7 シンシアの本性
――リンクスの最初の王は彼の人だった。
今は王都から離れた王家の直轄地で過ごしている。
リンクスにとって、優しくて清らかで、心地良い魔力を持っている最初の主。
もし、彼の人がこの状況を知ってしまったら心を痛めてしまうだろう。そういう善良な人なのだ。
「たまたま二つの要素が重なってしまっただけで作家達やお祖父様のせいではない」
「うん」
作家達については興味もないが、先王は別だ。彼の人が悪いなんて有り得ない。
あの優しい人が悪者なら、世界中の人間が悪者になる。
「騒動を起こした人たちの言い分も理解できるわ……でも、政略結婚は国内外のバランスを保ち、より良い方へと導く為にある。貴族の責務を放棄し、自分のしたことの言い訳に優しいお祖父様を使うなんて許されない」
その顔には、いつもの微笑は一切浮かんではいなかった。微笑みを浮かべるだけの人形の様なお姫様だと思っていた人間が、はっきりと怒りを露わにしている。
(うん、そうだね)
リンクスは、この瞬間初めてシンシアという少女が、キラキラと輝いてみえた。
命令だからではなく、自分の意志で守ろうと思えた。
リンクスは笑ってしまいそうになるのをどうにか我慢し、膝上に置いた手をギュッと握りしめているシンシアの次の言葉を待つ。
「それに、私の大好きな恋愛小説を汚されているみたいでとっても嫌!」
(…………ん?)
「そもそも、最初の流行となった小説の作者であるイオリーティス先生の書く物語の登場人物達は皆誠実です! 少し前から流行り出した婚約破棄系物語に出てくるような不誠実で品性の曲がった男は存在しませんし、出てきても当て馬に過ぎないの!! そもそも何故浮気した方が婚約破棄するストーリーが主流になるのよ!」
(お姫様が当て馬とか言ってる……というか浮気小説が流行ってるの? 貴族さん方の性癖は大丈夫?)
リンクスは普通に引いた。
何故人はこうも歪んでしまうのだろうか。純粋なままではいられないのだろうか……?
「殿下は恋愛のお話が好きなの、ですか?」
「ええ! 大好きですわ!! 悲恋も時に嗜みますが、純愛溺愛物語こそ至高なの! だからこそ昨今の婚約破棄系小説の多さにイライラしてしまうっ。なんで婚約者のいる者が別の人に惚れて婚約破棄する流ればかりなのっ! そして、物語を現実に反映させないで!」
シンシアは、今日一番の流暢な早口で捲し立てる。興奮冷めやらぬ様子だ。
自分の今の状態に気づいたのか、ハッとした後すぐ表情を引き締めてリンクスに願った。
「――というわけで、メルクーリさん。私はこの国の貴族達の結婚観を変えるという方向で、この愚かな騒動を収束させたい。その為に貴女にご協力頂きたいの。協力の見返りには私の個人資産で賄える範囲の要求を飲むというのはどう?」
現実的に考えて誘いに乗る理由はない。リンクスの今代の主は、シンシアを護れとは言ったが従えと言ったわけではないのだから。
それにシンシアの求めるものは、リンクスには難易度が高い。
リンクスは、王侯貴族の結婚相手への認識は、仕事のパートナーのようなものだと思っている。リンクスですらそう認識をしているのに、近い常識をもって育てられた貴族の考えを変えることがたったの二人で可能なのか。
結婚は家の為のものとして認知されているところに、政略で結ばれた相手と恋をしろなんて急に言っても、芽生えないものは芽生えないだろう。
(いや、だから恋の芽生えを手伝えって言ってるのか)
やはりリンクスには荷が重い。恋愛面での心の機微を察せるわけがないのだ。
「殿下の考えは素晴らしいと思いますが、誘導が失敗した場合もっと悲惨なことになるのでは?」
「たしかに、一歩間違えれば一部で騒がれている自由恋愛の風潮の背中を押してしまうことになるわ」
もしこの誘導が成功した場合、貴族達の風向きを変えることができる。
だが政略結婚とは、家と家の契約だ。当人の意思は関係無く、それを都合が良いと思っている者は多いだろう。
つまりシンシアは、作らなくてもいいような敵を作ろうとしている。実行すれば、シンシアは危険に晒されることになる可能性があるのだ。
「貴女達王侯貴族の政略結婚への認識を変えるという行為の代償に、王女様の身に何が起きるか分からないよ。それでも耐えられるの?」
シンシアの言葉に対して、少し挑発するようにリンクスは返した。
「何もしない方が、――王女様は幸せかもよ?」
リンクス個人としては、心の底からシンシアの考えは素晴らしいと思っているが、一歩間違えれば危険なことを庇護対象にさせられない。
それに、危ない目にはあって欲しくないと思うほどには、リンクスはシンシアに対し情が湧いているのだ。
意外にも、シンシアはリンクスに再度願いを告げた。
「一人でも多くこの国の民に幸せな結婚をして幸福な日々を過ごして欲しい。皆が幸せになる手助けをすることは、私の嘘偽りのない悲願。私一人の代償で民が幸せになるのなら構わないわ」
「……ふ〜ん。でもなんで、私に声を掛けたんです? もっと協力的な人に頼めば良かったんじゃないかな。それに、私は恋なんて面倒そうなもののことはよく分からないから、お助け出来るか分かんないですよ?」
リンクスは愛なら分かる。だが、未だ恋は理解できていない。ましてや、自分が誰かと恋をするなんて想像すらしたことがないのだ。
協力したくても役に立たない可能性が高い。
リンクスの言葉に、シンシアはほんの少し微笑みながら答える。
「貴女の立場は誰よりも特別で影響が強いわ。先程も言ったけれど、まるで小説文化が流行し始めた頃のヒロインのような境遇に可憐な容姿だもの。そこに存在するだけでも効果があるわ。そんな貴女を味方にしたいと思うのは自然な話でしょ?」
「…………」
「それに、これはあくまで私の勘だけど……貴女はこの国の特異点となる気がするの」
リンクスは口を挟むようなことはせずに、シンシアの言葉に耳を傾け続けた。
「貴女は恋を面倒そうと言うけれど、実際の恋がどのようなものか知りもせずに言っているのではなくて? 面倒なこと以上に、素敵なことが待っているかもしれないわ。――だからどうかしら? この件を通して恋を知る、というのは? 知らないことを知ることは大切よ。知識は立派な財産になるわ」
「………………ふふ、っふ……あはははっ」
リンクスは突然笑い出した。
(ダメだ……これはもう我慢できないでしょ!)
存在を認識してからずっと、そこらの澄ました貴族の女性と似たつまらないお人形のお姫様だったのに。
今回ペアを組んだ後は、出来る限り接触しないようにしようと思っていたのに。
その実態は、リンクスの憶測とは違っていて。
シンシアの言葉が、彼女と血の繋がった人達を思い出させる。
『お前がどんなに優れたものであっても、この世にはお前の知らないことが山ほどあるんだよ! もう全部知った気になってんじゃねぇぞ、リンクス。一緒に外に出て、ちゃんと見極めてから言え!』
『知識は偉大だよ、リンクス。知ってしまったことで得てしまう苦痛もあるけれど、知識は自分を守ってくれる立派な財産になる。そして様々なことを体験してみなさい。その経験は、君の人生を彩ってくれるから』
(私が間違ってたね……うん、決めた)
そもそもリンクス・アーストロは愉快なことが大好きなのだ。
任務に囚われるなんて自分らしくもない、とリンクスは自身を嘲笑う。
盛大に笑うリンクスに戸惑っているシンシアの要求を飲むことにした。
――この面白い人間を、よく知るために。
「いーよ。協力する」