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殻の杖造りミュアナ  作者: 機水 鴨
序章 当主ミュアナ
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第5話 葬儀へ(草むら)




「ヒッ、ヒッ」


 うずくまるミュアナの息は荒い。引き攣ったように何度も細く吸って、


「ふっ、ふぅ、ふッ、フゥゥゥ」


 途切れ途切れに息を吐く。

 深夜、風音と草擦ればかりが続く道端でも、荒い呼吸音は鮮明に浮き出ている。地上に降りてしばらくののち、ミュアナは未だ道端に縮こまって、体を震わせているのであった。

 そこは車道だ。石畳の破片がところどころ土に埋まっていて、そんな土の道が先まで延々と続いているが、ミュアナはちょうど道端に縮こまって、車道の方から草むらに顔だけ差し出している。街とは反対の、外界の方を向いているのである。そして、草むらの中、何度も嘔吐した結果と向き合っているのだ。


「うう、ううう、いかなきゃ、いかなきゃ……」


 呼吸の間に、呻き声と必死な繰り返しが挟まる。だが、その後も口は半分開いたまま閉じることができていない。

 嘔吐を繰り返したのち、ミュアナは口から垂れたよだればかりを草むらに落としていた。


「まだ大丈夫だよ、時間はあるから、まだ大丈夫」


 一方、縮こまるミュアナの側ではアリリヤがしゃがみ込んで、声を掛けながらミュアナの背を撫でている。

 そばに革の水袋を置いて、ミュアナの背を撫でながら、ただ自分の黒ローブをきつく握りしめて大きく皺を作っているのである。

 するとその時、ミュアナが再び嘔吐した。


「――!」


 苦しそうな呻き声と共に、びちゃびちゃと水音を立てて草むらに液体が撒かれる。もはや固体は皆無であり、草は水気ばかりを帯びて、地面も濡れるばかりである。

 それを見てアリリヤは悲痛な顔をして、それでもミュアナを撫で続けるのである。

 するとその時、少し落ち着いたミュアナが言うのだ。


「いまいかなきゃ……いまいかなきゃいけないの。いまいかなきゃ……、これからさきもずっと、とおくからながめてるだけで、おわっちゃうから」

「……」


 ミュアナの独白のような言い方に、アリリヤは何も言えないまま、ただ背を撫で続ける。

 しかし、ミュアナはさらに訊く。


「……わたし、いまどんなかおしてる?」


 呂律が回っていない。その質問にアリリヤは答えながらさらにローブを強く握った。


「……泣いてる」


 ミュアナは涙も流していて、よだれと共に草むらへ落としていた。だが、ミュアナの表情で目立っているのは涙だけではない。ミュアナは荒い呼吸の最中にもう一度訊く。


「……それだけ?」


 するとアリリヤはミュアナの顔を直視しつつも、泣きそうな声で答えるのであった。


「……笑ってる」


 笑っていた。泣き笑いというような笑いではない。笑顔。多くの人が、何か面白いことと出会って笑う時と、同じ表情。

 ミュアナの口角はつまり歪んでいたのである。目からは涙を流して、口からは涎を垂らして、草むらの吐瀉物と向き合いながら、しかし笑っていたのだった。

 草むらに披露しているミュアナの瞳は、未だ極彩色で細切れのままであった。


「いやだ…………無表情の訓練だってしたのに……、悲しいのに楽しくて、楽しいのに怒ってて……心が……心が……分割される……」


 言いつつ、ミュアナは手でグニグニと顔を歪めようとする。するとその間にもミュアナの背を撫で続けるアリリヤが訊くのだ。


「この時間だから?」

「……人の夢はいろんな感情を含むんだよ」 


 ミュアナがそう答えて、すると顔を歪め終わったミュアナが、アリリヤに顔を見せて訊くのである。


「どう? 無表情できてる?」


 顔を上げたのでミュアナの表情は月明かりに照らされる。だが、その顔にはいまなお笑顔が張り付いていた。むしろ先程よりも、口角に不自然さが表れている。口角の上がりが完全には抑えられておらず、目もひん剥かれて、極彩色の瞳が剥き出しになっている。

 それを見て、アリリヤはぎりっと歯を噛み締めた後に、ローブのポケットからハンカチを取り出して、


「……まだ、笑ってる」


 慎重にそう言いつつ、ミュアナの口元を拭いた。

 そしてハンカチが離れた後にはもう、ミュアナは堪えることをやめてしまっていた。


「そっか……」


 そう言うミュアナの顔に再び涙が流れる。その笑顔は楽しげだった。

 その笑顔を見て、するとアリリヤもとうとう顔を歪めて、涙を流したのだった。


「ごめんねミュアナ、ごめんね……」


 アリリヤの表情は苛まれているような表情であった。眉間はきつく寄って、口元はわなないて、大粒の涙が目から溢れて、ぼたぼたと落ち続ける。


「お姉ちゃんのせいじゃないから」

「私のせいだよ、10年前のあの事故のせいで……」


 そこまで言いかけて、しかしアリリヤは咄嗟に手で口を塞いで、口を噤んだ。途端に涙がアリリヤの頬から手に流れ移る。

 だが、一方のミュアナはその時アリリヤの胸を見ていた。じっと、真剣に、まるで宝石を見つめるかのような目つきにいつの間に変わっていた。そして言うのである。


「そうか……その手が……」


 呟いた直後、ミュアナはがばっとアリリヤに抱き着いた。


「わっ、ミュアナ⁉」


 勢いよく抱き着かれたためにアリリヤは後ろに倒れ込んだが、しかしミュアナは構わず、アリリヤの胸に顔を押し付ける。結果、ミュアナの眼とアリリヤの胸の間に隙間はなくなって、ミュアナはアリリヤのエーテルを間近で見つめたのだった。


「動かないでお姉ちゃん」

「でも! いま私のを感じさせるわけにはいかないでしょ⁉」


 そう言って泣きながらもがくアリリヤ。しかし、ミュアナは冷静に言う。


「……この十年間でわかったことがあるの」

「え?」


 アリリヤの抵抗がやや弱まる。


「感情の写り方には法則があるの」

「法則?」

「うん、それが距離と強さの関係」

「距離と強さ……」


 ミュアナの声はどんどん冷静さを増してく。その声を聞いて、アリリヤも動けない。


「強い感情ほど強い光になるんだけど、強い光ほど写りやすいの。薄い光よりもね」

「それは聞いたことがあると思う」

「うんでもね、強い光だろうが、弱い光だろうが、純粋な距離が離れてると写り方が弱くなるんだよ」

「やっぱり……そうなんだ……。だから、家から街を見た時より、降りて来て街を見た時の方が苦しそうなんだね? 家だと、高さがある分、写り方が弱くなるんだ」

「うん、そう」


 もはやミュアナの声に先程の乱れた様子は一切なかった。


「だから、逆を考えればよかったんだ」

「え、どういうこと?」

「街の人たちと、お姉ちゃん、どっちの光の方が強くて近いのかっていうこと」

「え……?」


 アリリヤがぽかんと大口を開けて、胸にしがみつくミュアナを見つめる。次の瞬間、


「わ、私ので上書きしてるのー⁉」


 深夜をかき消すほどの大声であった。しかしミュアナはのんきに言うのである。


「うん、もう大丈夫」


 そしてアリリヤから離れると、顔を上げてアリリヤに顔を見せた。

 アリリヤは綺麗な紫の瞳に見つめられたのだった。ミュアナの瞳からは極彩色が消えていて、代わりに鮮やかな紫一色の瞳になって、ゆらゆらと海面のように揺れていた。

 ミュアナの表情も一切瑕疵の無い無表情であった。


「これでどう?」

「ど、どうって……、ええと……無表情はできてるけど……、もう苦しくないの?」

「うんもう大丈夫。水、もらっていい?」

「いい、けど……」


 平気そうな声で、アリリヤのそばに置いてあった水袋を取るミュアナに対し、アリリヤは混乱を前面に出した表情でただそれを見ていた。


「ふうう。ありがとうお姉ちゃん」


 ミュアナが水を嚥下したあと礼を言ったが、アリリヤはすると、何かに気付いたように困惑を表情に出して、おそるおそる訊くのである。


「わ、わたしの……なにを感じたの……?」


 言いつつ、アリリヤは胡乱な目でミュアナの紫の眼を凝視する。対してミュアナはす――――っと目を逸らしたのだった。


「やっぱり今日はかなり風が強いね。さっきの風もすごかったし」


 目を逸らした先の、木に目を留めた。草むらから向こう、木が風に吹かれて枝葉を大きく揺らしている。そのさらに向こうには、外界と内界を分ける純エーテル網があり、その地上部を固める防壁が見えたのだった。防壁の向こう外界の景色はやはり見えない。

 と、ミュアナは視線をうろちょろさせていたが、しかし、


「ミュアナ」


 ただ一言呼ぶアリリヤの声。普段よりずいぶんと低い声である。

 その瞬間、ミュアナは肩を震わせて、必死に言った。


「そ、そろそろ行かなきゃ! 行こうかお姉ちゃん!」


 そう言ってさっさと立ち上がろうとした、その瞬間、


「あ——れ……?」


 ぐらっと体が揺れて、アリリヤ側に倒れ込んだのである。


「ミュアナ!」


 すかさず両腕を伸ばしたアリリヤに捕まえられて胸に抱きとめられたが、ミュアナは確認するように自分の手を握ったり開いたりしてから、呟く。


「力が……」

「入らない?」

「うん」


 すると、アリリヤが提案する。


「やっぱりもう少し休んだ方がいいよ、浮遊車の練習のために相当早く出たから余裕もあるし。それに、エテル眼になってすぐの頃に地上へ降りた時だって、これほどじゃなかったよ?」

 

 しかし、ミュアナは首を縦に振らない。


「ううん、もう行きたい。お姉ちゃん、私を浮遊車に乗せてくれる?」

「できるけど、でも……」


 アリリヤが躊躇していると、ミュアナが決意の滲む声で言うのだ。


「私はこれに慣れないといけないから……これからはこれが日常になっていくから……」


 真剣な声音が深夜に散る。すると、アリリヤも心配そうな声と顔を引っ込めて、ミュアナに頷くのであった。


「わかった、行こう」


 そしてアリリヤはミュアナの脇に手を入れると、ぐんと一緒に立ち上がった。しかしミュアナの膝はやはり震えている。


「歩くよ?」


 ミュアナも答える。


「うん、行こう」


 ミュアナはアリリヤの肩を借りて、ふらふらと体を揺らしながら、それでもアリリヤと揃って足を踏み出したのであった。


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