幕間1 もう一人の王弟
時系列的は対抗戦前の話になります。
――寮の一室で青年は窓際に置かれたソファに座り、美しい月や星を眺めていた。
するとそこへ、一匹の蝶が迷い込んでくる。光の粒子を散らしながら飛んできたその蝶は、窓をすり抜けて青年の元へ真っ直ぐ進んできた。
外からの魔術を阻害する結界が貼られた学園の寮で、このような芸当が出来るのは片手の指で足りるほどしかいない。
蝶は青年が差し出した指に止まり、魔力の粒子を散らしながら徐々に消えていった。
この蝶の形をした魔術の正体は、指定した魔力の持ち主の元へ飛んでいくだけの代物だ。
だが、そもそも他人の魔力を覚えることは難しい。極めて難易度の高い魔術である。
そして、この魔術を自分に対し先触れ代わりに使ってくる人物を彼――シメオン・アルカディアは一人しか知らない。
「やぁ、シメオン。今夜は月が綺麗だね〜口封じに来たよ」
「先触れからもう少し時間をおいて来るようにしなよ、リンクス。それと、君の口封じは殺して黙らせる、の意味に聞こえるからやめて欲しいな?」
月を背負い、こちらに笑顔を向けてくるリンクスにシメオンは同じく笑顔を返した。
* * *
「へー、正体を隠して学園生活ねぇ……面白いこと考えるね兄上も」
移動した先のテーブルで向かい合った状態で話すリンクスに、シメオンはしみじみと感想を呟く。
「もう大変なんだよ〜でも、正体明かす方がもっと大変だからいいけどさっ」
「相変わらずのめんどくさがりだ」
飛行魔術で一年の男子寮最上階まで飛んで来たリンクスは、シメオンの部屋の窓から入り込みこれまでのことを秘匿事項を除き説明した。
王だって自身の子供達より警戒心と洞察力の高い弟に、リンクスが全て隠し通せるなんて思っていないはずだ。
(多分シメオンには話しても問題ないんだろうな……むしろ協力者にした方がいいのかも)
入学式でリンクスの姿を見つけたシメオンは、我慢できずに笑っていた。だが、笑うだけでリンクスの正体を暴くような動きはとらなかった。何かしらの思惑で正体を隠していると察したのだろう。
そして事情を聞きにも来なかったということは、シメオンはリンクスがこうして部屋に訪ねてくることを予想していたのかもしれない。
顔を合わせてからも一才動揺した様子は無く、椅子の背もたれに身体を委ねている。全てが予定通りと言いたげだ。
「……もしかして、私が部屋に来るの分かってた? だから月夜を眺めるなんていう、シメオンの性格に似合わないことしてたの?」
「失礼だなぁ、僕だって美しい月や星を見て心を落ち着かせたくなるような日があるのさ」
「胡散臭〜い」
シメオンは、隠し事が異母兄である国王並みに上手い。
王家の人間の中では、彼が一番現国王に似ているとリンクスは思っている。巧妙に嘘を吐くところとか特に。
だがシメオンがリンクスに言った嘘や冗談は、不思議といつも優しさに満ちていた。
なので、嘘吐きな人間が大嫌いなリンクスだが、シメオンのことは嫌いではない。
シメオンが嘘を吐くのが得意になってしまったのも、彼の生き様の問題だ。
前国王陛下がまだ国王であった頃、三度目の結婚でようやく愛する人と結ばれ、生まれたのがシメオンだ。
だが、王妃となったシメオンの母は後ろ盾がなかったことで、王妃と王妃の子でありながら順風満帆な生活とは言えなかった。
前の王妃のせいで警戒されていたのもある。その全てが理不尽だった。
国王の代替りで、シメオン達はやっと息をつけたとリンクスは知っている。
だからリンクスは、彼らが少しでも幸福な人生を送れるように、これからも頑張るのだ。
「ねぇシメオン、設定考えよう〜」
「設定って……君と僕の関係?」
「うん。出来るだけ隠すけど、バレた時の言い訳は必要でしょ? シメオンが決めて」
「僕が決めていいのかい?」
シメオンは、首を傾げてリンクスに問いかける。
「シメオンなら、私に丁度いい言い訳を作ってくれるでしょ」
「……君って純粋だよね、眩しいほどに」
変な設定を考えて提案してくるとは一切思っていないことに、リンクスのシメオンへの信頼を伺わせる。
シメオンは目元を手で覆い、ため息をつく。
そして考える。リンクスの負担にならない程度の設定を――
「じゃあ、こういうのはどう?」
リンとシメオンの出会いは、数年前の王宮だった。
シメオンはかつてから交流のあった<華燭>を通じ、孤児だが将来有望だったリンとも友人となる。
立場が特殊な三人は瞬く間に仲良くなるが、平穏な日々は続かなかった。
「――三人での交流を続けていた彼らだったが、戦争が起こった影響で交流は途切れてしまい疎遠になってしまった」
「つまり、久々の再会系だね! 本にこういう展開あった」
シンシアに借りた小説の二冊目が、戦争の影響で離れ離れになった幼馴染と再開し恋に落ちるという話だった。読んだ本と似た設定は、リンクスとしては多少覚えやすい。
「これなら私でも設定を忘れないと思う!」
「そう? じゃあこれでいこう」
「は〜い」
安心したリンクスは、こっそりと持ち込んでいたお菓子をテーブルに広げ始めた。
制服のポケットから続々と出てくるお菓子を、美味しそうに食べるリンクスを見ながらシメオンは思う。
(君はいつまで、この設定を披露せずにいられるかな? そもそもいつまで正体を明かさずにいられるだろう)
シメオンは密かに、できるだけ早めにこの設定を流すことになってほしいと願った。
そうすれば堂々と、リンクスと公の場で交流出来るのだから。
リンクスがわざわざ学園に通うなんて、本人から聞いた事情以外にもなにか裏がありそうだと察したが、そこに踏み込むつもりはない。
シメオンを窮屈な場所から逃がしてくれたのは、他でもないリンクスだ。心を開ける唯一無二の存在だ。
だからシメオンは、リンクスを煩わせることはなるべくしたくないと思っている。
追及は彼女を困らせるだけ。けれど、放置されていた分くらいの意地悪はしてもいいと思うのだ。
シメオンは、向かい側の椅子に腰掛けているリンクスに機嫌良く尋ねた。
「ふふ……ねぇリンクス。呼び方はどうしようか」
「呼び方って重要? ……じゃあ、殿下とかシメオン様?」
「いつも通り呼び捨てでどう?」
「それはダメだって流石に分かるよ」
リンクスは頭を横に振った後、手でバツを作りながらシメオンを軽く睨んだ。シメオンは咎める様な視線を無視してテーブルに広がり始めていたお菓子を手にした。
二人で菓子を分け合いながら、久方ぶりの会話を楽しむ。リンクスとシメオンの作戦会議はまだまだ続くのだった。