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殻の杖造りミュアナ  作者: 機水 鴨
序章 当主ミュアナ
1/5

第1話 当主と家族

 その部屋は物の色すら曖昧なほどに暗く、かつ、人の肌を痛めるような冷気が充満している。

 ほとんどの物は輪郭すら明らかにしていない。壁も床も物も、部屋の全てがぼやけていて、そのうえ、冷気に染められた結果、それ自体も冷気を発している。

 壁には窓が設けられているが、外は見通せないほどに暗い。ゆえに光もほとんど入ってこない。

 したがって、部屋は常に暗いままで、それ以上暖かくなることもなかった。

 しかし、いま、その瞬間、部屋の奥に建つ暖炉だけが、変化を見せた。

 暖炉のなかに、弱弱しい白光が灯ったのだ。光はぼんやりと明滅を繰り返して、だがすぐに輝きは安定した。

 そしてごく僅かな白光を部屋に放ったのだった。

 それで部屋が明るくなるわけではない。依然として部屋は暗いままである。だが、暖炉を囲んで存在する二脚の椅子を、わずかに、そして確実に照らし出した。

 そして直後、声がした。


「いかんな、薪がないか」


 声の主は白光を遮って暖炉の前に現れた。人影が、椅子の代わりに照らし出される。

 それは老いた男であった。厳しい冷気に震えることなく、真剣な表情で光と顔を合わせている。癖のある長髪を後ろに撫で付けて、口には同じく白い口髭と顎髭をたくわえて、眉間には深いシワが刻まれている。

 老人はその後、少しして、腕組みを解くと、手のひらを見つめて、のち、そのまま腕を軽く振ると言った。


()()


 瞬間、どこからともなく薪が現れた。薪の断面は、無理やり引き剥がしたかのように荒く、鋭い。ささくれだった薪が、老人に刺々しい影を作っている。

 しかし、老人はそんな薪を平然と掴むと、のち、今度は片膝をついて、炉の中を検分し始める。

 炉の中は長年掃除をしていないかのようにひどく汚れていた。内壁には真っ黒な煤が大量に張り付いていて燃焼床にも灰が大量に積もっている。

 だがいまは、それら全てを光が照らしていた。積もった灰の表面の、ごく一部に白光が輝き、小さいながらも、灰を照らしているのだ。

 老人はそれらを検めると、再び薪に視線を戻して、頼りなげに呟く。


「これで足りればいいが……」


 そう言って、すると、薪を暖炉に突っ込んだ。そして、輝く光の上に、慎重に優しく、丁寧に置いた。

 それから老人は立ち上がると、再び腕を振るう。


「変換」


 同じ言葉が響く。途端、薪の表面にポッと小さい火が付着して、すると火はじわじわと薪を焦がし始めて、やがて、焦げついた部分から弱々しい火が発生したのだった。

 しかし老人は眉間にシワを深く刻んでまたも呟く。


「これでは足りんか」


 そう言って老人は、すぐに腕を振る。


「変換」


 再び老人の目の前に薪が生まれて、すると老人は再び薪を炉に入れる。そうして同じ作業を何回か繰り返したのち、燃焼床には薪が積み重なることになり、白い光は一切見えなくなって、代わりに炎が大きく踊り始めたのだった。

 炎はパチパチと火花を飛ばして燃え上がる。何度も先端をくゆらせる。そうしている間にも、光と熱を部屋に広げてじっくりと冷気を取り払っていく。

 そのなか、炎に照らされた老人は腰に両手を当てて、満足げに頷いた。


「これでいいな」


 のち、くるりと後ろに振り向いた。

 するとそこには、先程白光に照らされた二脚の椅子と、その間に落ちた老人の長い影、そして、


「ミュアナ……」


 椅子で眠る二人の少女であった。

 一方の椅子は木製で傷や古さが目立つ安楽椅子であり、もう一方は綺麗な革のソファだったが、いまはどちらにも少女が眠っていた。

 安楽椅子の少女は、白いカーディガンを羽織ったまますやすやと眠りこけていて、白さは炎の暖色に染まっていた。

 革のソファに眠る少女は姿勢よく眠っていて、白いメイド服が同じく暖色に染まっていた。

 老人はそんな二人の少女を見て、安楽椅子の方に近寄って、影で覆うと、少女の頭をそっと穏やかに撫でる。


「お前には……苦労をかけるな」


 ただ一言、悲痛に塗れた声でそう言うと、あとは無言になって、宝石を触るかのように頭を撫で続ける。

 するとミュアナと呼ばれた少女がゆっくりと目を開く。


「ん……」


 ぼんやりとした目で顔をあげて、それから目を擦って、のちほとんど開いていないままの目で前を見た。

 それで視界に収まったのは、逆光を受けながら頭を撫でる老人の姿で、それを認めたミュアナが撫でられながら言う。


「おじいちゃん?」


 のち、また目を擦るミュアナに対し、老人の方も表情から険を払うと、やや緩んだ目でミュアナを見た。


「よく眠れたかミュアナ」


 そう言って微笑みながらミュアナの頭を撫でこくって、するとミュアナも満面の笑顔で老人に抱きつきながら、


「うんおじいちゃん、こんなに寝たのはすごく久しぶりな気がする……」


 そう言うが、しかし抱きついたままあくびを一つ漏らす。


「ふわあ……」

「くっくっく、まだ眠そうだな、もっと寝てればどうだ」

「ね、眠たくないよ大丈夫!」


 老人がミュアナの頭をくしゃっと撫でると、ミュアナはバッと老人から離れて、反動で揺れる安楽椅子であたふたするばかりであった。


「ほんとにもう起きたから!」

「なら、目を見せてみろ」


 ミュアナがさらに言い募るが、しかしその時、老人の手がミュアナの顔を包む。さらに上から覗き込まれた。

 途端ミュアナの髪がさらりと落ちる。表情は呆けてしまって、ミュアナはただただ老人と視線を合わせるだけであった。


「おじいちゃん?」

「……」


 ミュアナの黒い目に老人の顔が映る。逆光で老人の顔は暗く、微笑みが消えていることだけはミュアナにも見て取れた。

 少しして、老人は神妙に頷くと、すぐに呆れたような声音で笑ったのだった。


「ふっ目が腫れてるな」

「寝過ぎってこと⁉︎」


 顔を掴まれたままでミュアナが威勢よく突っ込むものの、しかし老人の呆れ笑顔は変わらない。


「くく、いいや、お前はもっと寝た方がいい。いつも夜更かししすぎだ。まだ6歳のくせに昼寝もしねえしなあ」

「で、でも6歳ならもう十分大人っていうか」

「そんなわけねえだろアホ」


 老人はアホと言いつつ、手を離すついでにぽこっとはたくのであった。

 するとミュアナも負けじと、再び老人に抱きついて、視線から火花を飛ばす。


「おじいちゃんだってもう歳なのにお酒ばっかり! もうちょっと控えて!」

「それは仕方ないことだ。あまり年寄りに無茶を言うな」

「じゃあ私も夜更かしするから!」

「それとこれとは別の問題だな」


 老人はとぼけ顔でミュアナを撫でつつ、受け流すのである。ミュアナの方も勢いをそがれてどんどん顔が悔しそうに歪むのであった。

 けれども、ミュアナはそこで一息つくと、


「なら私が夜更かしをやめるから、おじいちゃんもお酒をやめて!」


 そう言い放った。真剣な眼差しが老人を貫く。

 しかし、対する老人は一瞬考えるように天井を見たのち、すぐにニヤッと笑って、


「ふむそれならいいだろう。これからはちゃんと寝るんだぞ」


 そう言って、ミュアナと目を合わせる。しかし、老人はその時目が笑っていて、対するミュアナは一気に深刻そうな顔つきになって腕を組んで唸り始めたのであった。


「うう、うううう嵌められた気がする……。おじいちゃん、その顔絶対何か企んでる……なにかおかしいとこあったかな……」


 安楽椅子を前後にカタカタと揺らしながら、うんうん唸るミュアナ。老人はそれを見て、追加で喉を鳴らして笑う。


「くっくっく、まあいいじゃないか。ほらあっちのアリリヤにも心配をかけてるんだからちゃんと寝ろ」


 老人がアリリヤと言ったその瞬間、ミュアナは老人の視線を追って、弾かれたように隣のソファを見た。

 ミュアナの目が見開かれる。その目にはもう眠気など微塵もなかった。

 ソファで眠るメイド服の少女は未だ炎の光を受けて眠っている。揺らめき続ける炎光が少女の黒髪から艶を引き出して、同時に白いメイド服を暖色に染めている。

 ミュアナはめいっぱい開いた目でその景色を納めて、かすかに呟く。


「お姉ちゃん……」 

「アリリヤはまだ眠ってるようだな」


 老人がアリリヤと呼ぶその少女。

 アリリヤは、目を閉じて規則正しい寝息を立てている。手をソファに投げ出したまま、胸がゆっくりと上下していた。

 すると、ミュアナが、途端に心配そうな顔になって、自分が羽織っていた白いカーディガンを掴んだ。


「そういえば、部屋寒いよね……、これあげようかな……」


 けれども、行動には移さない。眉間を寄せて、自分のカーディガンとアリリヤを交互に見るだけである。

 すると、


「掛けてやりたいなら、掛けてやればいいだろう」


 老人がミュアナを見つめてそう言うのだった。

 だが、それでもなお、ミュアナはアリリヤの方を見つめて、俯いた。


「迷惑じゃないかな……って」


 ミュアナは口を引き結ぶ。さらに泣きそうな表情をして、アリリヤの方を見る。が、やはり見るだけ。

 同じ暖炉を囲っているためアリリヤはすぐそこにいるのだが、しかし手を伸ばしただけでは届かない距離であった。


「……喧嘩でもしたのか?」

「喧嘩っていうか……。ずっと距離を置かれてて……。前みたいに、ただ頭を撫でてあげたいだけなのに……」


 尻すぼみに言うミュアナ。視線はてのひらに落ちていた。

 しかしその時、老人が笑いだした。


「ふっ、くっくくくく」

 

 老人が喉を鳴らしておかしそうに笑う。すると、ミュアナはぽけっと老人を見上げた。


「くっくっく……」


 しかしなおも笑いが止まらず肩まで震わせ始めた老人を見て、ミュアナは一気に目を眇めた。


「おじいちゃん、笑うところじゃないんだよ?」

「くくく、いや、すまんすまん。お前ら二人を見てると、自分がばからしくなってな。くっくくくく……」

「ばからしいって……、いっぱい悩んでるのに……」


 ミュアナが思いっきり眉間を寄せて視線を送るものの、しかし老人は笑い続けて、しばらくしてからようやく止まった。

 そして老人はアリリヤに視線をやると、目元を緩ませながら言うのだった。


「お前たちは似てるんだよ」

「え? どういうこと?」


 ミュアナも訊き返しながら、思わずアリリヤの方に視線を送る。すると老人が続ける。


「つまり、アリリヤもお前も、いつも同じことで悩んでる、ということだ」

「私とおなじ悩み……?」


 ミュアナが老人の横顔を見上げて訊くと、老人もミュアナと目を合わせる。


「ミュアナ、お前は『自分に何かしてもらうのが申し訳ない』とか『自分のせいで相手に迷惑がかかったらどうしよう』とか、そんなことをつらつら考えてしまうくせに『相手に何かしてあげたい』と思ってる。だからいまもそれをアリリヤに掛けようとした。少しでも暖かくしてほしいと思ってな。そうだろう?」


 そう問いかけられると、ミュアナは目を真ん丸にして、老人を見つめ返す。


「どうして……」

「そこまで分かるのかってか? 当然だ、俺はお前たち二人の祖父だからな。それにお前たちは至極わかりやすい」


 そう言って、老人はにやりと笑うと、続けた。


「お前の悩みは、アリリヤに何もできないことだ。違うか?」

「合ってるよ……」

「だろうな。まったく……、お前たちは血が繋がってないなんて信じられんくらいに姉妹だ」


 老人は再びアリリヤを見つめる。


「アリリヤは人の好意を受け取らない。むしろ避けている。だからお前も迷ったんだろう?」

「うん……、お姉ちゃんが起きたら遠慮しちゃうかなって思って……」

「そうだな、アリリヤのことだ。起きれば、急いで返そうとするだろうな」

「うん……お姉ちゃんは遠慮ばっかりするから何も受け取ってもらえなくて……、いやそもそも……」

「自分の好意はアリリヤの気持ちを無視した押し付けなのかもしれない、そう考えてしまうんだろう」

「……うん」

「だからこそ、アリリヤに遠慮させてしまうこと自体も、ある意味では迷惑であると解釈してる。だから迷った、そして何もできなくなる」


 言い切る老人の真剣な眼差しがミュアナを貫いて、するとミュアナは避けるように顔を背けるのだった。


「うぅ……全部合ってるよ……なんでわかるのぉ……」

「くっくっ、お前たちはつくづく姉妹だ」


 それから老人はひとしきり笑うとしゃがみこんだ。

 途端、ミュアナを覆う影が短くなって、ミュアナと老人の高さが揃う。


「お前のその考えと悩みは一から十までアリリヤと同じだ」

「お姉ちゃんと……?」


 ミュアナがアリリヤを見て、老人は、ミュアナが羽織る白いカーディガンを指差して続ける。


「そのカーディガンは誰が編んだものだ?」

「これは……って、おじいちゃんも知ってるでしょ?」


 言いつつミュアナは、カーディガンを外して膝に載せる。それから大事そうに撫でる。


「そうだな、それはお前の6歳の誕生日にアリリヤが編んだものだな」

「うん、大人になっても着られるようにってかなり大きく作ってくれて……」


 カーディガンを見るミュアナの表情は柔らかい笑みだ。すると老人は可笑しそうにニヤッと笑って、


「じゃあこれを作る時、アリリヤが俺に質問してきたことは知ってるか?」

「え……? 知らない……なにそれ」

「あいつはな、こう訊いてきたんだ『私なんかが作ったもので、ミュアナは迷惑じゃないでしょうか』ってな」


 瞬間、ミュアナは、アリリヤの方へ勢いよく振り向いて、思いっきり目を見開いた。ミュアナの黒い瞳は零れそうなほど、強く滲んでいた。

 老人が、変わらずにまにまと、口元を綻ばせて言う。


「全く、同じことばっかり言いやがって。ほれ、いってこい。というか何歩も歩くわけじゃねえ、すぐそこだろうが」

「わかってるけど……、うん……そうだね、いってくる」


 そう言ったミュアナはカーディガンを掴んで、椅子から立ち上がった。安楽椅子が反動で揺れて、少しして止まる。

 その間、ミュアナは真剣な眼差しでアリリヤを捉え、それから一歩を踏み出して、老人の影から出たのだった。

 途端、ミュアナも炎の暖光に照らされて、そのまま一歩、二歩、三歩、と歩く。真剣な表情はアリリヤを捉えたままだった。

 そしてソファの前までたどり着いたミュアナは、背に暖炉の光と熱を受けながら、アリリヤと対峙したのだった。


「お姉ちゃん……」


 ミュアナが小さく呼ぶ。アリリヤはミュアナの影に覆われたが、それでも起きる気配はない。なおもソファにもたれて眠っていた。

 ミュアナはそんなアリリヤの姿を認めて、カーディガンを掛けようとして、だが、途中で手を止めてしまた。すると次に、じーっとアリリヤを観察し始めた。後ろから「何をしてるんだ何を」という小声の野次まで飛んでくるが、しかし、ミュアナはお構いなしに観察する。

 アリリヤのメイド服は汚れ一つない。暖色が消えた今は白さが際立っている。肩でたゆんだ黒の長髪も艶々としている。

 そして6歳のミュアナよりも、6歳年上だからこそ、アリリヤはミュアナよりも身長が高く、体の大きさも違っている。その証拠に、アリリヤは床に足がついていた。6歳のミュアナにはそのソファだとまだつかないのである。

 そんなアリリヤを、ミュアナは上から下までまじまじと見て、次に顔を見つめて、それからようやく再びカーディガンを広げたのだった。

 

「お姉ちゃん、いつもありがとう……」


 そう言って、広げたカーディガンを優しく掛けた。そののち、手を慎重に動かして、アリリヤの頭に優しく置いて、一度だけ、丁寧に頭を撫でたのだった。

 それでさらに嬉しそうな表情になったミュアナは、手を離そうとして、しかしその時、


「ミュアナ……?」


 呼び声がミュアナの耳に届いたのだった。それは老人の声ではない。しかしてミュアナの声でもなかった。

 ミュアナは、一瞬固まったあと、ゆっくりと視線を下ろした。ゆっくりゆっくり、ミュアナの視界が、アリリヤの姿を捉える。

 すると、アリリヤの寝ぼけ眼が、ミュアナを射抜いたのだった。


「お、お姉ちゃん……」


 離そうとした手は、いまだアリリヤの頭に乗っている。手は全く動かない。

 次いで出た言葉はただの挨拶であった。


「お、おはよう……」

 

 全く笑いきれいていない笑顔で笑いかけるミュアナ。

 だが、その間にもアリリヤの目はみるみる開いて、やがて開ききると、次の瞬間には思いっきり見開いて、目を泳がせまくるのだった。


「ミュ、ミュアナこれはいったい、どど、どういう、あの——」

「お、落ち着いて、お姉ちゃん」

「だ、だってミュアナの手が、ミュアナの手が……!」

「ち、ちがうの! ちょっと………えっと……!」

「あぁぁぁぁ、ミュ、ミュアナの手……、ど、どうして……!」


 二人ともあたふたとしてしまって、一向に話は進まなかった。

 その時、


「まったく……、お前たちは本当によく似てる」


 見かねた老人が割って入ってきたのだった。

 しかしその途端、アリリヤがバッと老人の方へ振り向いて、一瞬で顔を青くした。

 

「あっ、わ、私……寝て……、ね、眠ってしまって、大変申し訳ございませんでした!」


 アリリヤは即座に立ち上がって、勢いよくお辞儀した。メイド服のスカートが揺らぐほどであった。

 けれども、シェキナは首を振る。


「謝るんじゃない。アリリヤも疲れていたのだろう?」

「そうだよ、お姉ちゃん大丈夫だから」

「……すみません」


 アリリヤはお辞儀のままだ。

 すると、老人が息を吐いてから、真剣に言った。


「……二人ともこっちに来なさい」


 その言葉に、アリリヤはようやく顔を上げて、おそるおそる老人に近寄る。ミュアナも不思議そうな顔をしながら同じく近寄って、暖炉の炎が三人全員を照らした。

 しかし老人は沈黙したまま、ミュアナと目を合わせて、次にアリリヤと目を合わせる。目を合わせられた二人は不思議そうな顔で老人を見つめ返すが、だが、次の瞬間、二人の表情は驚愕へと変わったのだった。

 二人は、まとめて、老人に抱きしめられたのである。


「おじいちゃん⁉」

「……!」


 ミュアナがほとんど叫ぶように老人を呼んで、アリリヤは言葉も出ずただ老人を見つめる。

 すると老人が言う。


「お前たちは、言葉を信用しないからな。行動で表現することにした」


 そこで言葉を止めた老人は、まずアリリヤを見つめた。


「アリリヤ、お前にとって、俺とミュアナは家族か?」

「……はい。……家族だと思っています」


 答えるアリリヤの顔は赤い。それを隣のミュアナが嬉しそうに、にまにまと口元を綻ばせつつ見ていた。

 そして次に老人はミュアナを見た。


「ミュアナ、お前はどうだ? 俺とアリリヤを家族だと思うか?」

「もちろん家族だと思うよ」


 ミュアナは真っ直ぐ見つめ返す。今度は隣のアリリヤがそれをちらちらと横目で見ながら口元を緩めていた。


「なら俺たちは家族だ。誰が何を言おうとな」


 老人はそう言い切って、さらに強く二人を抱きしめる。少しの隙間も許さないように。


「お前たちはよく似ている。よく働くところも、自分を否定するところも、相手を思いやるところも、……気を回しすぎるところもな。だからこそ、これからもすれ違うことはあるだろう」


 そこで老人は言葉を止めて、そして、続ける。


「だからその時は、言葉ではなく行動で伝えろ。行動で愛を示せ」

「行動で?」

「そうだ。いまの、俺のように」


 老人の目は強い光を湛えていた。


「俺はお前たちを愛している。いつどこにいてもお前たちのことを思っている。何をするにしてもお前たちのことを思い出す。その気持ちを伝えるには『愛している』では足りないのに、それ以上の言葉を俺は知らん。だから、お前たちがすれ違った時に使うべき言葉を教えられん」

「……うん」

「はい……」

「だから少しでも伝えるためにこうやって抱きしめろ、相手を思う気持ちを言葉以外の全てで伝えろ」


 老人がさらにミュアナとアリリヤを抱き寄せて、すると、三人の額が触れ合う。

 その時、ミュアナとアリリヤの頬を、涙が伝っていた。


「ありがとう、おじいちゃん……」

「ありがとうございます、()()()()様……」


 そう言って二人も老人を抱きしめる。強く。腕に籠った力は老人の服の形を変えるのだった。その時、部屋はもう、暑いほどに暖まっていた。

 それからしばらく、鼻をすする音と暖炉の音だけが部屋にこだまして、ちょうど薪の崩れる音がしたその時、老人がニヤッと笑うのだった。


「さて、飯にするか!」


 と明るく言い出すと、二人も、


「賛成!」

「今日は温かいものを作りましょう」


 と続いて、表情を笑顔に変えたのだった。それから老人に放された二人はそれぞれ顔を拭いながら、お互いを見て笑い合ったのである。

 そうして、のち、老人とアリリヤが話しながら、先に部屋から離れていく。


「アリリヤはおじいちゃんと呼んでくれんのか?」

「そ、それはなかなか難しいと言いますか……」


 離れていく二人のそんな声を背景にして、ミュアナは一人振り返る。

 暖まった部屋の、暖炉の中、未だ踊る炎が熱と光を放ち続けていた。だが、薪は徐々に崩れて、灰に変わり果てていく。結果、元々あった灰との区別が消えていく。

 ミュアナはそんな薪の果てを見て、目を細めて、のち、振り返って暖炉に背を向けた。

 するとミュアナの目の前には、老人一人だけが立っていたのだった。


「おじいちゃん……?」


 ミュアナは思わず呟くが、しかし老人は何も答えない。静かに平坦な眼差しでミュアナを見ている。

 そんな老人を見てミュアナは悲し気に微笑んだ。


「おじいちゃん……これは夢?」


 すると老人もようやく笑って、答える。


「ふっ、どうだろうな……、お前がその眼でそう視たのなら、そうなんだろう」

「そっか……」


 途端、ミュアナの目に涙がたまる。滲むどころではなく、涙はすぐに決壊した。

 だが、そんなミュアナを見ても、老人は寂しい表情をするだけであった。そして告げる。


「ミュアナ……、お前にはいつか必ず、問いが降りかかる。その眼がある分、お前は俺より多くのものを視るだろう。だからその時は自分の好きなように答えを出してみろ」

「おじいちゃん……うん、わかった」


 ミュアナは声にまで涙を載せて、それでもしっかりと頷く。

 すると老人は微笑む。


「ふっ、何のことかもわからんだろうによく頷けるな」

「おじいちゃんが、言うことだからね……」

「そうか……」

「うん……」


 ミュアナの目から零れる涙は止まらない。頬を伝って、落ちるたびに消えていく。

 それでもなお、老人はミュアナに近寄らないまま、微笑んで言う。


「ではな、俺はもう行く」

「うん……元気でねおじいちゃん」

「……そうだな、元気というものがあるならな」


 そう言うと、老人は背を向けて歩き出した。

 ミュアナは瞬きすらせず、零れ続ける涙はそのままに、老人を目に焼き付けるように見つめるだけであった。

 するとその時、老人が一瞬立ち止まると、背中越しに言う。


「ああそうそう、たまにはおもちゃ箱を片付けろよ」


 そう残して老人は歩き去ったのだった。




 目覚めたミュアナをまず襲ったのは頬の冷たさであった。次いで、窓から差し込む光がミュアナの目を刺した。そして最後に、夏を目前にした時期特有の、生ぬるい室温がミュアナを包んだのだった。


「ん……」


 嗄れた声で呻く。するとミュアナの首筋を汗が伝っていく。

 それからミュアナは周りを見渡して、目の前の暖炉を視界に捉えた。だがその途端、


「あ……」


 何かに気付いたように声を漏らすと、視線を落とす。

 それでミュアナの視界が捉えたのは、やや疲労感のあるソファの革、床に着いた自分の足、そして、自分の手が抱きしめる壺であった。


「うぅ…………」


 ミュアナの目からは涙がすぐに溢れた。後から後から溢れて、ミュアナの頬を大粒の涙が伝っていく。言葉は出ない、代わりに嗚咽ばかりが出ていく。

 ミュアナが抱いて寝ていた壺は、灰壺(はいつぼ)と呼ばれる陶器壺である。それは中に死者を納める場合、白い表面に死者の名前を刻むのが習わしである。

 ゆえにいま、その表面には〝()()()()・サナガミ〟という名前が刻まれていたのだった。


「うぅぅおじいちゃん……、ずるいよ……、私だけ夜更かしやめなきゃ……」


 ミュアナは灰壺を強く抱きしめる。だが、灰壺からは何も返ってこない。


「こうしたら伝わるんだよね……」


 ミュアナが再び寝息を立てるまで、時間はそうかからなかった。


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