7 ルシゴロドと魔術協会
――数年前、北方にある氷雪の国ルシゴロドは、突如周辺諸国に対し宣戦布告を行った。
ルシゴロドはまず近隣国を攻め、次に魔術の発展が緩やかで優位を取れるであろう南方へ進出する。
想定より多い魔術士の数に圧倒され、侵略は想定以上の速さで進んでいった。大陸中に支部を持つ魔術協会が協力していると判明する頃には、大陸中央までルシゴロド帝国は侵攻していたのだ。
この大地において、真の戦争は久しく行われていない。
部族間のいざこざから、稀に起きる国同士の争いであっても、魔術対抗戦による競技戦争と成ったからだ。
現代の戦いに慣れた人々の多くが、被害者となって初めて戦争の悲惨さを痛感することになるのも当然のことだった。
人々は正しく認識できなかった。戦を知らなさすぎたのだ。
囚われた捕虜達が、侵略された土地の者が、どのような扱いを受けるのかなど……知る由もなかった。
老若男女関係のない残虐行為の数々は、ルシゴロド帝国と魔術協会を完全な悪として認定させた。
これ以上の被害を食い止めるべく、各国は同盟関係を結んだ。もちろん、アルカディア王国も。
今の八法士や師団の隊長に比較的若い者が多いのは、この戦争で活躍した功績によって抜擢されているからだ。
――つまり、この場にいる者達は戦争の被害を目の当たりにしている。
「昨夜、ルシゴロドで独立宣言が行われた。宗主国側は何も聞かされてない勝手な宣言だ。それ以上の動きは今のところなく、どのような手段に出るのかも不明。現状各国の代表達と連絡を取り協議している段階だ」
魔術師団長の低く落ち着いた声がやけに響いて聞こえる。
混乱が場を支配し、誰一人声を出せていない。
そんな中、比較的冷静だったリンクスは王から団長に目を向ける。
会議に遅れてやってきた二人のうち、第一部隊隊長の方は堅苦しい表情の顰めっ面をしていてもおかしくはない。だが、この男は滅多な事で辛気臭い顔をする男ではないのだ。
「どうりで団長が変な顔してるわけだ。前々から決まっていた会議をすっぽかさないといけない案件って何? って思ってたけど納得。また戦争起きたっておかしくないもんね」
「リンクス……この緊張した場面での最初の発言が、団長の顔への文句か? 変な顔とは酷いな〜この色男に向かって」
――<雷帝>ヴロンディ・サザンクロス。
魔術師団のトップにして、現八法士最年長のまとめ役。名声も地位も、何もかも自分の力で手に入れた魔法使い。
そんな彼でもこの事態に少しは動揺しているようだ。
やれやれとその紫を帯びた髪をかきあげる仕草が、大人の色気を漂わせる。さすが結婚し子ができても、女性達の熱い視線を受ける男。
だが、そんな様子に目もくれないリンクスは、頬杖をついて不遜に先を促す。
「それで? 不穏分子はだいたい殺したはずだよね。なんでそんなことになったの。説明して」
「正確には――魔術協会と手を組んでいた証拠が出た者達のみ、だね。ルシゴロドは東の貴族派と西の協会派で別れていた。貴族派だった者達は侵攻には関与してない」
ルシゴロドは多くの民族と広い国土を有するせいか、内部分裂が起きやすい。当時のルシゴロドが、西側と東側でハッキリと勢力が分かれていたように。
そして問題を起こしたのは西の魔術協会派の者達だった。
「近年のルシゴロドにおいて、皇帝は『君臨すれども統治せず』の状態に近い。皇帝の成すべきことは、第一にその血を絶やさないこと。だから王は一夫多妻で、妃は必ず東か西の後ろ盾を有することになる」
「あの国は……先代の皇帝が好色で子が多い。妃だけでなく侍女にも手を出していたから……血縁者を全員探すのも少し大変だった」
今代の皇帝は、西側から選出された妃の子。皇帝は自身を擁立した西側の言いなりだったのだろう。
だからこそ西の血筋を持つ皇族は、処刑あるいは生涯幽閉となった。戦争を企てた貴族も同様に。
一応幼い子供や関わりがないと判断された者は、西の一族でも重い刑から免れている。
「ルシゴロド自治州ってことは、一応残ってたんだね。てっきり負けたから滅びたかと」
皆の解説を聞いて発したリンクスの無知な発言に、ラーヴァがすかさず反応した。
「お前というやつは、度し難いほど情勢に興味が無さ過ぎるな……皇帝とその血族が死に、西ルシゴロドは地に落ちた。おまけに帝国は自治州となり、国際会議での発言権は無くなったも同然。直接支配の旨みが無いから自治州として残してるだけで、実質滅びたと言っても過言ではない」
「土地も人も不人気ってことか」
「扱いづらさは北部一番、なんて言われてるほどだ」
「なるほど……で? 貴族派は自治州になっちゃったことに不満があるから、自分達側の残った皇族血縁者を旗印にして独立しようってこと?」
「リンクス、今日はなんだか察しが良いな。御名答……貴族派の東側にとって、今の状況は不服でしかないらしい」
「調子がいいですね。西が外に目を向けてる間に国内を掌握しようとしていたくせに」
ロティオンの嫌味は至極真っ当である。
貴族派には処刑される者はいなかったが、協会派の暴挙を碌に止めなかったと各国から非難されていた。だからこそ、自治州には未だ多くの制限がある。
「当時も戦争を止めるために国内から手を打っていたと述べているが、信用できるわけはない」
「そして彼らが抱える勢力も厄介この上ない。魔術協会の残党であり、協会の被害者でもある<人形工房>の生き残り達だ」
ルシゴロドは戦争の前にとある自治州を完全併合している。その征服した土地に人体実験場を作り、禁忌の研究を行なっていた。
――人を依代とし、精霊を召喚する研究を。
魔術協会がこの研究を秘密裏に行い、ルシゴロドに協力を持ちかけたのが全ての発端だった。
もちろんこれは協会発足以来の不祥事であり、解体されるのも当然だ。
おまけに協会員を脅迫して強制的に協力させたり、魔術で強制的に従わせていた。こうしてルシゴロド支部以外からも人を集め、大軍を作ったのだ。
「独立宣言の場に<ベロボーグ>の幹部がいたことが目撃されている。宣言後、彼らと連絡がつかなくなった。何かしら協力していることは明白だろう」
<チェルノボーグ人形工房>の生き残り――つまり被験者たちは、保護も兼ねて拘束されていたが、解放後に組織を立ち上げた。
今では<ベロボーグ共同戦線>と名乗っており「人形から人に戻る為、世のために行動すること」を指針にしている。
魔術士として改造されたことを活かし、彼らは魔獣退治や商隊の護衛、魔術道具の店を構えるなどして貢献しているという。
懸命に社会復帰していると思っていた者達が、このような行動に出るとは誰も予見出来なかったのだろう。
「そんな馬鹿な」
「残念ながら可能性は高い。数日前から所属メンバーの姿を見かけていないとの情報だ。武力を持ち出すことが多い国民性のルシゴロドの宣戦布告……恐らく今回も、戦争を仕掛けてくると考えている」
「歴史は巡る……なんて言いますが、いささか巡りが早すぎますわ」
嘆く声の主はアタナシアだ。戦時中、負傷者の対応に追われ沢山の悲劇を目撃しただろう彼女には、とても酷な知らせであった。
ディミトリオスが目を閉じ少し俯く。その一瞬の後に見せたのは、王としての顔だ。魔法士達を見回し告げる。
「……だが、まだ戦争が始まってしまったわけではない。容易く戦争など起こさせないようにするのが、国王である私の役目だ。君達は目の前のことに集中してくれていい」