2 手紙
二人は集合場所であるナスタチウムの間に辿り着く。
王宮の東側に位置するこの部屋は、魔術師団での会議に使用する性質上、師団上層部の者と国王以外には開くことが出来ない。
全ての生き物に魔力は宿っていて一つとして同じものがない、という魔力の特性を活かして開発されたのが、この扉の形状をした魔道具だ。
この魔力の繊細な違いまで判別する魔道具は、国でも数える程しか生産出来る人物がいない。魔力認証によって開くこの仕掛け扉は技術の結晶とも言える代物なのである。
「八法師<深潭>、招集に応じ参上しました」
「同じく八法師<華燭>、招集に応じ参上しました」
「あぁ、入ってくれ」
「失礼致します」
二人が自分の二つ名と到着をドアに向かって知らせると、中からは入室を促す声が聞こえた。ロティオンがノッカーに手をかけると、重厚そうな扉は魔力に反応したのかすんなりと開き始める。
力を入れずとも自動で開く扉の向こうには、自分達より先に着いていた王。そして王の側には見慣れた人物が居た。
「二人とも合同討伐任務ご苦労だった。楽にしてくれ」
「はい、ありがとうございます。報告書は後ほど……ところでゼノン副団長はなぜここに?」
「なんだ? 俺はここに居てはいけないのか? 仕事はちゃんとしたぞ。疑うのはラーヴァだけにしてくれ」
やれやれとでも言いたげに大袈裟な素振りをする美しい金髪碧眼の男は、この国の魔術師団の副団長であり、王位継承権のある王弟殿下である。
見た目は優雅な王族そのものだが、優男そうな見かけで騙されたものは数知れず。剣では負け知らずな武闘派で、親しみやすい性格の持ち主。
リンクスとゼノンの付き合いは彼がまだ学生であった時に遡り、師団の上司というより兄に近い気安い関係だ。
対して現国王陛下であるディミトリオスは、思慮深く堅実で誠実な人柄で裏から戦争の被害を抑え続けた賢王と言っても過言ではない人物だ。
実際、第五次魔法大戦を止められず参加することになったこの国が、戦争から時間を経たず元通りの生活が送れるほど安定させてみせた。
そのような二人が、リンクス達を緊急収集するほどの用件とは何か。新しい任務だろうか。
「それで、一体何用だったの? 雑談するために呼び出した訳ではないよね? ゼノンにぃまで引っ張り出すなんて嫌な予感しかしないんだけど」
「おい、言い方」
「いやいいさ。楽にしろと言ったからね」
そう言って微笑む陛下にロティオンは何も言い返せない。
「今日私の執務室に一通の魔術便が届いた。鳥の形をしたそれは転送魔術と時限式消滅術式が編み込まれたようになっていて残念ながら残っていない。ゼノンの追跡も成功しなかった」
「もちろん悪戯の可能性もあるが、内容は悪戯の範疇に済まされないものだ。俺は今日たまたま兄上に仕事の用があって、現場が見れたんだが……あぁ〜っ、思い出しただけで胸糞悪い!」
「いったいどのような内容だったのですか?」
苛立つゼノンの様子に、ロティオンが恐る恐る二人に尋ねる。
「手紙にはこう書かれてあった。――シンシア第一王女のウラノス魔術学園へのご入学おめでとうございます。可憐なシンシア様には、かの学園の制服はとてもよくお似合いになるでしょう。美の精霊のように愛らしいお姿をこの目で見ることが叶うと思うと、興奮して眠れません。ですが、そこらの有象無象にもその姿を見せることになるかと思うと、いっそ私の元で閉じ込めてしまいたくなります。いつか私がシンシア様を迎えに行くその日まで、邪な者達の手から厳重に守ってあげて下さいね? ――他にも色々と書かれていたが全部は記録出来てない。だが、この後の文は狂人がひたすらに娘への賛美をしていただけだから構わないだろう」
「きっっっもちわるっっ!!!」
リンクスは大声で叫んだし、ロティオンは絶句してしまっている。手紙が怖すぎたのがいけない。
「………たしかに気色悪い……ですが、これ、誘拐予告のようなものですよね? 王女殿下に対する……」
「あ、たしかに〜! キモい方に気を取られたけど、王族の誘拐企てなんて重い処罰されても文句言えないやつだ!」
そもそも何故手紙を親の方に出すのか。恥ずかしいだろ、とリンクスは不思議に思った。
勿論少し意味は違えど、手紙を不思議に思っているのは彼女だけではない。
「あぁ、暫定的にこいつを『手紙の魔術士』と称するが、最終的な目的はどこなのだろうな……身代金目当てならそもそも犯行を予告するような手紙を先に書かないだろし」
「じゃあ悪戯ってこと?」
「もしこれがただの愉快犯だとしたらお手上げだ。シンシアが本当に目的なら護衛に<転変>を付けるのが一番か」
「手紙は揺動ですぐ実行に移す可能性は?」
「いや、手紙の内容を信じている訳ではないが、魔術士本人はまだ直接的には動いていないと思う……王女誘拐の企てなんて規模の企てならどこかでボロが出るし、制服姿を待ち望むってことは少なくとも入学後が犯行の本命だろうから」
「犯人の追跡は?」
「今も魔術の痕跡を追わせているんだが、芳しくない。そして、魔術士に協力者が居てそいつに手引きされた可能性が出てきた。むしろこの線が濃い」
リンクスが眉をひそめ落胆した声を出す。
「裏切り者とか最悪〜もう王女に近い奴から片っ端に尋問してったら? 少なくとも王女の姿を見たことがある奴なんでしょ?」
「馬鹿。王女は去年から式典行事に参加していて国民の前にも姿を見せているんだぞ。国中の貴族や王都の人間を全て尋問する気か?」
「えっ、でも私は王女の顔知らないよ?」
「それはお前が覚えてないだけだ。そもそも俺達の勤続年数で覚えてないことが論外だ。王族の顔くらい覚えておけ馬鹿」
「第二王女とか下の子達なら分かるもん……うぅ」
ロティオンからの罵倒に流石に上手く言い返せなかったリンクスは、唸り声をあげた後はそっぽを向いて拗ねた。
長いこと王宮内にある魔術師団で働いているにも関わらず、王族の顔を覚えていないのだ。擁護は出来ない。
仕切り直すためにゼノンがリンクスを慰める。
「まあ俺も論外だとは思うが、リンクスの部隊には護衛の仕事ってあまり回らないしお前の性格上仕方ないかもな。だから拗ねんなよ」
「うん……それで、手紙の魔術士の件はどうするの?」
「こちらは犯人へ今すぐ辿り着ける証拠はないから、今出来るのは王宮の結界魔術の強化ぐらいさ。そっちは既に第七が動いている」
「第七には詳細を説明したのですか?」
「ネストルにはね」
話の途中で気になることが出来たリンクスが、手を顎へ寄せて首を傾げた。
「ありゃ? 今日もしかして、王宮には師団の隊長も八法士もあんまり来てなかった? シアちゃんとかも予定あるって言ってた気がするんだけど」
「よく気付いたな。まさにその通り、八法士は誰も、師団の隊長も第七しか居ないという手薄過ぎる時間を狙われた」
「研究練に引きこもってる彼に、王宮の異変に気付けというのも無理なことですね」
任務が想定より早く終わったことでリンクス達が王都に帰還しているが、本来の帰還予定は明後日。
――つまり、今日の王宮が手薄な事を犯人は分かっていて犯行に及んだ。
犯人がこのことを事前に知っていたと仮定すると、事態の深刻度がより高くなる。
「そう言えば、一応お姫さまには話したの? 入学取りやめにする?」
「いやシンシアには話していない。娘はウラノス魔術学園に通うことをそれはもう楽しみにしているから水を刺したくない。それに、シンシアが学園に入学することは既に発表された。今更撤回したら周りに色々と邪推されてしまうだろう。だからとりあえず、護衛を増やすことを検討している」
「そうだね、それがいいよ」
王の憐れみを滲ませた顔に、リンクス達は同意することしか出来なかった。
変態ストーカー的な手紙が届いたなんて知ったら、繊細な姫ならば発狂してしまうだろう。わざわざ教える必要はない。
そんな微妙な空気の中、気を取り直すようにロティオンが質問する。
「……では第一王女の護衛を増員し、今回の件の調査は公にするのは避けるということでよろしいでしょうか?」
「あぁ、それからロティオンには引き続き息子の護衛を継続してもらう。そちらにも害がないとは限らない、よろしく頼むよ」
「学業も手を抜くなよ、ループス家の嫡男が留年でもしたら笑い草だ」
「はい」
「そして、リンクス」
「はーい」
リンクスは、どうせ自分には大した任務は来ないと考えて気の抜けた返事をした。
何故なら同僚達の中でも彼女はこういった任務には不向きだからだ。極秘調査なんて任務が自分に回るとは、微塵も思っていない。
他の八法士の方がこの手の任務は得意だし代わりの遠征要員あたりか、としか思っていなかったリンクスに向かって、国王陛下は笑顔で任務を伝えた。
「君には正体を隠した状態で学園に入学し、王女を密かに護衛しながら怪しい者がいないかを探ってもらう」
「……え、えっ? え〜っと、つまりロティとほぼ同じ任務ってことデスカ? ……しかもこっそりと………ムリ……デ、ハ……?」
リンクスの、カタコトな喋り方に任務への衝撃が表れている。
自慢じゃないがリンクスには密偵のような行動は出来ない。基本的に正面突破タイプだ。
完全に人選ミスである。
「ははっ、無理じゃないさ。それにリンクスだって、護衛を増やすことに賛成しただろう?」
「私がやりますって意味じゃないよっ」
リンクスは慌てて抗議しだす。
(このままじゃ学園に通うことになっちゃう!)
「そもそもお前には学園に入学してほしかったんだ。それなのに、去年はスタンピード発生からしばらく北部から帰ってこないし……こちらも助かっているから、早く戻ってこいなんて言えないしな」
「いや〜去年はロティが学園に入るって言うから、じゃあロティが不在な分も働こうと思ってはしゃぎす、……っ頑張らないといけないなって思ってね! ていうか一般市民の入学試験は終わってる時期じゃなかった? 魔法伯名義で入ったらさすがに内密にできないし、入学できないでしょ!」
「いや入学の話は今回の件がなくてもする予定だったからね。だから学園長がスカウト枠を残してくれているよ」
学園長スカウト枠とは、ウラノス魔術学園にある制度の一つで学園長のお眼鏡に適う人材を自由に入学させることが出来るシステムのことだ。身分すら問わない。
ある程度才能のある者は大抵ウラノス魔術学園に自力で入学するので、スカウト枠は毎年選ばれるわけではないが、選ばれた生徒は掘り出し物として注目される。
それに選ばれたくないなどと言う者は、リンクスくらいだ。
「『入学楽しみにしているわ』と言ってたぞ」
「うわ〜んクロエちゃん用意周到すぎ! 絶対グルだ!!」
リンクスが心の中で麗しき学園長殿を思い浮かべ密かに震えていると、隣で驚いたまま固まっていたロティオンが心配そうに聞いてきた。
「リンクス、魔術以外……学校や家庭教師から教わる類いのこと、勉強したことあるか?」
「我が友よ、それを私に聞く? 少なくとも師団に入って以降ほぼ魔術漬け生活だよ。だから今更…………無理だよ」
強いて言うなら、友人達に付き合って教わったダンスぐらいだ。
引き攣った笑顔で答えるその様子を見たロティオンは、沈痛な面持ちで残酷な宣言をした。
「お前は入学までの間に、まず基礎教養をしっかり身につけろ。貴族が多くいる学園で、まず自分自身が平和で安全な学園生活をするためにな」
ロティオンが「まずリンクスには普通の人間の常識を叩き込まなくては!」と意気込んで主張する。
そんな友の姿に、自分の平穏は完全に失われることを悟ったリンクスであった。