10 約束は呪いになって
時が経つのは早い。一年が終わりを迎えようとしているこの一時を、リンクスはシメオンの自室で過ごしていた。
暖炉の真ん前というベストポジションを陣取ったリンクスは、大満足の夕食を食べ終わり浅くまどろんでいるところだ。
「あ〜食べた食べた大満足〜……これで毛布に包まれば確実に寝ちゃう。北部産のもっふもふパジャマもあればなおよし〜」
アルカディアの生活は地域によって様変わりする。この国は精霊の加護の影響が強いからだ。
例えば南部はそれほど寒くはならないが、北部では雪が積もり道が塞がれてしまうことも多々あるほど。
そんな冬が厳しい北部で作られた毛布はふかふかで暖かく、冬着は最高の手触りと着心地なのである。
「早いなぁもう明日パレードか。結局進展が何も無いまま年明けを迎えるとはね」
手にしたカップの中身を飲み干し呟く。
市街の人々は酒を煽りはじめた頃だろう。夜の王都は冷える為、酒で身体を温めながら年明けを待つのが王国の昔からの慣習だ。
だがリンクスが飲んでいたのは酒ではなく、シメオンの手作りカボチャスープだ。いくらでも飲める美味しさであった。
「少なくとも新しい被害者は出てない。第四が街中で捕物をした噂が広まって抑止力になってる証拠だよ。さすがアルカディア歴代最強の殲滅部隊だ」
食器を片付けに行っていたシメオンが、サービスワゴンを押して戻ってきた。
「さぁ偉大なる魔法使い様。こちらをどうぞ」
リンクスの前に差し出されたのは揚げドーナツだ。たっぷりの蜂蜜がかけられていて、おまけにアイスも付けられている。
勿論リンクスの心を一瞬で鷲掴みにした。デザートは別腹なのだ。
「わぁぁっ、ありがと〜!」
この国の王弟殿下であるシメオンに給仕させるなんて問題行動だが、今この部屋には二人きり。注意する者などおらずリンクスは自由に過ごしている。
「ふふっ気に入った?」
シメオンが笑いながら尋ねる。
言葉にせずとも分かるだろう。先ほどまで満腹だと言っていたのに、ぱくぱく食べていくのだから。
「うん、美味しい。手が止まらない。日に日に腕が上がって恐ろしいほどだよ」
もぐもぐと次々に頬張るのが辞められない。頬が蕩け落ちそうなほど美味しい。
料理の腕ではシメオンに敵わないと、リンクスは本気で思っている。なにせ好みを完全に把握されているからか、口に合わないと思ったことがないのだ。
「そうそう……シメオン様はお部屋にこもって料理の腕ばかり磨いてる〜って、君の家庭教師だった人が嘆いてたよ」
「君に密告したのはラーヴァ先生かな。クーリオ先生達なら、僕が引きこもってることには言及しないだろうし」
引きこもっていたことへの反論はない。シメオンが趣味に没頭するのはもう随分と前からで、本人は今更なことだと開き直っていそうだ。
いつしか趣味と化していたが、本来特殊なきっかけでもなければ王族自ら調理を行うなどありえないことだ。
だがシメオンには、その特殊に値する事情があった。
――食事に毒を盛られたことで、他人の料理に拒否反応を起こしたのだ。
「正解。いや〜まさか自分で作れば? なんて雑なアドバイスがこんなことになるとは。あの時の私は、知る由もなかったよ」
死んでいたかもしれないほどの猛毒は、シメオンに食への恐怖を生み出した。
毒の感知や解毒魔術を使えたリンクスは、事件後しばらくシメオン付きの魔法士だったが、通常任務に復帰し二週間ほど王宮を空けたことで発覚したのだ。
リンクスが共にいなければ満足に食事も出来なくなった。痩せたシメオンの姿を見てリンクスが考えた策は、自分自身の手で調理することだった。
その道のりは、いくつもの壁に当たる険しい道だった。二人とも料理の知識はからっきしだったのだから当然だ。
『ぶっちゃけ食べ物って、大体は焼けばどうにかなると思う。ほら丸焼きってやつ』
ダメに決まっている。
結局こっそり様子を伺ってたラーヴァに咎められ、彼に紹介された人物に二人して師事したのだ。
「これが、未来の我が料理長ティガーとの出会いになるとはね。ラーヴァと仲良くなったのもあの頃だ」
「たしかに思い出してみると、ラーヴァ先生と関わり始めたのもその頃からか。昔からおせっかいで、お説教癖があって面倒だけど、面白い人だった。今度のお説教のお題は、君を独り占めしてた、かな」
「うちの隊の子ならともかくラーヴァは言わないでしょ〜」
笑い飛ばしたリンクスに対し、シメオンはジトっとした目を向けた。
「言うかどうかはともかく思ってるよ、彼だけでなくみんなね。人気者の君の周りには人が多くて、独り占めできる機会は希少。それにシンシアだって、君がここにいるって知ったら乗り込んできそうだ」
「姫様は色んなことに興味津々なお年頃だもん。この間も深夜まで二人でおしゃべりしたよ。家族の話とか愛の話、あと食堂のプリンの話とか〜」
楽しげに話すリンクスの様子に、シメオンは口を尖らせた。
「僕とは全然してくれなくなったのに」
深夜の会合は、そもそもリンクスがシメオンと始めたこと。特別な夜はシンシアだけのものではなかった。
王族の部屋の警護は万全なはずなのに、それを潜り抜け堂々と窓から入ってくるリンクスを笑って出迎えるのは、シメオンだけの特別だったのだ。
「……能天気、鈍感、浮気者」
言いたいことをギュッと詰め込んで吐いた恨み言は、本人には惜しくも聞こえなかった。
気儘な魔法使いは、暖炉の火でマシュマロを焼くことに夢中になっていたからだ。お土産として持ってきていたそれを軽く焼き終えると、シメオンの方を向いて――
「美味しい料理のお礼だよ。はい、口開けて〜」
リンクスはマシュマロ串を手渡すのではなく、シメオンとの口元へと運んだ。
「んっ! ……んむ」
無遠慮に口に突っ込まれた。だが怒るでもなく、むしろ男の機嫌は良くなっている。
(作戦通り〜)
甘い物は無敵だ。
途中から話をあまり聞いていなかったのは、早々に男の不機嫌を察知し食べ物で釣ろうとしたからだ。
三個めのマシュマロを餌付けしたタイミングで、鐘の音が鳴り響いた。精霊教会の鐘が一年の終わりを予告したのだ。
「もうこんな時間か〜ふわぁ……眠くなってきたしそろそろ戻るね」
時間を意識したら急に眠気がぶり返したようだ。帰り支度を始めようと立ち上がったリンクスの手をシメオンが掴む。
「ねぇ、リンクス……僕とも夜更かしをしようよ」
「え〜もう結構遅いよ? 明日はシメオンも出なくちゃいけない式典があるし、寝なくちゃダメでしょ」
「こんな時だけ常識ぶらないで。君は最近シンシアに構ってばかりだ。きっかけは義兄に命令されたからだろうけど……たまには僕にも構ってよ」
「だからこうして遊びに来たんじゃん……?」
リンクスが今日きたのも、今年はシメオンの母親が風邪を拗らせたことで、父親共々王都には滞在しないと聞いたからだ。寂しく過ごしてるかと思えば、飄々と過ごしていたので長居は必要ないだろう。
「もっとだよ……お願い。『約束』しただろう?」
リンクスは虚を疲れた顔になる。
だって、目の前の男があまりしない類の顔をしていたから。そう、まるで迷子の子どものような。
「……しょ〜がないな〜もう少し一緒にいてあげる」
今回の年越しはこの部屋で過ごすことにしたリンクスは、クッションや毛布を敷き詰めたところへ仰向けに寝転ぶ。方やシメオンは、クッションを抱きしめうつ伏せで隣に並んだ。
「なにその可愛い寝そべり方……これが女子力の敗北ってやつ?」
リンクスのボケを完全にスルーしてシメオンは話し出した。
「……リンクスは昔から浮気者だったけど、シンシアにはいつにも増してつきっきりになってる」
「浮気者って……前提として、私は別に誰のものでもないけど」
「うん。リンクス・アーストロは、誰のものにもならない。不変だったその共通認識を、不可侵の領域を、シンシアが侵した」
「姫様が……? いや別に姫様のものになったわけじゃないけど」
シンシアとの関係は共犯者であり、友だ。
共に行動することは多かったが特別なことでもないだろう。四六時中ベッタリでもないのだから。
「ダンスを君から誘った。夜会ではどんなに誘っても断るくせに」
「うっ」
「シンシアの指先に口付けた。父上と母上以外にするのを初めて見た」
「誰にでもする方が良くな……、んん? いやなんであの夜のことをシメオンが知ってんの」
魔術は完璧だったはず。目眩しは当然として、一定範囲内に近づいた者には自動攻撃する魔術なども仕掛けていたのだ。
知られるはずはないのだが、リンクスにはあの魔術を破れる人物に心当たりがあった。
「秘密。黙秘権を行使します」
「ちょっと!」
これは絶対にあの人と裏取引をしている。気づいてはいけなかったやつかもしれない。
ジト目のリンクスを気にせず、シメオンの主張は再開した。
「とにかく……君はすぐ誰かにとっての特別な存在になるくせに、自分の特別は滅多に作らない。なのにシンシアには簡単に隣を許した」
「いやっだけど、ちょっと違う枠って言いますかね。えっと、みんなそれぞれ特別だし、比べることはできないんじゃないかな〜」
「本当に浮気者のような台詞だね」
残念な者を見る目はよして欲しい。特段繊細でもない心が傷付くから。
そんなリンクスの心情への配慮はなく、シメオンは罪人を見る目を止めない。いや、より剣呑になった。
「そして何より、君はシンシアの配下にいることをよしとした。君は――次の王に彼女を選ぶつもり?」
どうやら、リンクスの行動を周りは随分重く受け止めていたようだ。
シンシアとの新しい関係が特別に見えるのならそうかもしれない。彼女はリンクスに、これまでとは違う新たな驚きや知識をもたらしてくれるから。
でも、リンクスが彼女に求めるのは王の座などではない。
「そんなんじゃない。私は姫様が行き着く先を見たいの。別に、姫様の考え全てに賛同してるわけじゃないし、狂信的に彼女を慕ってるわけでもない。相容れない考えがあれば討論することもある。対等な相棒として、小さな革命の終着点まで共にすると決めただけ」
リンクスはアスターの花を作ると、シメオンの耳に挿す。艶やかな金の髪に白い花というのも悪くないと、リンクスは思った。
突拍子な行動はいつものことだが、考えなしな訳ではない。花言葉は、言葉にせずとも思いが伝わる便利さと雅さを兼ね備えている贈り物なのだ。
「…………っ」
シメオンが薄暗い部屋でもはっきりと分かるほど息を飲んでいるのが見えた。思いはちゃんと伝わった。
「リン・メルクーリとして過ごす中で分かったことがあるの。それはね、私は自分で思ってるよりもこの国を、この国に住む人達を、大事に思ってる――愛してる、ってこと」
魔法使いを縛る楔は多く、自由に飛んでいけはしなくなった。いや……飛んで行こうと思わなくなった。
でもリンクスは、そんな今の自分を悪くないと思ってる。
「シメオンもその大事に思う存在の一人だよ。君は『私の手を取ることを許した者』だから。王に君の幸せを守ると誓ったし、何よりあの日の約束――『一生一緒』があるでしょ。この約束は君としかしてない」
リンクスがこの国に居続ける理由の一つは、シメオンとの「約束」があるからだ。
『独りにしないで。ずっと側にいて』
『ずっと、か……具体的にいつまで?』
『……一生。僕の命が尽きるその時まで』
王への誓約とは関係ない。二人の間で結ばれた約束を、シメオンの願いを……リンクスは自分なりに守り続けている。
「君の信頼を裏切るつもりはないし、自分のできる範囲で約束を守ってきたつもりなんだけど。ダメ?」
枕代わりのクッションに顔を埋めているシメオンの表情は分からない。でも、リンクスは見つめ続けた。
「…………はぁ、ほんとずるいな」
* * *
シメオンはリンクスが窓から帰るのを見届けると、花を手に取って眺めた。
「信じて待つだけの時間の恐ろしさを、リンクスは分からないかもね。花一つでこんなにも喜んでしまう男がいることも」
リンクスの花は基本的に、植物系の魔術で生み出したものではない。どれだけ精巧であっても、リンクスの魔力を花に模ったものだ。
その中でも彼女が贈り物にする花は特別製。日頃溢れた魔力が勝手に花咲くのとは別物と言ってもいい永遠に枯れない花。
「義兄達は君の世界が広がればいい、なんて思っているのだろうけど……僕はそう思わない。その選択は、羽ばたいて行ってしまえば二度と戻らないだろう相手に愚かだとすら思う。笑ってしまうほど、僕の心は狭量で醜いから。でもちゃんと信じて待つよ」
花に口付け希う。花を贈られたときの恒例の儀式だ。
「君にかけた約束が、いつまでも続きますように」
花言葉 私を信じてください