1 学園入学初日
――ウラノス魔術学園。
このアルカナ王国最大規模の魔術学園は、王都の外れに位置し森や湖に囲まれた広大な土地を有している。
本校舎とは別にいくつかの練があり、学生寮や魔術訓練所、大図書室等の学園設備が備わっており、周囲には研究所や商業施設が建つ。まるで一つの街と言える規模の学園だ。
生徒の多くは貴族であることから警備は厳重であり、学園の出入りは厳しく制限されている。特に今年はこの国の王族が二人、そして他国の王族も入学してくるということでさらに厳しいのだ。
学園を囲むように貼られた結界により阻まれ、たとえ高貴な身分があったとしても長期休み以外は基本的に学園から出ることが叶わない。
それでも不満が出ないのは、ただ生活する分には困ることもないほどの充実ぶりだからだろう。
そんな施設街には目もくれず、学園めがけて飛ぶ一つの影があった。
(あ〜〜こんなことならもっと早く来ればよかった!)
――現在入学式直前、リンクスは少し焦っていた。
何故ならば、朝から敷地の再確認を行っていたら新入生は早めに講堂へ集合せよという知らせが聞こえてきたからだ。
ご丁寧に音響術式で聞こえる範囲を拡大させ気づかせてくれたことで講堂に向かえているが、そもそも入学式の前に探索する者なんてリンクスぐらいだろう。現に誰も見かけていない。
これは後から聞いた話だが、ほとんどの生徒は寮に数日前から入っていたらしく寮監から入学式は早めに行くよう通達があったそうだ。
(王女が今日から来るなら自分も同じ日にくればいいと思っていた過去の自分を殴りたいっ。スケジュール管理を部下任せにしてた私が予定通りに行動出来るわけないんだよっ)
リンクスは朝から施設に怪しいものはないか確認していたのだが、そもそも王女を誘拐するなら学園にいる時ではなく、長期休みで学園から出たタイミングだと思っている。
王女を攫うことが出来ても敷地から出られないので、すぐ追い詰められることになるからだ。防犯意識が高く犯行が難しい場所で実行しないだろう。
そのぐらい、この都市の防備は監獄のように厳重なのだ。
なので探索する必要など全く無かったのだが、つい気になって行動に移してしまった。
そして夢中になった結果がこの様である。
飛行魔術で講堂までかっ飛ばしたいが、朝から飛行魔術で猛スピードで飛ぶのは派手過ぎるので諦めた。それに、一般的に習得が難しいとされる飛行魔術が使える新入生なんて目立つに決まっているので使用は控えるべきだろう。
研究施設街を抜けたところでリンクスは魔術を解除し走り出す。
ここから先は魔術感知能力が高い者には見つかると踏んで走っているが、そのせいで開始までに着かなかった場合は?
そんなことが発覚すれば、ロティオンに確実に怒られるであろう。
つまり今最大の危機はロティオンに遅刻がバレること。
彼は怒るとき無表情で説教するタイプなので、ラーヴァに叱られるよりも怖いのだ。
(間に合え、私!)
朝から全力疾走が決定した時点でもう既に帰りたくなってきたリンクスは、ここでサボった場合のデメリットをひたすらに考え、無理やり足を動かし続けて直走った。
(さ、最後っぽいけど間に合った!)
勢いを殺し、ゆっくりと講堂に入る。
講堂の様子を探ると、新入生はリンクス以外揃っているようだが、在校生は二階エリアや舞台袖あたりにちらほらと見かける程度だった。
もしかしたら全校生徒が参加するわけではないのかもしれない。想定よりも目立たなそうで好都合だ。
さらに念の為と掛けていた認識ズラしの魔術のおかげかリンクスに注目は集まらずに済んだのだが、
(あっ……)
だが残念なことに、ロティオンは参加者側の在校生だった。思いっきり目が合ったので、確実に遅刻ギリギリで入ってきたのがバレている。
いつものクールな表情だが、あれは確実に「何してるんだお前は」の顔であるとリンクスは見抜く。だからこそリンクスは「本当に知らなかったんです。わざとじゃありません」という顔で対抗し無視することにした。
それから、リンクスの気配に気づき振り返った顔の中に見知った顔を発見してしまった。ニヤっ、と笑ってきたのでそちらにも確実にバレたのだろう。
(あとで口裏を合わせないと……はぁ)
もう既に疲労困憊なリンクスは、早速始まった入学式の話をほとんど聞いていない。新入生代表挨拶や理事長の話の時もろく心ここに在らずの状態であったが、学園長の話くらいは聞いておこうとリンクスはやっと壇上に目を向ける。
この学園の学園長は、王妹であり尚且つリンクスと同じ八法士の一人。
そして彼女の性格ならば、後でちゃんと聞いていたか尋ねてきて、答えられなかった場合拗ねてしまうだろうことは明白だ。
今もなんだかこちらを見てきているし。
* * *
入学式が終わると新入生達は割り当てられた教室に向かうことになった。初日はそこで軽く自己紹介をして解散だと、ここの卒業生である若めの部下に聞いているので安心だ。
講堂の入り口にあるクラス表を見てみると、今年の新入生は二百人以上いるようで、同学年の生徒が集まるだけでも大所帯である。
今年から新入生の枠を増やしたと学園長が話していたので来年以降もこのくらいの人数は入学してくるだろう。
クラス表を流し見していると、リンクスでも聞いたことのある貴族の性がいくつか見えた。
(……四大侯爵家、辺境伯家辺りは魔術の腕がいいご子息やご息女が入学しているって、ラーヴァが言ってた。手合わせしてみたいな……でも、少なくとも手紙の魔術士を見つけて王女の安全を確かなものにするまでは、正体を隠しておいた方が都合が良いんだよな〜)
実力が有る相手ならば、こちらが手を抜いていることなど簡単に見抜いてしまうだろう。かと言って正体を察してしまうほど暴れたら、せっかく秘密裏に入学した意味がない。
やはりこの任務には不適格だなと結論付けて、クラス表を眺めるのを止め教室へと歩いて行く人波について行こうと一歩踏み出した瞬間、馴染みのある気配が後方から現れた。
どうやら在校生達も動き出してしまったらしく、リンクスは早く教室に向かっていればよかったと後悔する。
気配のある方向に振り向くと、やはりロティオンがこちらを鋭い目つきで見ていた。
(遅刻してないっ! ぎりぎり間に合ってたから!)
会話はしないがしっかり目を合わせ、無罪を伝える。
長い付き合いのせいか意図は伝わったらしく、ロティオンはさりげなく胸ポケットを指差した後、踵を返して寮のある方向に向かっていった。
ロティオンは基本的に、携帯魔道通信機器(通称ケーマ)を胸ポケットに入れているため、後で連絡を入れろという意味だろう。
リンクスの正体を伏せておく理由を彼は理解しているからか、自分からは話しかけてこなかった。
(もう一人の私の正体を知る彼には、早々に口封じをしなくては……)
口裏合わせから口封じに物騒な変化をしてしまったことには気づかず、リンクスは脳内でこの後の行動を考え始めるが……
「そこの貴女、ちょっといいかしら」
その澄んだ美しい声は決して大声ではなかったが、どこか無視出来ない力がある。
(めんどくさ〜い。貴族の傲慢箱入りお嬢様だったら最悪だ)
嫌々振り返ったリンクスだったが、声を掛けてきた人物を見て固まった。
その少女は腰ほどまである柔らかな金髪で、一部分だけ編み込みマーガレットの花を模った髪飾りを身につけている。
澄んだ青色の瞳は、彼女の清楚な雰囲気をさらに強く醸し出させていて、その整った顔立ちは可愛いと言うよりも美しいと表現するのが適切だろう。
この美貌を見てリンクスは、護衛対象に高級人形のような印象を持ったものだ。
そう、リンクスは任務が決まった後、ロティオンに連れられて影から見に行っていた。
――護衛対象のお姫様、目の前にいる彼女を。
(えっ本人登場!?)