通りすがりの人に舌打ちされただけで、その日一日の幸せ気分は簡単に吹き飛んでしまう
今日は一日絶好調だった。
大きな仕事を成功させ上司には褒められ、気になる同僚の女の子とは会話が弾み、昼食の時にたまたま入った定食屋はものすごく美味しかった。
自分でも怖いぐらいにやることなすこと上手くいく。会社は定時を少し過ぎたぐらいで上がることができ、あとはこのまま家に帰って風呂に入って、夕飯を食べて、夜更かしせずなるべく早寝するようにすれば完璧な一日となる。
大勢の乗客とともに自宅のある駅に降り立った俺は、幸せ気分で家路を急ぐ。
前からグレーのパーカーを着た中年男が歩いてきた。
このままだとぶつかってしまうが、まだ周囲に人が多いので、大きくよけるのも難しい。
とはいえお互いに半歩ずつ体をかわせばなんとかなるだろう。しかし、中年男はその半歩をかわすことすらせずそのまま前進してきたので、俺と男の体は接触してしまう。
よけてくれればいいのにと思いつつ、俺は軽く頭を下げる。
「あ、すみません」
その時だった。
「……ちっ」
中年男は俺に向かって舌打ちしてきた。
お前がもっとちゃんとよけていればぶつからなかったんだよ、という意味合いなのは明らかだ。
いや、ちょっと待て。そもそもこっちだってお前なんかに舌打ちされる筋合いはない。
だいたい俺は半歩よけたわけだし、そっちも半歩よけていれば、お互いスムーズにすれ違うことができたじゃないか。
この接触はどう考えても向こうが悪い。百歩譲ってせいぜいお互い様だ。
それなのに、俺は謝り、なおかつ向こうからは舌打ちされるという結果になってしまった。
俺は悪くないのに、一方的に攻撃された格好だ。
しかし、抗議しようとしてももう遅い。振り返っても中年男はとっくにいなくなっているし、おそらく二度と会うこともないだろう。
俺の心には一方的に舌打ちされたという腹立たしさと、なにもやり返せなかった悔しさだけが残った。
仕事を成功させた? 女子社員と仲良く話した? 昼飯がうまかった? 定時に帰れた? 数々の出来事で蓄積されたはずの幸せ気分はいっぺんに吹き飛んでしまった。
***
家に帰ってからもムカつきは一向に収まらなかった。
中年男の顔と舌打ちがいつまでも頭の中に残っている。忘れようとすればするほど鮮明に思い出してしまう悪循環に陥っている。
こうなると、よせばいいのに脳内でああすればよかったこうすればよかったの脳内反省会が始まってしまう。
ぶつかりそうになった時、他の人にぶつかってでももっとちゃんと避けるべきだったとか。
あるいはこっちも避けず正面衝突すべきだったとか。
舌打ちに舌打ちで返すべきだったとか。
せめて「舌打ちすんな! お互い様だろ!」と怒鳴ってやるべきだったとか。
逆にいっそ「申し訳ありませんでしたぁ!」ぐらいの勢いで謝った方がスッキリしたかも、とか。
もうどうしようもないのに、下らないイフばかり考えている。
もし俺が人探しの能力と瞬間移動能力を持っていて、なおかつ肉体的に強くて、なおかつ法律が許すんなら、今すぐにでもあの男を見つけ出してボコボコにしてやるのにな。
こんなことまで考えてしまう。
ここまでくるとイフでもなんでもなく、ただの妄想である。それも相当みじめな部類の。
同じような仲間がいないかと、俺はスマホで「通りすがり 舌打ち」なんてワードで検索してしまう。
すると俺と同じような目にあった人は多い。多いのだが、俺と似たような彼らの体験談はかえって俺の心に負荷をかけることになってしまい、あまり助けにはならなかった。
それにしても、と俺は思う。
今日の俺は、中年男との一件があるまでは間違いなく幸せだったはずである。あの一件がなければ、今日はここ数年で最も幸福だった一日になることもあり得た。しかし、舌打ちをたった一回喰らっただけでこんな有様になっている。
幸せを味わうにはいくつかの幸運の積み重ねが必要なのに、人を不快にさせる行為のなんとコスパのよいことか。
やがて、俺は思った。
人は自分が幸せになったらその幸せを人に分け与えたくなる生き物だと思う。
同時に、自分が不幸になったらその不幸をばら撒きたくなる生き物だとも思う。
例えば、ビックリ箱に引っかかった人間は他人にもその箱を渡したくなるだろう。
嫌なことがあったら、聞かされる側の都合など考えず愚痴りたくなるはずだ。
自分の人生を嘆いて通り魔のような犯罪行為に走ってしまう人もいるし、かつては不幸の手紙なんていう社会現象も起こった。
だから、俺もそれをやろうと決心した。
その日どんなにいいことがあったとしても、その幸せを簡単に帳消しにする不快感を、見ず知らずの人間にも味わわせてやろうと――
***
次の日、俺は出勤してから外回りに出ていた。
舌打ちの件の怒りはまだ収まっていない。我ながら根に持つタイプだと思う。
あの中年男に報復するのは不可能といっていい。だから俺はあの不快感をばら撒いてやることにした。
名付けて、通りすがりの人に舌打ちしてやろう大作戦。
大仰な名前をつけたが、ようは道ゆく人に無差別的に舌打ちをしてやるという実にみみっちい行為である。
だが、こうでもしないと俺はこの怒りを収められる気がしない。
色んな人に舌打ちして、俺に対して怒る様子を想像して、それで自分を慰めてやる。説明すればするほど情けない作戦であるが、俺はもう決行すると心に決めた。
さっそく会社員を発見した。俺より背が低く弱そうで、舌打ちしても胸倉を掴みかかってくるようなことはないだろう。
あの会社員とぶつかりそうになって、舌打ちしてやる。そうすれば彼も俺と同じ怒りを覚えるはずだ。今朝彼にどんなにいいことがあったとしても、その幸せは吹き飛ぶはずだ。
俺はゆっくりと会社員に近づく。
ぶつかりそうになる。
――今だ!
だが俺は、舌打ちできなかった。
途中で怖気づいてしまった。やはりなんの恨みもない会社員に舌打ちするというのは、俺の良心が許さなかったのか。
いや待て、これからだ。次こそ舌打ちしてやる。
今度はスーツ姿の若い女が歩いてきた。
大の男が女の人に舌打ちというのも情けない気がするが、今の時代は男女平等という無茶な理屈で己を奮い立たせ、俺は女性に近づく。ぶつかりそうになったら、舌打ちだ。
「あ、ごめんなさい」とスーツの女性。
「いえ、こちらこそ」と俺。
またしてもできなかった。
舌に力を入れて「チッ」と音を鳴らすだけの行為がこんなに難しいだなんて。舌打ちが癖になってる人って実はすごいんじゃ、なんて思えてくる。
俺は諦めず、次の標的を決める。
黒髪と茶髪が混ざり合った頭で、シャツを着崩した、ちょっとチャラついた印象のある若者だ。あいつにしよう。
あの手の輩はもしかすると「舌打ちしやがって!」と怒ってくるかもしれないが、いっそそれぐらいしてもらった方が俺としても罪悪感が和らぐかもしれない。
若者とぶつかりそうになる。
さあ、レッツ舌打ち。
「おっと、失礼しました」
若者は意外に丁寧な言葉遣いで俺を避けていった。これではもちろん舌打ちなどできるわけがない。人は見かけによらないなぁ、なんて感心してしまった。俺のバカ。
次の標的を定める。大学生ぐらいの大人しそうな女の子が歩いてきた。
大人しい女の子が突然若手サラリーマンに舌打ちされるなど、下手するとトラウマになってもおかしくはない。しかし、やむを得ない。
すまん、トラウマになってくれ。俺のために。
……やはりできなかった。
このまま俺は誰にも舌打ちできないまま、「通りすがりの人に舌打ちしてやろう大作戦」は失敗に終わった。
***
まだ時間は空いているので、俺は適当なカフェに入ってくつろぐ。
熱いコーヒーをブラックのままぐいっと飲む。苦味が体に染み渡る。
俺は他人に舌打ちできなかった。
なんでできなかったんだろう。怖気づいたのはもちろんだが、やはり土壇場で他の人にあの不快感を与えたくないというセーフティが働いたというのもあった。昨日の舌打ちはそれほど尾を引いていた。
昨日味わった理不尽な怒りや不快感を他人にも味わわせたかったのに、結局できなかった。
あれほど固く決心したのに、情けないことだ。
しかし、こうも思う。
他人に舌打ちしなくてよかったと。俺は他人に不幸をばら撒いて喜ぶような男ではなかったのだと。もし実行していたら、俺は自分で自分を軽蔑していたかもしれない。そうなったらそれこそ立ち直るには時間がかかっただろう。
なんだか急に心が軽くなったような気がした。
俺は舌打ちしなかった。偉い。俺は他人を不幸にしなかった。偉い。俺は自分がされて嫌なことを人にしなかった。偉い。
なんという満足感だろうか、なんという幸福感だろうか。
俺はもう、昨日の中年男や舌打ちのことなどすっかりどうでもよくなっていた。さあコーヒーを飲んだら仕事に向かおう。今日も一日頑張ろう。
通りすがりの人に舌打ちしなかっただけで幸せになることもあるんだな、と俺は思った。
完
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