9.満たされる気持ち
きぃ、と。静かに寝室の扉が開く。
薄暗がりの室内に、ダイニングから漏れる光が筋をつくる。
「……なんだ、寝ていたわけではないのですね」
そっと室内に足を踏み入れたラヴィルは、大きな息を落とした。
ベッドの端に腰を下ろすと、眼鏡を外してボードに置く。
「店は閉めたんか?」
「ええ、今日はもう閉めました」
コシュールの問いに答えながら、ラヴィルはまた立ち上がって部屋のランプを点す。ちろちろと揺れる明かりが部屋を満たす。
再びベッドの端に腰をおろし、ラヴィルはコシュールの膝上に居るリリを見やった。
彼女は頭を彼にあずけたまま、ぎゅうと服を掴んでラヴィルの方は見ない。寝ていないのは気配でわかる。
「リリ、どうしたんです?」
ラヴィルの呼びかけに彼女の肩がぴくりと跳ねた。
コシュールへ問うように視線を向けるが、彼はやれやれといった様子で首を左右に振るだけ。
ラヴィルは軽く眉をひそめて、もう一度リリを見やった。
「何かありました? 片付けの手伝いに来る様子もなかったので、どうしたのだろうと思いましたよ?」
優しく声をかけてみれば、リリがもぞりと動いて顔を向ける。紅の瞳が軽くラヴィルを睨んだ。
彼女に睨まれる覚えのないラヴィルは、若草色の瞳を瞬かせる。コシュールが苦笑を浮かべた。
「リリはさみしかったんだとさ」
「さみしい……? どうして?」
リリがふいに顔を歪ませた。
きゅっと眉間にしわを寄せ、口をむぐぐと引き結ぶ。それはまるで、泣き出す寸前にも見えた。
リリはラヴィルの方へ手を伸ばす。ラヴィルも反射的に手を伸ばした。
コシュールを蹴り出す勢いでラヴィルの手を取ったリリを、彼はよいしょと膝上に乗せた。
「リリ、どうしたのですか?」
うんと優しい声音に、リリの紅の瞳に涙が溢れる。
「……ラヴィが、違うって言ったぁ」
うわぁんと泣き出したリリは、顔をくしゃくしゃにさせてラヴィルの胸に顔を埋める。
ぎゅうぎゅうとしがみつくリリに、ラヴィルは困惑混じる顔でコシュールを見た。
「――なるほど。話はわかりました」
一通りの話をコシュールから聞いたラヴィルは、ぐすぐすと鼻を鳴らすリリの背を撫でながら頷いた。
「だからまぁ、うんとなぐさめてやってくれ。俺じゃ、あやすことしか出来ねぇからさ」
そう言ってコシュールは肩をすくめる。
リリからは「あやされてないもん」と文句の声が上がったが、コシュールには黙殺された。
「さあ、リリ。顔を上げてください」
ラヴィルの声に促され、リリはぐちゃぐちゃになった顔を上げる。
見上げるリリの顔に小さく苦笑しながら、ラヴィルは指先で彼女の頬を擦った。
頬の濡れた感触に懐からハンカチを取り出すと、目元に頬、鼻をと優しく拭っていく。リリはされるがままに大人しい。
リリの頬をまた優しく指先で擦り、満足げにふっと笑った。
「うん、可愛い顔になりました」
けれども、リリはいじけたように顔を俯かせる。その気持ちの現れか、ラヴィルの服を少しだけ掴んだ。その指先に、きゅっ、と僅かながらの力が加わる。
ラヴィルは息を一つ落として、リリの手に触れる。
「――設定を、考えましょうか」
設定――。脈絡のないその言葉に、リリ思わず顔を上げた。
「せってい……?」
「ええ。私とリリが一緒に居ても、周りから変だと思われない設定です。リリが私の娘、というような近しい設定は、さすがに少々障りがありますので」
ラヴィルが困ったように笑う。
「だからといって、なんの繋がりもない子を家に置いていると思われるのも、それはそれで障りがありますし」
リリが不安で瞳を揺らす。ラヴィルは彼女の頭を撫でることでそれを和らがせながら、ふっ、と息を吐くように笑った。
「リリは私の遠縁――ということにしましょう。理由あって遠縁の子を預かっている体ならば、不自然ではないでしょう」
「――ま、リリとラヴィルは髪色似てんしな。近すぎず、かといって遠すぎない関係性っつーなら、その辺りが丁度いいのかもしんねぇな」
自分の黒髪を指先で弄びながら口を挟むコシュールに、ラヴィルは、ええ、と頷き返す。
リリの髪は白の色。ラヴィルの髪は灰白の色。近いというには遠く、遠いというには近い――色。
遠縁の間柄ならばしっくりする。
「次からはそう伝えますね」
リリを見下ろし、その頭をふんわりと撫でる。
ラヴィルを見上げる紅の瞳に膜ができた。
繫がりがうまれるということは、居場所ができるということだ。
精霊であるリリに、人の暮らしの中での居場所をくれた。それがどれだけ嬉しいことか、きっとラヴィルはわかっていないのだろうな。
瞳にできた膜が厚みを持ち始めると、やがて重みによって剥がれ落ちる。
口を引き結び、むぐぐとしながらも、リリは大きくこくりと頷いた。
そして、飛び込むような勢いでラヴィルに抱きつく。
ありがと、の声はぐぐもってしまったけれども、背に回してくれた腕が優しくてあたたかったから、リリの声はラヴィルにきちんと届いたようだ。
あたたかくて何かが埋まるような感覚に、リリは静かに、ああ、満たされているな、と感じるのだった。
*
コシュールお手製ホットミルクの入ったマグカップを両の手で持ち、リリは満足したようににんまりと笑った。
場所をダイニングに移した三人は、それぞれマグカップを手にしてテーブルを囲む。
ラヴィルとコシュールは、時折マグカップに口を付けながら談話する。その様子を眺め、やっぱりにんまりとしたリリは、ぽわぽわとした心地で湯気立つマグカップに口を付けた。
優しくて甘いコシュールのホットミルクが、口の中でじんわり沁みるように溶けていく。
「おいしい……」
白ひげをつくりながら、ふわぁと緩い吐息がもれる。
誰かと共有する美味しさは、よりその美味しさを際立たせるような気がした。
一人で口にするよりも、あったかくて美味しい――アミの言った通りだ。
そのことを噛み締めていると、ラヴィルの声が飛んでくる。
「――はい。それで私にもできることがないかと、フロリさんから話を聞いていました」
リリは顔を上げ、ラヴィルを見る。
その向かいでコシュールが「ふぅん。んで?」と続きを促していた。
「彼女は最近親元を離れて働き始めたようですよ。それから少しして、寝付けない日々が始まったようです」
「なぁるほど。そんで夢喰らいの魔族に付け入られたわけか」
「ええ。話を聞いていたところ、彼女の根底にあるのは、親元を離れたさみしさのようですから」
ラヴィルがマグカップを口へ運び、そこでふと彼の視線がリリへ向けられる。
苦笑した彼が手を伸ばし、ハンカチでリリの口周りを拭いてくれた。
「リリはなんだか嬉しそうですね?」
「うんっ! みんなで飲むホットミルクはおいしいなって思ってっ! ぽわぽわ、あったまるの」
リリがにんまり、むふふぅと笑って見せれば、ラヴィルも口元を緩めて仄かに笑う。
――と。リリのまとう空気が色を変えた。
真面目な顔付きになったリリは紅の瞳を瞬かせる。同時に、それを察したコシュールが席を立つ。
ラヴィルはマグカップに口を付けつつ、静かに口を開いた。
「――匂いました?」
「うん、匂った。それも、濃く」
リリの瞳がちろりと光を帯びる。が、それは瞬き一つですぐに掻き消えた。
ぐびぃーと、ホットミルクを一気に飲み干すと、マグカップをテーブルに、こんっ、と少し雑に置いて立ち上がる。少しだけ残っていたホットミルクがテーブルに飛び散った。
あ、と口を開いて、ちらりとラヴィルを見やる。彼は仕方ないなと眉を小さく上げる。
「いいですよ。私の方で片しておきますから」
「うん。ごめんね、ありがとう」
「お、ありがとさん」
どさくさ紛れに、コシュールもリリの置いたマグカップの隣へと、自身が使っていたそれを置く。
「よろしく」
片手をひらりと上げ、コシュールはリリの隣に並んだ。
リリは既に夢渡りの力を開放し始めていた。彼女の髪が力の奔流により、ふわりと浮き上がる。
そこに並んだコシュールの髪もふわりと浮き上がり、背に流して一束に結われたそれがうねる。
リリからきらめきが溢れ、ラヴィルは口を付けていたマグカップを置いた。そして、視界の中に二人の姿を収めて口を開く。
「リリ、コシュール。いってらっしゃい、気を付けて」
二人の紅の瞳がぱちりと瞬く。
リリは瞳を嬉しそうに、コシュールは瞳に呆れをにじませた。
「いってきますっ! ラヴィ」
「まあ、いってくんよ」
多くのきらめきが溢れる中、リリが大きく手を振ったのを合図に、そのきらめきと共に二人の姿は掻き消えた。
しんっ、と音がしたような静けさが広がり、ゆったりとそれを埋めるようにマグカップからは湯気が立つ。
ふっ、と息をはいて笑ったラヴィルは、そっとマグカップを口に運ぶ。
ホットミルクを味わいながら、ぽつりと呟きを落とした。
「今度は『いってらっしゃい』が言えましたね」
ちろちろと揺れるランプの明かりが、嬉しげなラヴィルの横顔を照らしていた。




