3 ダンスのお時間
――翌日。
だんだんと白熱していったシンシアとの恋話(?)の影響ですっかり寝坊したリンクスは、仕方なく部屋に貯蔵してあるお菓子で急拵えし寮を出た。
まだ寝足りないせいもあってか、その足どりはおぼつかない。
のろのろと教室のある練までたどり着くと、例の記事のおかげで注目の的となっているリンクスに無数の視線が降り注ぐ。その視線は、友好的とは言えないものばかりだ。
リンクスはそれらを全て無視していつも通り教室へと向かう。
このように学園の多くの生徒から胡乱げな目を向けられることになったリンクスであったが……意外にも、クラスメイト達からは「新聞についてはお気の毒ね」くらいにしか思われていなかった。
リンクスが教室に顔を出すと、皆それぞれ肩をポンと労うように叩いたりお菓子をお裾分けしたりと慰めている。
一年生のカリキュラムでは、クラスのメンツで授業を受けることが多い。ゆえに、二ヶ月も同じ場所で共に授業を受けていれば、リンクスの性格もなんとなく理解してくるものだ。
その明朗な少女はとても子供っぽく、色恋や結婚に無関心で自由な姿を見て、流行小説のような逆ハーレムや略奪展開を警戒するのも馬鹿らしくなった。
――なにより流行小説のヒロインや他の平民とは違い、彼女は魔術師団の一員だ。
アルカディア王国において、魔術師団とは敬うもの。その常識を忘れたものはこのクラスにはいなかった。
そうして入学から二月以上経った現在――リンクスは大分、クラスに溶け込んでいた。
「ああぁぁ〜刺繍終わらないよぉ……皆なんでそんな早いの〜?」
「刺繍歴二ヶ月の初心者なのだから、私達と同じようには出来ないわよ、メルクーリさん」
「それに最初に比べたら随分上達しましたもの。凄いわ」
「ソフィーちゃんとメラニアちゃんの教え方が上手いからだね。私一人でやってたらもっと酷い有様だったよ〜断言できる!」
「もうっ……煽てても刺繍のやり方しか教えませんからねっ」
――というように、なんだかんだ仲良くなっている。
今ではクラスメイトの多くに、出来の悪い世話をしたくなる妹が出来た、という扱いを受けているリンクスであった。
そして本日は普段とは違う授業構成となっており、刺繍の授業の後は、学年合同での社交ダンスの授業が入っていた。
終業パーティが開かれることもあり、本番に近い予行が出来るようにという計らいで合同授業となったからだ。
「お〜今日はなんだか、ホールが狭く感じる!」
リンクスはダンスの授業で使うホールを見渡しながら、呑気に呟く。
「リンちゃん余裕だね……私はもう既に緊張でおかしくなりそうだよ……っ相手の足を踏んだらどうしよう」
「まあまあ落ち着いて〜エレナちゃん。足を踏むのも踏まれるのも慣れだよ。それにいざとなったら、私がエレナちゃんと踊るから大丈夫!」
社交ダンスの授業は貴族の多い学園であるからか必須の単位となっている為、エレナも既に授業で何回も踊っている。平民組は一から始めた者も多くなかなかに手こずっているようだった。
そしてリンクスの方はというと、実は学園に来る前から社交ダンスについては習得していた。なんなら男性パートも踊れてしまう。
実際に幼少期から社交ダンスをしている生徒達からも、上手いと太鼓判を押されていた。ダンスに関しては、一国の姫であるシンシアからもお墨付きを頂けるほどなのだ。刺繍は出来ないが……。
「あたし的には、社交ダンスは男の人と距離が近くて恥ずかしいし、足を踏むのも申し訳なくて苦手! リンちゃんはなんでそんなに平静で居られるの?」
「うーん……身体動かすの得意だし、足とか避ければいいじゃん、て感じ。相手との距離とか気にしないし、別に羞恥心もないからな〜」
「つよい……」
エレナは羞恥心という部分にズレがあるリンクスの言葉に、身体能力とメンタルが化け物レベルなことをあらためて悟った。
「それでは私が今のエレナちゃんにぴったりの魔術を教えてあげよう! 足を踏むのが怖いなら、足を踏むという事象を物理的に行えないようにすればいい――つまり、浮遊の魔術をかけながら踊ればいいんだよ!」
「絶対そっちの方が難しいよっ!」
エレナのツッコミに冴えが出てきたので、いくらか元気を取り戻せたようだ。リンクスの助言は役に立たなかったらしいが。
残念がるリンクスの耳に授業の始まりを告げる鐘が鳴った。社交ダンスを担当している教師が、生徒たちの前に出て話をし始める。
「今日は初めてのクラス合同で行う社交ダンスの授業です。ダンスに自信がない人は前の方で、慣れている人は指導の邪魔にならない後方で踊ってくださいね。せっかくの合同なので、本番を想定し違うクラスの人にも声をかけてみましょう。それでは、音楽をかけますので初めてください」
エレナが心細そうにしていたので、リンクスは練習開始までに共にいることにする。こちらにいるほうが楽そうなのだ。
後方では既にわちゃわちゃと忙しなく盛り上がっている。シンシアに声を掛けようと男が群がっていたり、逆に数人の女が男を取り囲んでいるところもある。そんな中に戻りたくはない。
「あっれ〜? もしかして君、この前会ったワンコくん?」
エレナと共に教師の待つ場所へ辿り着くと、薄らと覚えのある顔を見つけた。
「わ、ワンコって、もしかしてぼくのことですか? メルクーリさん」
入学してすぐの頃に行われた対抗戦において、エア・アプスーとペアを組み、四位となった――どちらかというとシンシアに青い顔で謝罪していた印象しかない――彼だ。
「そうそうあったり〜! 対抗戦の時以来なのによく私の名前覚えてたね? ワンコくん、こっちにいるってことはダンス苦手なの?」
「ゆ、優勝者の名前ですし、貴女は色々と話題に上がる方なので……はい、社交ダンスは得意ではないです。あと、ぼくの名前はノエ・キーオンです」
流石にワンコくんというあだ名は恥ずかしいのか、頬を少し赤らめ訂正してくる。すぐ考えが顔に出る表情豊かな顔やぱっちりと大きな青色の瞳は人の目を引く。
ピンクブラウンの肩につく長さの髪も相まって、可愛らしい印象の少年に見える。
「ダンスなんて一回動きを覚えちゃえば楽勝〜慣れだよ慣れ。頑張ってね!」
「あたしもダンス苦手です! でも必修単位だし逃げられなくて!」
「そうなんですっ! しかも社交ダンスは二人で行うから、自分が下手だと相手に申し訳なくて……!」
「わ、分かります……!!」
社交ダンスが苦手なもの同士で意気投合している。悩みを語り合い始める二人を他所に、次々とホールの前方に人が集まってきた。社交ダンスに自信のない生徒は案外と多いようだ。
場違いは早めに退散した方が良いか? とリンクスが考えているうちに教師に見つかった。
「メルクーリさんは充分踊れるでしょうに、どうしてこちらに居るのかしら?」
「友達の付き添いですっ。別に後方組の中で踊るのが面倒だから来たわけじゃないですよー?」
「……じゃあ貴女は、不慣れなお友達の面倒を見てあげてくださいね」
「……はぁい」
面倒だと思ったのがバレたようだ。リンクスはしぶしぶその場にとどまった。
(もしかしたら、後ろで一人突っ立ってる方がよかったかもしれない……逆に目立つけど)
とりあえずエレナの練習に付き合おうとすると、彼女の隣には既に別の男子生徒がいた。
エレナの軽快な話し方からして、彼が例の幼馴染なのかもしれない。
リンクスは邪魔をしないよう、もう一人の練習に付き合うことにする。
「よっし、ワンコくん。これも何かの縁、私が社交ダンスを教えてあげよう」
「えっ良いんですか? ぼく、ワルツも満足に踊れないんですけど、本当に大丈夫ですか!?」
「それは致命的じゃない!? 今までの授業どうしてたの?」
「そ、それは……最初はぼくと同じように一切踊れない人達もそこそこいたので、基礎の基礎から初めてどうにかついていってました」
「……まあ、やる気があるならいけるよ〜」
リンクスは運動神経が良く、バランス感覚やリズム感もあった。ダンスもすぐに習得してしまったため、当時教師役だった人物に、常人よりも早い習得具合だと感心されたほどだ。
「あれ? 社交ダンス一切してこなかったってことは……君、平民組?」
「は、はい。家は商家ですが、ぼく自身は華やかな場には縁がなくて……こんなことなら実家に居た時に義姉にでも教わっておけば良かったです」
「私が知ってるお家かな? お義姉さんは踊れるってことは貴族なんだよね?」
貴族のお嬢さんが嫁げるほどには稼いでいるのだろう。気になったリンクスは、ノエの家についての話を掘り下げようとした。
「えっと、義姉は男爵家から嫁いで来て……商会の名前は、メイガスキオンです」
「……あっ、第八の提携先の一つか! あ〜あそこかぁ」
ノエの口から出てきたのは魔道具で有名な商会の名だった。リンクスはメイガスキオン傘下の店の人間といざこざを起こしている為一度も買ったことはないが。
――王国魔術師団第八部隊は主に、魔道具に関する業務を担当している。魔道具開発、国の魔道具販売店との連携など魔道具全般の事柄が業務内容だ。
魔道具の売買に関しては、試験を受けて国に認可された魔術士が開いた店、もしくは魔道具を扱うことを国に認可され師団から魔道具を仕入れることができる一部の商会のみ販売を認める、という仕様なのだ。
国の方針としては「魔道具素人が売るな、扱うな、事故るぞ!」である為、魔道具を扱う商会は一定の地位が認められた安全な店ですよ、と公表されたも同然ということになる。