ep22 『矛』
8月7日 月曜日 AM11:00 地下整備ドック
――いまだ時も名もなき創世紀。彼方よりも遠く……
『巨大生物の出現を確認! 流線形の細長い体、鋭利な両顎を確認! 空中を遊泳!』
『特徴一致! 第三守護獣と認定! 動き出します!』
『予測出現ポイントから凡そ2キロメートル!』
澄み渡った青空に突如現れたのは、針のように細長いフォルムの巨大な魚。
まるで海の中を進むかのように悠然と空を泳いでいる。
コックピットの中は空調が効いていて快適なはずなのに、嫌な汗が止まらない。
宙を泳ぐ怪物の異様なプレッシャーは、モニター越しでも気圧されるほどの威圧感を放っていた。
これは何度味わっても慣れそうにない。
『カタパルトゲート開放確認!』
『神楽坂日向、出撃します!』
心配も激励もとっくに終わらせた。
俺に出来ることは神楽坂が勝つのを信じて、いつでも出られるように集中しておくことだけだ。
『射出カウントを開始します。3……2……1――』
『機甲女神、発進!』
『不滅の太陽!』
カタパルトレールによって射出され地上に出るのと同時に、神楽坂が共鳴神威を発動して機体に神聖な炎を纏わせる。戦闘中の持続時間は短くなるけど、不意の一撃で戦闘不能になっては本末転倒。これで神威が切れるまでの間神楽坂とヤマトが倒れることはない。
『うわわっ!?』
『ヤマト、左腕を損傷! 次の攻撃が来ます!』
神々廻が危惧していた通り、第三守護獣はヤマトが出現ポイントに到着するのを待つことなく仕掛けて来た。
カタパルトの勢いとメインスラスターの推進力で高速移動していたヤマトの左腕が肘の辺りからいきなり吹き飛んだのだ。
『来るってわかってるなら、カウンターです!』
急降下し着地しながらブレードを大地に突き立ててブレーキをかけたヤマトが、体勢を整えるのも後回しにして振り返りざまに右腕でラリアットを放つ。
神楽坂は精密操作が得意な方ではないため、拳による点の迎撃ではなく、右腕全体を使った線の迎撃を選んだのだろう。
『ぐぅぅッ!?』
『右腕損傷! 再生を!』
狙いは悪くなかったと思う。神楽坂の目論見通り振り抜かれた鉄の右腕は、超音速で突っ込んで来る第三守護獣を確かに捉えていた。しかし正面からぶつかり合った結果、一方的にヤマトが押し負けた。いや、押し負けたというよりそもそも勝負にすらなっていないように見えた。守護獣は一切勢いが衰えないまま突き抜けて行ったからだ。
神々廻の予知によってもたらされた情報通り、『矛』の守護獣は女神の装甲を簡単に貫くほど強力な攻撃性能を有しているらしい。
たしかにこれは、他のメンツが出撃しても何も出来ずガラクタを増やすだけになったかもしれない。
『流石は絶対攻撃の『矛』ですね! でも僕だって負けてませんよ!』
開戦僅か数秒で両腕を失ったヤマトだけど、破損した両腕から炎が噴き出し鉄の腕を形作る。神楽坂の神威は『矛』に対するメタとして完全に機能している。
空中でUターンしてヤマトの方に向き直った守護獣は、破壊したはずの両腕が再生しているのを見て混乱したのか少しだけ動きが止まったようだけど、神楽坂が反撃に動き出すよりは早く再び動き出す。
『このっ! 全然! 当たりません!? 速すぎ! ますっ!』
猛スピードで突撃した守護獣がヤマトの機体に風穴を空け、素早く反転して再度突撃、また反転と、シャトルランでもするかのように行っては帰りを繰り返し始めた。何とかコックピットに直撃しないように立ち回れてはいるけど、機体に次々と穴が空いては不滅の炎で塞がっていく。
ヤマトも黙ってやられているわけではなく、守護獣の突撃にタイミングを合わせてパンチを繰り出したりブレードを振ったり、あるいは側部狙いで攻撃してみたりと色々試みているけど、全く当たる気配がない。
ただでさえ新人の俺と大差ない程度の操縦技術だというのに、敵は貫通能力があるため正面無敵で、しかもとんでもないスピードで動き続けている。よほどの偶然でも起きない限りは運よく攻撃を当てられはしないだろう。
だがそんなことは対策室も、そして神楽坂もわかっている。
圧倒的な攻撃能力を持つ敵に対して再生能力で対抗するというのは良い案だと思うけど、肝心の反撃はどうするのか。もちろん無策ではない。ただ今はまだ、その時が来ていない。
作戦はちゃんと共有されている。逸ってノコノコ出て行くつもりはない。大丈夫、今はまだ作戦通りだ。
『あれ? なんか』
両脚を削り取られたヤマトが、再生して回避するよりも早く次の突撃が迫っていた。
さっきまで守護獣の攻撃と再生は同じ程度のスピードで間に合っていたのに、どうして急に間に合わなくなったのか。
神楽坂の神威が弱って来てるわけじゃない。あいつは神威の出力も強いけど持続力も半端じゃない。大破したムツを三日近く付きっ切りで再生させていたように、こんな数分で目に見えて変化するはずがない。だとすれば変わっているのは守護獣の方だ。だけどスピード自体は変わっていない。変わったのは守護獣のテンポ。
『やばっ――』
『日向くん!!』
『『「神楽坂っ!!」』』
再生が間に合わず避け損なったヤマトの胸部が勢いよく貫かれた。他よりも厚い装甲で守られているはずのコックピットが、いとも簡単に。
普通ならそれで終わりだ。
コックピットを貫かれたということは、パイロットが貫かれたということ。
思わず神楽坂の名前を叫んでしまった。
作戦通りだと知っているのに、神楽坂はまだ生きているはずだとわかっているのに、気が付けば名前を呼んでいた。俺だけではなく、神々廻以外のパイロット全員の声が聞こえた。
『――僕は死にません』
念には念をとでも言うように再度反転しようとした守護獣のすぐ後ろに、胸に風穴の空いたヤマトが立っていた。
ぽっかりと空いた胸の穴の中に、炎と混じり合った神楽坂の姿が見える。
良かった。くそ、心臓に悪い。
『たとえお天道様が沈んでも! 僕は沈むわけにはいかないんですっ! 僕はみんなの太陽ですから!!』
神楽坂の共鳴神威『不滅の太陽』は、神楽坂自身も再生させる。それが例え、致死の傷だとしても。
『逃がすわけないじゃないですか! よくもやってくれましたね!』
慌てて動き出そうとした守護獣の尻尾を掴んだヤマトが、高らかに守護獣を振り上げては勢いよく地面に叩きつけ、また振りかぶっては叩きつけと、これまでのお返しだと言わんばかりに何度も何度も繰り返す。
『僕の再生速度を上回るために助走を短くしたのが敗因です!』
そう、第三守護獣の高速突進はとてもタイミングを合わせて反撃出来るようなものではなく、そのスピードにはなすすべがなかった。突っ込んで来るのがわかっているなら攻撃を置いておけば良いと思うかもしれないけど、奴には『矛』がある。正面衝突で勝つことは出来ない。
しかし往復して突っ込んで来ると言うのなら、絶対に減速するタイミングがある。それが反転する時だ。
流石にそれ自体は守護獣も自覚していたのか、十分に距離を取ってから反転することで追い付かせないように立ち回っていたけど、神楽坂の再生能力を上回るため、攻撃の回転率を上げるにはその距離を短くするしかなかった。そしてどの距離までならヤマトが間に合わないのかを見誤った。
『なんて偉そうに言いましたけど、ほんとは全部神々廻先輩の作戦なんですけどね!』
予知によっていくつもの未来を視て来たからこそ、守護獣の行動パターン、どう対処すれば守護獣がどう動くのかを神々廻は知り尽くしている。どの程度の距離まで近づけばヤマトが間に合うのかも。第二守護獣戦のようなイレギュラーが起こらなければ、これほど頼もしいものはない。
『トドメです、勇くん!』
『桜台くんの出撃を許可する』
『了解! 大したもんだ、本当に一人で勝っちまうなんてな!』
渡河を発動して神楽坂のすぐ近くにワープし、ぐったりしている第三守護獣に渾身の拳を振り下ろす。
その一撃を受けて、魚のような巨体がビチビチと跳ね回ったかと思えば、光の塵となって消えて行った。
『えへへ! それほどでも! あ、小篠塚さん! ドックに着替えか毛布用意しといてください! 僕今裸なので!』
『なんでだよ』
『女神と僕は再生しますけど服は再生しないみたいですね。不便で困っちゃいますね』
気の抜けるような言葉に思わずツッコミを入れると切実な声音で返された。
神楽坂は、今さっきまで命がけの死闘を繰り広げていたとは思えないほどいつも通りだった。
本当に大した奴だよ。みんなの太陽なんて言うのも、大袈裟じゃないのかもしれないな。
いまだ時も名もなき創世紀。
彼方よりも遠く、何処にも記されぬ深淵に、ただ二柱の神のみが在った。
一柱は《創造》を司る神、名を持たず、始まりと命脈を紡ぐ者。
一柱は《虚無》を司る神、これもまた名なきまま、終わりと消滅を宿す存在。
世界は静謐であった。
二柱は言葉なくとも交わり、虚無のただなかに充ち足りた永劫を漂っていた。
だがある時、虚無の神の言葉が静寂に響いた。
「母よ、果てなき無には飽いた」
創造の神は答えず、ただ微笑み、自らの身を裂いた。
血は星となり、肉は大地となり、髄は海となった。
髪は風と雲に、眼は太陽と月、そして心臓は命となりて、万象を織り上げた。
かくして宇宙は生まれ、世界は始まり、虚無にかすかな調べが響いた。
創造の神の手には、なお五指が残されていた。
彼女はそれぞれの指より、秩序を守護する五つの獣を生み出した。
――小指より生まれしは、《渡河の神威》を持つ獣。流転と運命を知り、切り開く者。
――薬指より生まれしは、《繁栄の神威》を持つ獣。命を芽吹かせ、実らせ、地を満たす者。
――中指より生まれしは、《矛の神威》を持つ獣。争いと力を司り、絶対の矛と化す者。