いろづくせかい
僕が彼女と出会ったのは、単位の埋め合わせで適当に受けた講義の席が隣になったからだった。
その日はたまたま後ろの席が空いていなくて、仕方なく空いていた彼女の隣の席に座った。
彼女は隣に座った僕に、大して興味が無さそうに一瞥した後、手元の本に目を落とした。
それは夏目漱石の全集だった。
僕は「夏目漱石が好きなの?」と声をかけた。
彼女はやはり興味が無さそうに「別に。」とだけ答えた。
彼女ともう一度出会ったのは図書館での事だった。
課題の提出物を作成するために共有スペースを使っている時だった。
やはり1人で読書をしている彼女になぜかまた話しかけていた。
「今日は何を読んでいるの?」
「太宰治よ。」
彼女はやはりそっけなく答えたが、僕は返事があることに満足した。
それから僕は毎日図書館に通い、彼女を探しては話をするようになった。
最初はそっけなく一言しか返してくれたかった彼女も少しずつ会話をしてくれるようになった。
それは彼女が気に入っている本の話だったり、興味のある講義の話だったりたわいのない会話だった。
彼女と話をするために僕は勧められ本を毎回読んだ。
不思議と彼女に勧められた本は読書があまり好きではない僕でも面白いと思えた。
彼女と話して、彼女の勧めた本を読むと僕のなかで何かが生まれていくのを感じた。
それはまるで、心に新しい色が置かれていくようだった。
今日も彼女に勧められた本をテラスで読もうとしていると図書館以外で初めて彼女を見かけた。
彼女にことわって隣に座り会話もなく2人で読書を楽しんだ。
会話もなくただ隣に座り読書をする。
それがすごく心地よい時間に感じた。
図書館だけでなくテラスでも彼女と会うようになってしばらくした頃、初めて彼女から僕に話しかけてきた。
「三橋君の好きな作家は誰?」
僕は「夏目漱石だよ」と答えた。
彼女と初めて会話した思い出の作家の名前だ。
夏目漱石と聞いて彼女はクスクス笑いながら言った。
「三橋君、知ってる?
夏目漱石がI LOVE YOUを『月が綺麗ですね』と訳した説があるけど私には『あなたと見る世界は美しい』『あなたといると世界が色づく』って意味に聞こえるわ『死んでもいいわ』は『幸せすぎて死んでも後悔はないわ』かしら?
デマの可能性がかなり高いらしいけど考えた人はロマンチストね。」
夏目漱石がI LOVE YOUを『月が綺麗ですね』と訳したという話は僕も知っていた。
その時は深く考えず意味が分からないなと思っただけだった。
『あなたといると世界が色づく』
その言葉で僕は唐突に理解した。
こんなに彼女に会いたいのは、好きでもない読書を一生懸命しているのはあの日彼女に恋をしたからだと。
僕は彼女に言った。
「君といると世界が色づくよ」
夏目漱石の知識は教科書レベルですm(_ _)m