15 ヴィオレットの決意
――人気のない講堂隅の座席。そんな席にヴィオレットは一人で俯き気味に座っていた。
上品な紫色の髪の横髪が、俯いた時に流れ落ちる様が彼女を色っぽく見せている。影のある美しさに、遠くからいくつもの視線が寄せられていた。
実際に近寄るような勇気ある者はいなかったが……。
そんなヴィオレットの元へ、遠慮のない足取りがひとつ迫ってきた。
「せ〜んぱいっ」
「貴女…………何故ここへ?」
ヴィオレットは純粋に驚く。舞台が見づらく不人気の席に座っていたので、誰も寄ってこないと思っていた。
それに加え、ヴィオレットが陰鬱な雰囲気を醸し出せば勝手に見えない境目を感じ誰も話しかけてこない。
――その境界を超えてきたのは今まで彼だけだった。
「ちょっと聞きたいことがあって! ここで見ていいですか?」
「……ええ、良いわよ」
「へへ、やった〜」
ヴィオレットの隣の席に喜んで座り、足をぶらつかせる姿は子供のようだ。年頃の女性としては幼稚なその仕草は、一部の人間には不快だろう。
だが、ヴィオレットはその姿を見ても不快には思わない。むしろリンクスの子供っぽい仕草は自然で、ありのままな彼女には気を許してしまいそうになる。
――彼女の纏う空気が、ヴィオレットの大切な人を彷彿とさせるからかもしれない。
(明るいところは彼に……そして空気感があの子と似ている)
ヴィオレットは、此処にはもういない弟のことを思う。
やはり強い魔力を持ちながら、気の抜けるような表情や雰囲気が特に似ている気がする。
「……それで? 話ってなにかしら」
「ヴィオレット先輩ってミルト先輩のこと好き?」
「っ! なにを、いきなり……」
「すっごく大事なことなの。本当は遠回しに聞ければ良かったんだけど、私にはそんな技がないから直接聞いちゃいました。先輩は危険なことをしようとしてるよね? 悪いけどそれ、諦めて欲しいんだ」
リンクスの言葉にヴィオレットは一言も返せないほど驚く。揶揄いか何かかと最初は思ったヴィオレットだが、リンクスの表情は至って真剣に見えた。
――嘘を吐いても見抜くだろう目だ。
そう思ったヴィオレットは、リンクスの目を見つめ返し真剣に自身の思いと真実を伝えることにした。
「――――私は、」
* * *
――ずっと一緒に居るんだと思っていた。
とても大事な片割れ、私の半身。
ヴィオレット・モナクシアにとって弟とは、そのような存在だった。
世界でたった一人のかけがえのない存在、少し恥ずかしがり屋で姉と一緒じゃないと不安がる大事な弟。
弟を失って、仲の良かった家族の絆は壊れてしまった。
姉よりも弟が生き残っていれば良かったと言った父、泣き暮れて生き残った姉のことなど見向きもしない母。
両親が我に帰ったとき、ヴィオレットに必死に謝って縋り付いてきた手の感触は、焼き付いているかのように離れてくれない。
絶望したヴィオレットは事件以来、碌に自分の親と交流していないから、尚更こびりついているのかもしれない。
ヴィオレットは跡継ぎとしての教育は素直に受けた。弟以外にその座は渡したくなかったからだ。
そして、いつか精霊から弟を――マウロを取り戻すと誓った。それ以来十年近く、復讐の為だけに生きてきた。
なのに――
「君が俺のペア? よろしくっ」
近寄りがたい雰囲気のヴィオレットに、普通に話しかけてきた軽そうな男に会ってしまった。
マウロとは正反対だろうその男は、どんどんヴィオレットのテリトリーに侵入してきた。
伯爵家の子息のくせに偉ぶってなく、勉強より体を動かすことが好き。
ヴィオレットに見せるその笑顔は太陽みたいで眩しいが、少し情けない顔をしている時も多い気がする。それもなんだか可愛いく見えて、目で追ってしまう。
馴れ馴れしいところもあるが、強引ではない。
「俺たち魔力の相性良いし、よかったらまた組んでよ!」
「ヴィオレット嬢おはよっ!」
「あ、あのさ終業パーティで一緒に踊らないか? 嫌だったらいいんだけどさっ」
ミルトはヴィオレットを独りにしてくれなかった。
――並んで寮まで帰った、和やかなひと時。
――二人で魔術の鍛錬をした、楽しい時間。
このような日常を過ごすことになるなんて思ってもみなかった。ミルトとの日々はヴィオレットの心を癒したのだ。
ミルトはヴィオレットを変えてしまった。
そして、それが嫌ではない。
ヴィオレットはパーティで踊った時のミルトの体温が、忘れられない。ヴィオレットが久しく忘れていた温かさだったからだ。
弟を失って、もう二度と手に入らないと思っていたものだった。
ミルトと居ると気持ちの面では落ち着くのに、心臓の動きだけが落ち着いていない。
これが恋なのだと、ミルトと会って一年近く経つころようやく気づいた。
そんな時――保管室で、本来この場所にあるはずのない魔術書を見つけた。
何故このタイミングで現れたのか。ヴィオレットがマウロのことよりミルトのことを考えるようになったからなのか。
思い出してみると、最近のヴィオレットは自分の未来を想像する時、隣にはマウロではなくミルトが居たのだ。
その事実に気付いた時の衝撃は凄まじいものだった。
ヴィオレットにとってそれは、自分の生きる理由を、忘れていたのも同然なのだから。
あるとき、ミルトと魔術研究クラブの活動で使った器材の後片付けをしていたとき、話の流れで精霊の話をした。
精霊は信仰の対象だが、現代では精霊の人間への干渉は間接的にしかないせいか実在すら怪しむ人は少なくない。ミルトもその類の人間だった。
実はヴィオレットにはあの時の記憶があまりない。必死になって、精霊の実在を信じていない彼に自分の中にある精霊への怒りをぶつけた気はする。
最終的に、ミルトは心底心配げにヴィオレットを宥めるほどだったのだから、普段のヴィオレットからは想像もできないほど感情を見せてしまったのだろう。
いつもだったら意見が割れたぐらいではお互い引きづらないのに、ヴィオレットはその日からミルトにいつも通りで接することが出来なくなっていた。
弟と彼の間で彷徨っているからだ。
(迷う時点で答えは出ているようなもの。でも、中途半端な私のままでは全てを話すことも、謝ることすらできない……こんな私では彼の隣に立てない)
だから決めた――復讐を決行しようと。
禁術であろう魔術に手を出したことが公にされ――罪に問われてたとしても、死んだとしても。
どのような運命が待ち受けていようとも、ヴィオレットは弟の件に終止符を打たねばいけない。
情けない姉のままでは、ヴィオレットは進めないのだ。
* * *
「――これが、私の全てよ。復讐に取り憑かれた哀れな女」
「……先輩の人生にも色々なことがあったんだね。そうして今の先輩が出来上がったんだ」
「変な感想ね……ところで貴女、師団の一員ならば禁術を使おうとした女なんて、すぐにでも捕えなくてはいけないんじゃない?」
リンクスの言葉にクスッと笑いをこぼしつつ、ヴィオレットは自身の処置を問う。
「そーいうのは第六の仕事だから、私はしないよ。だから先輩は捕まらない……まだ召喚もしてないしね!」
その理屈を通したら、ヴィオレットよりも極悪な犯罪者すら逃してしまうことになる。
リンクスの言葉にヴィオレットは、仄かな笑みを見せた。
「……ふっ、なにそれ。ダメでしょ?」
その微笑みは、わがままな妹を優しく嗜める姉のようだった。
『──たとえどのような悲劇に晒されようとも、我が人生は喜劇として終わるだろう──』
もう既に劇は始まっている。
カーニバル卿が祖国から追放され、後々この国が建国される場所まで辿り着いた、というシーンだ。
クラブ活動レベルとはいえ、演技は中々大したものだ。結構活動に熱心なクラブなのかもしれない。
クラブ活動について考えつつ、リンクスはヴィオレットを伺う。全てをリンクスに打ち明けたおかげか、ヴィオレットの表情はどこかスッキリとして見えた。
幼少期の事件以降、誰にも自分の悩みを曝け出せず苦しんだのかもしれない。
リンクスが過去のヴィオレットについて思いを馳せていると、演劇は後半戦へと突入した。
つまり、これからは全校生徒参加の魔獣退治の時間だ。魔獣役の生徒達が一足先に講堂を出ていく。
魔獣側の生徒には、最後まで生き残っていた場合賞品が出るからか、張り切っている者もそこそこいるようだ。
リンクスが生徒達を目で追っていると、ミルトと目が合う。ミルトは、リンクスに頷いて見せてから講堂を去っていった。
恐らく劇の始まる前に、「ヴィオレット先輩を連れていくから泉で待っていてください」と伝えたのをちゃんと守ってくれるのだろう。
張っていた防音結界を解除しながら、リンクスはヴィオレットに尋ねる。
「先輩。望みを全て、叶えてみたくない?」
「……どういうこと?」
「ふふん、それはこの後のお楽しみにっ!」