1 突然の召集
「あぁ〜暇だねぇ〜……なにか面白いこと起きないかなぁ……」
王国魔術師団の隊長室に間延びした声が響いた。
亜麻色の髪を持つ師団の隊服を着た少女は、執務室のソファに寝転びながら、すぐそばで報告書を作成している同僚にぼやく。
アルカディア王国王都アティカの王宮内にあるこの一室。宝物庫に厳重に仕舞われていたかのような高額な魔道具が並んでおり、繊細な刺繍が施された絨毯や華美な家具の数々に彩られている。
そのいかにも特別な者に与えられたかのような部屋の、中央に位置する執務机に向かっている人物が顔を上げた。
目の前の書類に集中していただろう獣人と思われる男は作業を止め、その美しい黄金の瞳で咎めるように少女を見つめる。
「……リンクス、お前は俺が何をやっているか理解できてないようだな。この書類は今回の第三と第四部隊の合同魔獣討伐任務の報告書。つまりお前にとっても本来書かねばならない報告書だったところを、合同任務だったという言い訳を使い俺に書かせているということを忘れたのか。暇だというのなら報告書の一つでも書け」
少女――リンクスの何気ない一言が、普段はクールで感情の起伏が少ない青年を怒らせたようだ。
説教がヒートアップしそうな気配に流石に部が悪いと察したリンクスは、飛び起きて必死に誤魔化す。
「いやっ適材適所ってやつだよロティ! 私が書くよりもロティが書いた綺麗で完璧な報告書の方が、読む方だってわかりやすくていいと思わない? それに私、ロティの字すごく好きだな〜!」
「ふん、自分が書きたくないだけだろう」
リンクスの言葉で多少機嫌を良くしたのだろう。言動とは裏腹に濃い藍色の耳と尻尾を揺らしながら書類の作成に戻る彼に、なんだかんだ誤魔化しは成功したようだ、とリンクスは安堵する。
そんな彼女には、この国で頂点といっても過言ではない位置にある魔法士の威厳は見られない。
ましてや、一般市民であれば一体処理するだけで死者すら出る魔獣討伐の後である悲壮感もない。あるのは日課を終えたような気楽さだ。
二人は、国の西側で増えた魔獣を片づけつい先ほど執務室へ到着したばかりだというのに一片の傷も疲れも見せていない。
西での任務は数が多かっただけで、魔獣の大量暴走であるスタンピードの兆候もなく魔獣の強さが想定より低かった。
――それゆえに彼女は自分を持て余していた。
一年ほど前、北方で魔獣のスタンピードが起きてから王国では魔獣に対して大袈裟なほどの警戒体制となった。
そのため、魔獣討伐を専門とする第四部隊の隊長として討伐任務によく駆り出されるリンクスは、毎度毎度期待を裏切られる。こうして友人に愚痴るのは恒例となっていた。
数年前まで常に戦いの中にいたリンクスには、近頃の戦いへの不満が募っている。
別にリンクスは今の平和が終わればいいなどとは思っていない。この平和の為に戦場を駆けたのだから。
唯々、狂戦士扱いされるほど戦い続けていた身体は、手応えのある獲物を求めているのだ。
「あぁ……暴れ足りないよ」
「それに関しては同意だな」
その発言を聞いたリンクスは、ニヤニヤとした顔を青年に向けた。
「この国の八法士で師団の第三部隊長な侯爵子息ともあろう方が、一般市民と同列なご感想でいいんですか〜。魔獣の出現が少なくて平和で何より、とか言った方がいいんじゃないの?」
青年は、この国の四大侯爵家と呼ばれる大貴族の出身だ。この国の世襲貴族の義務である魔術学園に入学しているので、師団長としての仕事は大分免除され、今回は久々の任務だった。
代わりに任務で外に出ている時間の多かったリンクスは、同じく物足りない日々を過ごしているだろう友人を揶揄う。
「はっ、お生憎様ここには俺たちしかいない。それに、八法士である魔法伯様が一般市民なわけがないだろう。最年少で八法士の座に着いた天才魔法士<華燭>のリンクス・アーストロ殿?」
「私が不用意な発言しても今更誰も気にしないよロティ――いや、<深潭>ロティオン・ループス殿?」
ははは、と笑いながら彼女はソファの背もたれに掛けていたローブに視線を向ける。
その無造作に掛けられたローブこそ魔法伯の証として国王から送られるローブであり、ロティオンが現在身に付けている物も同じデザインだ。
このアルカナ王国における魔法士の最たるもの。それが八大魔法士、通称八法士と呼ばれる存在である。
この地位についた魔法士は魔法伯という一代限りの爵位と、王より授けられる特注のローブや身の丈ほどの杖を頂く。そして最後に、現役時のみ被ることが許された装飾の多い三角帽子が授与される。
そのため魔術士も魔法士も、八法士に選ばれない限りこれらの品々を身につけることは許されない。魔術が生活に根付いているこの国特有の規則の一つだ。
そして魔術と魔法の違いについてだが、この大陸における魔術とは、自身の魔力や地脈を通して精霊界から流れ出た魔素を操り様々な現象を起こすことであり、そのような人々を魔術士と呼ぶ。
魔術には、「火」「水」「風」「地」「氷」「雷」「光」「闇」の属性があり、自分の属性以外の魔術も適正さえあれば使える。一人の人間に対し一つの高い適正属性があり、もっぱらそれを伸ばしていくことが多いが。
そして、魔術の発現には魔力の他に魔術式が必要であり、魔術式の記述や詠唱をすることで魔術を発動させる。
この工程を無視した本人にのみ使用可能な固有魔術が魔法と呼ばれ、発現した者を魔法士と呼ぶ。
つまり大勢の魔術士の中、魔法発現者である極一部を魔法士と呼び分けているのだ。
魔法士の中でもさらに選び抜かれた八人である八法士に名を連ねているリンクスだが、横髪だけ赤に染めている髪を指で遊びながら脱力している彼女の様子からは、偉大なる八法士その人だとは想像もつかない……。
「まあ、平穏な日々というのは尊いものだよね」
時折雑談を振りながら他愛もない時間を過ごしていると、警笛のような音が部屋に鳴り響いた。
「……っ!」
発信源は二人の持つ携帯魔導通信機。国王からの緊急収集の合図となっている音が鳴ったようだ。
手早く通信機を開くと、集合場所の連絡が届いている。通達を確認したリンクス達はすぐさま行動に移った。
さっと身なりを整えた二人は、最後に側に置いていた長杖と装飾の多い三角帽子を取ると、急ぎ召集場所へ向かう。
駆けながらリンクスは嘆いた。
「面白いこと起きないかなって言ったのは私だけど、面倒ごとはお呼びじゃないんだよな〜」
――平和な日常は簡単には続かないようだ。