10 精霊と禁術
どうやら休憩を貰って、約束通り顔を出しに来てくれたらしい。そして、そのタイミングで丁度ヘタレ、と言っていた部分が聞こえてしまったようだ。
「お待たせしました! 日替わりメゼ五種盛りと……こちらが殿下の頼んだムサカで、こっちがメルクーリちゃんの頼んだスパナコピタです」
「ありがとうございます」
「わ! 魚のやつもある!」
この国では前菜を少量ずつ摘めるスタイルが主流だ。
土地柄で前菜であるメゼの定番は変わるが、最近は港の遠い王都近郊でも魚を使ったものが流行ってきた。
「冷凍保存魔術万歳っどれも美味しそ〜!」
主食として頼んだ料理の方も美味しそうだ。もくもくと立ち昇る湯気と匂いにリンクスの手が誘われている。
「そんなにニコニコされたら料理人が喜ぶよ。ここのはいつ頼んでも熱々で出してくれるのが売りなんだ」
「そう言えば……なんで先輩は、せっかくの収穫祭で働いているんですか?」
「ここ行きつけの店なんだけど、店主が店員達が屋台出したいとか休みたいとかで店に出てくれないって嘆いててさーじゃあ少しぐらいなら手伝おうかなって」
どうやら純粋な人助けだったらしい。
「で、俺がヘタレとか何とか言ってたけど? 悪口は良くないぞ」
「でも、これは悪口ではなく事実ではないですか」
「うっ」
今は休憩時間だからか、ミルトは先ほどよりも気安くシメオンと話している。
本来の身分を考えるとありえない光景だが、シメオンが偽物の笑顔でなく本物の方で笑っているのだ。恐らく本人が許可をしているのだろう。
リンクスは、王宮にいた頃よりリラックスして生活を楽しんでいるのシメオンを見て、密かに安堵した。
「ねぇねぇ、事実って……?」
「あぁ君にも聞かせないとね」
シメオンは赤裸々に、クラブでのミルトとヴィオレットの様子を語りだす。
クラブの他のメンバーを街への外出に誘うことは簡単に出来るのにヴィオレットは上手く誘えないだとか、学期末パーティーで綺麗に着飾ったヴィオレットに対し照れて褒め言葉すらなかなか出てこない等、色々と出てくるエピソードの数々。
リンクスは部下達が正装でビシッと決めていたら、男女問わず褒めちぎっているので照れて言葉を失う状況になったことはない。
その為思わず呟いてしまう。
「それは確かにヘタレだ……」
「年下の女の子にまで言われた!? 俺だって、好きでこんな様になっているわけじゃないんだ……ううっ」
リンクスの一言で、ミルトのガラスの心に傷がつく。
どうやらミルト側はヴィオレットに惚れているので確定らしい。懸念が一つ減り、シンシアに良い報告ができる、とリンクスは内心喜んだ。
弾むような声でミルトに詳細を尋ねる。
「ヴィオレット先輩を好きになったきっかけは!?」
「きっかけは……去年の収穫祭でたまたま兄貴と喧嘩してるところを、ヴィオレット嬢に見られてさ……まあ、俺が一方的に捻くれて喧嘩売ってただけなんだけど」
「兄弟喧嘩を他人に見られるなんて、少し気恥ずかしいですね」
ロティオンが言っていたことは本当だったらしい。兄弟姉妹のいないリンクスには分からない感覚だ。
「だよな、後から思い出して超絶恥ずかしかった。で、そんな意地になっていた俺を止めてくれたのがヴィオレット嬢だったんだよ……『貴方はまだやり直せるわ、どうしようもない私とは違ってね』って言葉が頭から離れなかった。その時の表情も……!」
ミルトはだんだんと話し方に感情を込めていく。
話の解像度が高くなっていいのだが、モノマネが微妙に下手くそでシメオンは笑い出してしまいそうになるのを必死に堪えた。
「ほぉ……どんな表情だったんですか?」
「憂いを帯びた、切なさと愛しさを感じる表情だった。その時の表情が、俺の心にグッと刺さった!」
リンクスは、にっこりという表現がピッタリな笑みを浮かべたシメオンを見て、この惚気話は未来永劫ネタにされることになるのだろうと思った。
目の前で嬉々として惚気を語っているミルトに、心の中でご愁傷様ですと手を合わせる。
「たしかに、ヴィオレット先輩ってふとした表情が少し悲しげというか、寂しげというか……」
「そうなんだよ! だからこそ俺が笑顔にしたいっ彼女がなんの憂いもなく笑う顔を見たいと思ったらもう! ずっと頭から彼女が離れなくて! それから、俺が悩んでたらさりげなくアドバイスをくれたり、逆に俺が助けると少し戸惑った感じでありがとうって言ってきたり――」
ミルトの高ぶりがリンクスの言葉で増していく。
リンクスは少し圧倒されていた。――その熱に、想いに。
その後も、ミルトの熱烈な想いを二人は黙って聞き続けた。流石に焦れてきたシメオンが話を変えさせる。
「……それで? 収穫祭は絶好の告白タイミングですよ。距離を縮めなくて良いんですか? モナクシア先輩は優良物件なんでしょ。早く動かないと」
「そうなんだけど……彼女はやることがあるって、近頃ずっと忙しそうだし」
「忙しそうって、ヴィオレット先輩は何を?」
リンクスがヴィオレットの行動について尋ねると、ミルトが悲痛な顔で答える。
「……実は俺、最近避けられていて話ができていないんだ……だから何も検討がつかなくて」
「あぁ、だから前回のクラブにモナクシア先輩出席してなかったんですね……先輩に会いたくなくて」
シメオンの容赦ない指摘に、ミルトは打ちひしがれて頭を下げたまま動かなくなる。
その姿は哀愁漂っていて可哀想になるので、リンクスは自分の目的の為にも原因を解明させることにした。
「きっかけとか分かります?」
「…………多分、精霊の話をした後からだと思う。精霊を召喚する魔術が本当にあるのかという話」
精霊の召喚とはきな臭くなってきたな、とリンクスは思った。
精霊は精霊界に住む生き物だ。だからその性質上召喚の魔術を用いること自体は理にかなっているのだが……人間が簡単に召喚できるような存在ではない。
また召喚できたとしても、その精霊が人間に有効的とは限らなかった。いくつもの国で召喚の魔術が試されたが、精霊の不況を買い滅びた国もあるほど危険な代物だ。
それゆえに、精霊召喚の魔術は禁忌とされ闇に葬られた。今を生きる多くの人間達は、この魔術の存在すら知らない。
――だが、これらの魔術は未だに実在する。アルカディア王国にも、大図書館の禁書庫にその魔術式が載る「精霊召喚に関する魔術書」が保管されていた。
知っているのは、禁書庫の管理人と国王、そして八法士のみだ。
「……何故その話に?」
「子供の頃の話でさ、悪いことをすると精霊に連れてかれるぞ、って親に叱られた話をして……でも、実際に精霊が人間一人のために動くなんて信じられないよなって言ったんだ」
ミルトの言う通り、精霊が人間の為にわざわざ動くことはあまりない。数百年前から、精霊は基本的に人間へ不干渉のスタンスをとっているからだ。
だからこそ、初代八法士の一人カーニバルと精霊ディオニュソスの話は伝説と言われている。
「そしたらヴィオレット嬢は、そんなことは分からないって、精霊を呼んでみたら分かるかもって」
「だが、精霊召喚の魔術は実在するかも分からないじゃないか。一説には生贄が必要だとも噂されているし、彼女にしては合理的でないことを言うね」
「俺もそう言ったんですけど……」
どうやらこの後は建設的に話し合うことはできなかったらしい。そして、ヴィオレットはミルトを避けるようになった。
「俺、この時は知らなかったんですけど、ヴィオレット嬢は幼少期に双子の弟が亡くなってて……」
「そうだね、モナクシア家長男に当たる人物は表向き病死とされていたけど――実際は精霊隠しだったという話はある」
シメオンは明確に言葉にしなかったが、恐らく知っているのだろうとリンクスは悟った。シンシアが調べて辿り着いてた情報は、同じ王家の人間なら知っていてもおかしくない。
「俺、もし本当に精霊を呼ぶ手段があっても試すのは止めろってキツく言ってしまって」
「心配して、でしょう?」
リンクスの言葉に、ミルトは静かにゆっくりと頷いた。
「現状精霊の召喚はやり方すら分からないんですから、大丈夫ですよ」
「それに、ヴィオレット先輩だって分かってますよっ先輩が心配してること! なのでさっさと仲直りしちゃいましょ?」
「……うん、ありがとう…………いやぁ後輩にかっこ悪いところ見せるなんて先輩失格だな〜!」
ミルトは場を茶化すように明るい声を出した。
その後、リンクス達は最終日の演劇は全校生徒参加だろうから、そこでヴィオレットを捕まえ話し合うことにしようと結論を出した。
演劇の時間は夜に男女が二人きりになれる唯一の時間だ。教師の目が届かないので、一部の人間は劇そっちのけでいちゃつくらしい。
あまりにも独り身に優しくないので、相手の居ない生徒達が憂さ晴らしとして邪魔することもあり、中々激しいものになりそうだ。
もし二人に邪魔が入っても、自分が身体を張るので二人には是非とも進展してほしい、とリンクスは思った。シンシアと一緒に護衛を頑張ろう。
――今後の指針が決まったも当然となり安心したリンクスは、とりあえず全てが終わった後のご褒美に飲む葡萄酒を帰り道で買おう、と決めたのだった。
国の南や東では魚は主食レベルですが、アルカディア王国は結構国土が広いので食べ物の文化も地域差が出てます。東の方が味が濃いとか北は温かい料理が多い、南では海産物を生で食す……など。