ep14 『繁栄』
7月31日 月曜日 AM10:00 地下整備ドック
とうとう第二の守護獣が出現する日が訪れた。
おおまかな出現時間と場所は神々廻の予知でわかっているそうだけど、多少のブレはあるらしく、いつどこに出て来ても対応が遅れることのないよう、俺たちは女神に搭乗して出撃用カタパルトで待機している。
こうして待機を始めてから既に2時間が経過しており、当初はお互いを鼓舞するように口数多く喋っていた先輩たちも、今は黙りこくってその時を待っていた。
静かな緊張感の中、女神との神経接続によって強化された聴覚が、激しく鼓動する自身の心音とドック内に響く機械音を拾い上げている。
――いまだ時も名もなき創世紀。彼方よりも遠く……
鼓膜を叩く音とは違う、脳内に直接響く声。
来た
『巨大生物の出現を確認! 体毛は灰、四足歩行、発達した前歯、長い尾があります!』
『特徴一致! 第二守護獣と認定! 分裂を始めています!』
『予測出現ポイントから凡そ5km! 想定の範囲内です!』
地上に仕掛けられたカメラや哨戒にあたっていた戦闘機から届けられる映像を確認し、オペレーターさんたちが口々に情報を報告していく。
映像は女神のコックピット内にあるモニターにも共有されている。女神の視覚から自分の視覚に切り替え、これから戦うことになる敵の姿を確認すると、そこに映っていたのは馬鹿でかいネズミのような生き物だった。
こいつが繁栄の守護獣か。たしかにすぐに増えそうな見た目をしてやがる。
「……くそっ」
今更になって、操縦桿を握る手が震えていた。
守護獣の異様な存在感に気圧されていることが自分でもわかる。
一体目の時は冷静に考えている余裕なんてなかった。命を懸けて戦っているということを正しく認識出来ていなかった。死の恐怖に震えることすら忘れて、目の前の敵を倒すことに集中していた。
だけど今回は違う。俺はこれから死ぬかもしれないとわかって戦いに臨む。その覚悟をしていたはずなのに、いざその時が来たら怖くてしょうがない。
クソ! 情けねえ!!
『カタパルトゲート開放確認!』
『三人とも、準備はいいか?』
『『「はい!」』』
それでも今更後に引くことなど出来ない。
この作戦の肝は神谷先輩と神室先輩だけど、それをサポートする人員が一人は必要だ。そしてこの先の戦いのことを考えれば、これは俺にしか出来ないことなんだ。
たとえ俺がここで、やっぱり戦えないと言っても対策室の人たちは戦いを強制したりはしないだろう。けれどその結果、間違いなく戦況はより厳しいものになり、先輩たちの命が危うくなる。
どれだけ怖くても、逃げ出したくても、仲間を見捨てられる理由にはならない。
『射出カウントを開始します。3……2……1――』
『機甲女神、発進!』
気合を入れ直して強く操縦桿を握る。
震えは収まらないけれど、それでもいい。
女神は俺の意思に応えて動いてくれる。
・ ・ ・
カタパルトレールの射出口は、出現予測地点のブレに対応できるよう複数設けられている。
出現した守護獣の現在地に合わせて、管制室がレールの分岐を操作し最短ルートでの出撃を可能とする。
神々しさすら感じられる鉄の巨人、機甲女神が青空を駆け、ものの数分で守護獣の下へと辿り着いた。
『泥沼の怠惰!』
地面を抉るようにブレーキをかけて着地しながら、ムツが共鳴神威を発動する。
自身を中心とした円形範囲に『怠惰』の性質を持つ神威を展開し、その範囲内の任意の働きを抑制する権能だ。今回抑制するのは当然、分裂速度。
『もうこんなに分裂してるのか』
『ほんとにネズミみたいっすね』
守護獣が出現と同時に分裂開始したのは三人も映像で確認していたが、実際に現場に到着して目にするとその数に圧倒された。
女神の膝くらいまである大きさのネズミのような守護獣が、既に500体以上。住民の避難が完了しているとはいえ、巨大ネズミが街を埋め尽くしている様は不気味で異様な光景だった。
繁栄の守護獣の分裂にかかる時間は約30秒。そして分裂によって生まれた個体も同じ権能を有しているため、放っておけば倍々ゲームで数を増やしていく。ほんの数分で到着できたのはむしろ幸いだったと言える。
『流石に本丸は守りが堅そうじゃんね。切り崩してくしかないかな』
空間を砕くようにこの世界に姿を現した本体は、カメラなど各種機器で常に補足しておりタグ付けは済んでいる。そのためどれが本体かわからないということはないのだが、当然本体の周囲は特に多くの分裂体が囲んでいて、いきなり叩くのは難しい状況になっていた。
『油断せずに行くぞ! 裏切の不和!』
片手には対守護獣用の女神専用ブレード、もう一方の手には神威を弾丸として撃ちだすライフルを装備したナガトが、守護獣の群れに突撃しながら神威弾を連射する。
この弾丸は神威をどの程度込めるかで威力が変わり、通常であれば一発毎にチャージ時間が必要になるが、今回に限っては大きな破壊力は必要ないため連射が可能となる。
目的はダメージを与えることではなく、強制的な仲間割れを引き起こす『不和』を植え付けることなのだから。
『不和』の神威弾を受けた分裂体は、分裂を中断してすぐ隣の分裂体に噛みついた。噛みつかれた方も分裂を中止して応戦する。そんな光景があちこちで起こり始めていた。
とはいえ、『不和』の神威で仲間割れをしているのは全体で見ればほんの一部。敵の攻撃を受けていると気が付いた守護獣たちは、本体の護衛と分裂役を一部残し、あとの数百体が一斉に女神たちへ襲い掛かりだした。
『作戦通りまずは数を減らす!』
ナガトは初めての実戦とは思えない淀みなさで密集している分裂体の中に飛び込み、神威を纏わせたブレードを縦横無尽に振り回し次々と仲間割れを引き起こす。通常であれば敵の密集地帯に単騎で乗り込むなど自殺行為だが、確実に裏切りを誘発できるナガトにとってはむしろまとまった敵の方が相性が良いようだった。
『言われなくてもわかってるっつーの! こんのぉ!』
一方でムツは『怠惰』を維持する必要があるため敵陣に深く切り込むことはせず、突っ込んできた守護獣を盾とブレードで堅実にさばいているが、襲い来る物量の暴力を完全には防ぎ切れていない。
事前の情報によれば分裂体は本体に比べて弱いという話だったが、ブレードの一太刀では倒しきれない程度の耐久力に加え、複数体の協力によって女神のパワーを上回る場合さえあり、さらに女神に対しては小さいとも言えるサイズ差が余計に戦い難さを増している。
それでも訓練通りの動きが出来ていれば完全に押し込まれるということはなかっただろう。しかし初陣による緊張か、あるいは初めて対峙する守護獣の雰囲気に呑まれてしまったのか、ムツの動きにはどこかぎこちないものがあった。
次第にさばき切れなくなった分裂体が津波のようにムツを呑み込もうと押し寄せる。
『やば――』
『やらせるかよ!!』
少し離れた場所で獅子奮迅の活躍を見せていたムメイが、立ち塞がるように連なった分裂体の壁をタックルで挽肉に変えながら駆け付け、今にもムツを呑み込もうとしていた大波に大ぶりのパンチをぶちかまして盛大に弾き飛ばした。
今のところムメイに外付けの武装はなく、初日の訓練時と同様に無手での戦闘が基本スタイルとなっている。
それというのも、元々先生のために用意されていた武装をムメイに流用する予定となっていたが、あまりにも神威の出力が強すぎるせいで武装の方が早々に壊れてしまうという問題が発生した。ならばそもそも武装などなくても問題ないのではないかということで、より頑丈な武装の開発が完了するまでは格闘をメインに戦うこととなったのである。
そして実際、武装などなくてもなんの問題もないということが証明された。
たった今吹き飛ばされた分裂体たちがただの一撃で息絶えて消滅していくのだから。
『ありがとー勇ちゃん! ヤマトをぶっ壊したパワーは伊達じゃないね!』
『褒めてるのか煽ってるのかどっちなんすか……。まあ、サポートは任せてください』
最初こそ周囲のフォローなんてしてる余裕があるのかと不安を抱いていた桜台だが、蓋を開けてみればムメイは分裂体など歯牙にもかけない強さを誇った。その事実が桜台に自信を与え精神を安定させていた。
昨日の言葉に従うわけではないが、ナガトの戦いぶりには危なげが全くないため、ムメイはムツのフォローを優先して立ち回ることを決めた。
もっとも、これは相性の問題に過ぎない。ナガトの神威が多数の敵を相手取るに当たって有利過ぎるというだけの話。『不和』がなければ神谷も一人でさばき切ることは難しいだろう。神威の出力や操縦技術の差、メンタルの安定性は神谷に軍配が上がるが、総合的に見て神室が格段に劣っているということはない。この中で突出した戦闘力を有しているのは、圧倒的な出力を誇る桜台だけだ。
『『怠惰』が効いて来てるな。明らかに分裂速度が遅くなってる』
『数も減ったしなー』
『鏑木さん、そろそろですか?』
そうして戦うこと十数分。
戦闘中にも分裂によって補充がされていた分裂体だったが、ムメイの理不尽なまでの強さによる一方的蹂躙、ナガトの『不和』による内部崩壊、そしてムツの『怠惰』による分裂速度の鈍化によって供給は全く追い付かず、遂には残すところ十数体というところまで数を減らしていた。
『ああ、始めてくれ』
『了解です!』
『行くぞ、二人とも!』
『ラジャー! トドメはいただきだぜ!』
鏑木室長の号令に従い、三機が残る分裂体を無視して一斉にチェックをかけようと本体に向かって走り出す。最早陣形とも言えない穴だらけの守りだ。少なくとも一機は本体にたどり着くことができる。
というのが、初見ではほぼ確実に足を掬われる罠になっている。
一斉に動き出した三機の不意を突くように、ガタガタに罅割れたコンクリートの地面を突き破って大量の分裂体が姿を現した。
『釣れたな』
『第二ラウンド開始っすね』
繁栄の守護獣の分裂は、分裂元の体から芽が出るかのように新しい分裂体が生み出される。そしてこの芽が出る部分は体のどこでも良い。例えば足の裏から分裂を開始し、地面の中に分裂体を潜ませるということも可能。つまり伏兵だ。何も知らずにチェックをかけようと近づけば、思わぬ不意打ちに手痛い反撃を受けることとなっただろう。
しかし知っていればどうということはない。
予知によってその作戦は、既知のものなのだから。
この第二波を叩き潰した上で、ナガトがチェックメイトをかけるのが本当の作戦。
『……っ!』
誤算だったのは、伏兵がナガトとムメイだけを狙い、そして本体が逃げるように背を向けて走り出したこと。神々廻の視た予知にこんな極端なパターンはなかった。だからこうなった時、残る一機がどう動くのか誰も予想していなかった。ただ一人、神谷以外は。
『待て神室!』
伏兵に襲われず唯一フリーとなったムツが、逃げ出した本体を追って再度走り出した。
大量の分裂体に囲まれているナガトにはそれが見えたわけではないが、神室ならばそうするだろうと直感的に理解して声をあげていた。
『罠だ! 戻れ!』
いまだ時も名もなき創世紀。
彼方よりも遠く、何処にも記されぬ深淵に、ただ二柱の神のみが在った。
一柱は《創造》を司る神、名を持たず、始まりと命脈を紡ぐ者。
一柱は《虚無》を司る神、これもまた名なきまま、終わりと消滅を宿す存在。
世界は静謐であった。
二柱は言葉なくとも交わり、虚無のただなかに充ち足りた永劫を漂っていた。
だがある時、虚無の神の言葉が静寂に響いた。
「母よ、果てなき無には飽いた」
創造の神は答えず、ただ微笑み、自らの身を裂いた。
血は星となり、肉は大地となり、髄は海となった。
髪は風と雲に、眼は太陽と月、そして心臓は命となりて、万象を織り上げた。
かくして宇宙は生まれ、世界は始まり、虚無にかすかな調べが響いた。
創造の神の手には、なお五指が残されていた。
彼女はそれぞれの指より、秩序を守護する五つの獣を生み出した。
――小指より生まれしは、《渡河の神威》を持つ獣。流転と運命を知り、切り開く者。
――薬指より生まれしは、《繁栄の神威》を持つ獣。命を芽吹かせ、実らせ、地を満たす者。




