19 危険な話し合い
ヴィオレットは確信しているようだった。
それは、妻を死者の世界である冥府より生き返らせようとした男の話だ。だが結局、その願望は叶わなかった。
この国で昔から伝わる有名な話である。
「天秤に掛けたわけじゃない! ただ……」
「では、なんだって言うの? 私が貴方のこと、分からないわけないじゃない!」
「……」
マウロの否定の声にすかさず反論する。
ヒートアップするヴィオレットに、マウロは何も言い返さなかった。
「っ全部、全部無駄なことだったのね。私がしようと思ったことは! ――弟を救い出すなんて望みはっ!」
感情が、発露した。
先程の姿と重なるが、今のヴィオレットの方が苦しげだ。
自身を曝け出すことには、誰だって臆病になる。
ヴィオレットは長い間自身を抑制し生きていたせいか、それが顕著に出た。
心の叫びを表に出そうとするその姿は、壊れ掛けの魔道具のような歪さだ。恐怖からか、ギュッと握りしめた手は微かに震えている。
――それでも、彼女は前に進むことを選んだ。
「……ごめん……独りにして」
「いまさらっ……謝らないでっ!」
双子が言い争う展開に我慢が出来なくなったのか、ヘカテーが間に入ろうとする。
「マウロを責めないで……彼は被害者よ。全てはワタシが悪いのだから……」
「自分が悪いって繰り返せば、許されると思っているの!? 私に謝って許されたいという貴女の身勝手な罪滅ぼしに、私を巻き込まないで!」
リンクスは、ヴィオレットの精一杯の叫びをただただ黙して聞いた。
また、彼女達の会話からヘカテーが自責の念に苛まれていることが伝わってくる。が、謝罪を素直に受け取れる精神状態にはないだろう。
「いいえ……許されたいなんて思っていないわ。もし、アナタがワタシを殺したいほど憎んでいるのなら――殺せばいい」
「…………何を、言っているの……?」
「報復行為をワタシは否定しないわ。人間の寿命はとても短いにも関わらず、アナタの貴重な十年間に多大な影響を与えてしまった。人格に影響を与えやすい、とても大事な時期に苦しみを与えたのだから……どんな贖罪だってするわ」
ヘカテーの一言にヴィオレットは愕然とする。精霊が一人の人間の為に命をかけるあまりにも可笑しな発言だ。そもそも……
「精霊に、死が訪れるわけ――」
「訪れるよ」
ヴィオレットの声を遮るようにネオが告げた。
その声は精霊の死に確信を持っているかのように聞こえ、ヴィオレットは二の句が継げなくなる。
「精霊にも……死は、平等に訪れる。だから、可能だ」
「でも、っ……」
ミルトはその言葉の先を言えなかった。口が凍りついたように動かないからだ。
たとえ熱心な信徒でなくとも……人が精霊を殺すなどという不敬極まりない行為には、本能が警鐘を呼ぶのだろう。
それだけ、精霊信仰は人々に根付いている。
「まぁ、ヴィオレット先輩に精霊を殺せる実力が備わっているかはわからないけどね。死を恐ろしく思ったヘカテーが咄嗟に抵抗してきたら、逆に殺されてしまいそうだよ」
場違いなほど呑気な声で、リンクスは酷な言葉を告げた。
「……っ!」
「だってそうでしょ? ヴィオレット先輩がどんなに優秀でも、それは一介の生徒として……あるいは魔術士の卵としてだ。復讐を遂げた大英雄と成れるかはあやしいよね」
「「…………」」
一同はリンクスの言葉に何も言えなくなってしまう。リンクスは「それに……」と笑いながら話を続けた。
「ヴィオレット先輩はもうどうせ、精霊ヘカテーを殺せないでしょ?」
さも当然というように自信満々に告げるリンクスに、ヘカテーが困惑した声を出した。
「…………え? 何故?」
「親愛なるヘカテー様は、案外鈍感なんだね〜」
その煽るような発言に、リンクスとの付き合いの短い者達が目を剥く中、ネオだけがやれやれと首をすくめた。
まるでいつもの悪癖が出たな、とでも言いたげに……。
そしてリンクスは、ヴィオレットに対してもある種の攻撃を行う。
「ねぇヴィオレット先輩。先輩は、精霊ヘカテーの死を望む? ――もし望むのなら、私がその願いを叶えてあげる」
優しい声だった。だがその言葉は――リンクスがヴィオレットの代わりにヘカテーを殺す、という恐ろしい提案であった。
ヴィオレットは愕然とし、動揺からリンクスを凝視したまま動かない。その目線の先にいる者はというと、うっすらと微笑んでいるが目は笑っていなかった。
その瞳は、本気で「自分が処刑人になる」と宣言したことを物語っていた。
「……っ」
「私一人じゃ不安? それなら総力戦だ。こっちには八法士がついていて、ミルト先輩もそこそこ戦える。四人なら結構勝算が上がるよ……そうして自身の手で弟を精霊から強奪すればいい。そうしたら、先輩の本来の望みは全て叶う」
「わ、わたっ……私は………………」
まるで悪魔の囁きのようだった。誘惑の言葉がヴィオレットを襲う。
リンクスの言う通り、それはヴィオレットの最初の願望だ。
奪われた物を奪い返す。人攫いする精霊なんて消えてしまった方がいい。
だが、今のヴィオレットにはそれが出来ない。だって――
「そんなこと、……っ望まない」
「記憶が戻っている、から?」
「えっ!」
リンクスの発言にミルトが驚きで思わず声を上げる中、ヘカテー達はすぐ見当がついたようだ。
「……そういうことね。あの魔術は、全てを消したわけではない……」
「今回使われた忘却の魔術は、人界への情報流出を防ぐ目的のみで編み出された魔術ということか……此処での記憶を弄ることは出来ても、人界での精霊に関する記憶の改竄までは完璧に施せない。あくまでもこの魔術の本質は、此方側のことを隠蔽することだから」
ネオが珍しく長文で話したことに、密かに感心するリンクス達を置いてネオの語りは止まらない。
「精霊であることを隠していたのだから、事件前のヘカテーとの記憶はそのまま残っていても良いはず。事件のショックから無意識に防御反応が出て封じたのか? いや、忘却の魔術が上手くかからなかった可能性もまだある……」
「はぁ〜考察検証は今度にしてくれません? こうなると長いんだよなぁ」
「お詳しいんですね……?」
あまりにも洞察に集中し周りが見えなくなっているネオに、ミルトは不思議そうに尋ねた。
だが、魔術に夢中になっているこの男には届かなかったようだ。
ブツブツと魔術の構成式について呟くネオの代わりに、リンクスが呆れた声で答える。
「ネオ隊長は、魔術の看破が趣味なの……」
ネオ・アウリガという男は、生粋の魔法士だ。
魔術にとことん貪欲で……だからこそこの状況に興奮している。そうでなくても未知の魔術の解明など、魔術の道に通ずる者であれば昂るのも当然かもしれない。
だが、その中でも彼は頭一つ飛び抜けた天才であり、知的好奇心の塊だ。
基本的に、相手の詠唱を真似るだけでは魔術は使えない。詠唱はあくまで、その魔術を成功に誘導する最後の選択肢だ。短縮することもある。
それを少しの手掛かりだけで解読し、看破するという至難の業をこなせるほどの異端の才を持つ知恵者。
――それが<転変>ネオ・アウリガだ。
「第六の隊長様は八法士の中でも特に、色んな物事に詳しいんだよ〜怖いほどにね!」
「リン……しぃー」
どうやら自分の世界から帰ってきたらしい。口元に人差し指を近づけたポーズが妙に似合っている。
「え〜ごっほん。話を戻すと、ヴィオレット先輩には精霊への報復の意志はなくなってしまって、弟を連れ戻すことも今は望んでいない。でも、感情の行き場が分からなくなってしまった……違う?」
「そう、よ……」
リンクスは、いつからヴィオレットが記憶を取り戻したことに気付いたのだろうか……?
ヴィオレットはリンクスの洞察力にひどく驚いた。
「それで、精霊ヘカテーの方は罪を償いたい。なんならヴィオレット先輩だけではなく、色んなことを。そして、大切な愛し子の幸福を望んでいる……どう? 合ってる?」
「……えぇ、その通りよ」
ヘカテーもリンクスの見解に同意を示す。それを見たリンクスは、この場にいる全員を見渡して大仰な仕草で提案する。
「こういうときに行うことは、古今東西変わらないよね」
「……ん?」
周りの察しが悪いことにリンクスは頬を膨らませる。
「だ・か・ら〜! 戦おって言ってるの! 決闘だよっ決闘!」
「「…………はあぁぁぁあ!?」」
場は新たな驚きに包まれた。ミルトはともかく、叫ぶなんてしなさそうな双子やヘカテーですら叫んだ。
唯一そこまで驚いてない様子のネオが、彼らの代わりに尋ねる。
「……リン、その理由は?」
「姫様との約束で、ヴィオレット先輩達に障害を乗り越えさせないといけなくてさ〜。だから、やろ? しかも、これだけで色々な問題が一気に解決すると思うんだよね」
リンクスは「障害と言えば戦い以外にないでしょ?」とあたかも当然のように付け加えたが、精霊と決闘しようなど普通なら考えもしない。
気が狂ったかのような提案だ。
「確かに決闘は古の時代から裁判として正式に行われている。名誉の回復、あらゆる問題の解決に決闘は用いられてきた」
「そうでしょ? なんか色々複雑になっちゃったけど〜物事はもっとシンプルに考えるべき。全てを正当な決闘の下、解決出来る機会は残ってるんだよ?」
決闘は双方の了承があって初めて成り立つ。
その為リンクスは、この場に集った一同を見回して愉しげに催促した。
「でも、貴女が言ったように、私に精霊と戦う力なんて……」
「もう〜さっきも言ったでしょ? 私が代わりに戦うに決まってるじゃん。先輩に怪我させるわけにはいかないよ」
不安をこぼしたヴィオレットを気遣う姿は普通の女の子だが、そもそもまともな奴は決闘しようなんてことは言わない。
「さぁ、どうする?」
「――ワタシは、やるわ」