、【神風】なんて使わせないって、相手の気持ちなんて考えもしないで押し付けられたのに、それで嫌われても構わないと思ってたはずなのに、どうして今更、こんなにも……。
「追いかけっこはもうお終い?」
「……神々廻先輩」
屋上への出入り口から聞こえて来たのは、ここ数日で聞き慣れた神々廻先輩の声だった。振り返らなくてもわかる。
いつの間にか、随分と時間が経ってしまっていたようだ。
「どうして逃げるの? みんなに足止めまでさせて」
「来ないでください」
先輩の声や足音が近づいて来るのを聞くと、どう思われてるのか怖いという気持ちが湧いて来る。嫌われたくないという気持ちが止まらなくなる。
先輩は今、どんな表情をしているのだろうか。何を思っているのだろうか。
「どうして?」
「昨日は、すみませんでした……。怒ってますよね? 余計なことをしてって」
違う、こんなことを言いたかったんじゃないのに。
いつもみたいに、憎まれ口の一つでも叩いて、冗談めかして笑いたかったのに、こんな面倒くさいことを聞きたかったんじゃないのに。
だけど止まらない。止められない。
「俺のこと、嫌いになりましたか? ……元々、嫌いでしたか?」
声が震えて目尻に涙が浮かぶ。
「どうしてそんなこと言うの? 言ったよね、君は僕を助けてくれたって。嫌いになんかならないよ」
「昨日! 先輩嫌がってたじゃないですか! 本当は俺みたいな偽物となんてしたくなかったんですよね!? 気持ち悪いって思ったんですよね!? もう、戦いは終わって、本当は全部終わりにしたいって思ってんじゃないですか……?」
聞かなければ有耶無耶のまま終われたのに。希望を持ったままでいられたのに。どうしても聞かずには
いられなかった。理屈じゃない。気が付けば感情のままにそう言っていた。
「ねえ、こっちを向いて」
「……いやです」
今、絶対変な顔になってるから見られたくない。
そう思って頑なに背を向けていたのに、いつの間にかすぐそこまで近づいていた神々廻先輩の手が俺の
肩を掴んで、少しだけ強引に振り向かせられる。
「泣き顔も可愛いよ、勇」
「んなっ!? は、放してくださいっ!」
真っすぐこちらを見据えてこっぱずかしいことを口走った神々廻先輩が、俺の手を引いて身体を引き寄せ、強く抱きしめてきた。
予想もしていなかった言葉と行動に思わず硬直してしまい、口では抵抗しつつもされるがままになってしまう。
「嫌じゃなかった。君のことが心配だっただけで、助けに来てくれて嬉しかった。気持ち悪くなんてなかった。僕を助けるために必死になってくれた勇は可愛くて魅力的だった。偽物とか元は男子とか、そんなの関係ない」
「ほ、ほんとうですか……?」
胸の中に広がっていた暗い気持ちが、一気に晴れて行くような気がした。
どうしてあんなにも不安で怖かったのか、自分でもわからなくなるほど暖かい気持ちで満たされようとしていた。
「僕は君のことが好きだよ。いつも必死で誰かを助けようとしてくれる優しい君が好き。自分のことなんて後回しで人の為に動ける気高い君が好き。情熱的で真っすぐな君が好き。何度も僕を救ってくれた君が好き。誰よりも可愛くて愛らしい君が好き」
「う、あ、な、なんですか、それ……」
強く強く抱きしめられ、耳元で囁かれる愛の告白に思考がフリーズしてしまう。
顔が熱くなり、真っ赤になっているのが自分でもわかる。
「昨日の夜、死ぬ覚悟があったのは君の言う通り。だけど今日、朝目覚めて、生きてて良かったって心の底から思った。本当は戦いが終わったこの現実で生きていきたかったんだって、君のお陰で気づけた。これからも君と一緒に歩いて行きたいんだってわかった」
「そ、それって」
「ずっと僕と一緒にいて欲しい。帰れなくなったなら、この世界で僕と家族になって欲しい。もしも帰れるのなら、僕も一緒に連れて行って欲しい」
あまりにも急な話で、全然脳の処理が追い付かない。
だけどわかったこともある。こんな風に言われて嬉しいと感じている。
嫌われるのが怖いだけじゃなくて、好きだと言われる度に胸が高鳴って、ずっと一緒にいたいと言われて同じ気持ちだと感じている。
……そっか、俺も神々廻先輩を好きになってたんだ。
「俺で良いんですか」
「君が良い」
「後で嫌になっても、返品は出来ないですよ」
「後で嫌になっても、絶対逃がさない」
「……それはそれでなんか怖い」
「……そろそろ答えを聞かせて」
今になって気づいたけど、俺を抱きしめる神々廻先輩の腕が少しだけ震えていた。
俺が嫌われたんじゃないかって不安だったように、神々廻先輩だって拒絶される不安を抱えているんだ。当たり前の話だ。相手の気持ちなんて、言葉にしなければわからない。
「はい。こちらこそ、お願いします」
「良かった、断られたら死んでた」
「冗談でもそういうことは言わないでください」
もう死ぬとか死なないとか、そんな話は懲り懲りだ。
「きっと今、長い夜が明けた」
「え? もう日が昇ってだいぶ経ちますけど……」
澄み渡った青空を見上げて小さく呟いた神々廻先輩にツッコミを入れる。
夜明けと言うにはかなり遅い気がする。
「僕はずっと夢の中にいた。長い夜に閉じ込められてた。それが今、終わったんだ」