第09話 才能
翌日。
ニアスの私への態度に、特に変化はなかった。
朝、私が起きた頃に部屋に来て、義足の調整をしている時に、
「……君には助けられている。それは本当だ」
「……そう」
それだけ言葉を交わした。後はいつも通り。
朝食が済むと、ニアスはさっそく昨日話した黄鉄虫を採りに森へ入るとか。『一緒に来るならまた荷車を出すが』とのことだが、もうお尻を痛くするのは御免だった。それに、虫取りに女を誘うなよ。
私には行ってみたいというか、確認しておきたい場所があった。
ニアスの家を出て坂を下るのではなく、上った先。幸い、坂と言っても傾斜はそこまできつくないので、私でも歩いて行けるだろう。……もっとも、五分ほど歩いたところで後悔したが。
そしてさらに五分ほど歩くと、視界から木々が消える。
開けた場所には一面にスソキルナの花が咲き、まるで雪原のように真っ白だった。
踏み荒らされることもなく、今日が快晴なのも相まって、素直に美しい。
「……また崖。ほんとに、縁があるのね」
花畑が途切れた先は断崖絶壁。高さもかなりあり、波も激しく打っている。既視感のある光景だ。今の私が落ちたら、今度こそ間違いなく死ぬだろう。
「お、お姉ちゃん! あんまりそっち行っちゃダメだよ!」
ぐぐっと腕を掴まれた。見ると、アメイが焦りながら私を引っ張ろうとしている。
私がここに来ることは、ニアスとアメイにも言ってある。するとアメイが付いてくると言い出した。この場所は崖があり、ニアスから危険だと教えられていたので、私が心配だったようだ。
「大丈夫よ。落ちることなんてないわ……もう」
崖から離れると、アメイは安心したように手を離した。正直、これで家の周囲の確認は済んだので、さっさと帰りたかったのだが、
「見て見てーお姉ちゃん! お花で指輪作ったーー!」
アメイの方がはしゃぎ回っているので、そうもいかない。置いて行くことになんら抵抗はないが、それをするとニアスが私をどう思うか。もちろんアメイもそうだ。
この兄妹からの私への好感度は、できるだけ高めておく必要がある。
「お姉ちゃーん、ほら、頭に被るやつー! 似合う?」
アメイはスソキルナの花で指輪や冠を作って遊んでいた。出来映えは……適当に組み合わせているだけなのでお察しの出来だ。
……アメイは私の付き添いという話だが、本当は自分がここで遊びたかっただけじゃないの、これ。
「…………」
少女は純粋で素直で、屈託のない笑顔を向けてくる。
アメイに『お姉ちゃん』と呼ばれる度に、ディーテのことを思い出してしまう。
ディーテ・フォン・ロキアーズ。
四つ下の妹。誰にでも優しさを与え、愛し、だから誰からも愛される。
私は愛されるために仮面を被ったが、妹は〝素顔〟で愛された。
優秀で有能で、聞き分けが良くて、子犬のように姉を慕う妹。
いつからだろう、そんな妹が時折、眩しく見えたのは……。
いつからだろう、そんな妹が時折、妬ましく思えたのは……。
だからなのだろうか。
あの日、私は――
「――お姉ちゃん!」
そこで我に返った。
木陰で休んでいた私に、アメイが一輪の花を見せてくる。
「……スソキルナの花?」
「あのね、このお花ね、白いけど、青いんだよ!」
「……?」
「白いけどね、青くなるんだよ!」
「わかるように説明なさい」
子供の話は要領を得ない。まともに取り合っても無駄なことが多い。だから子供と話すのは嫌いよ。
「えっとねー、こうやってね、ずーっと見てるとね、たまにね、青いキラキラが見えたりするの!」
いったいなにを言って――
「……ちょっと貸しなさい」
私はアメイからスソキルナの花を受け取り、花弁に触れる。
「……アメイ、これでなにか見える?」
「え? んー……あっ! キラキラだ! 青いキラキラが見える!」
「……そう」
はしゃぐアメイにスソキルナを返した。
アメイに見せる際、私は花に魔力を込めた。もちろん私には大量の魔力を操る素質はないし、魔法も使えない。ただ、ほんの少しの魔力なら集めることができる。
スソキルナの花は微量だが魔力を内包する。それはつまり、魔力を貯蔵できるという意味でもある。だから私は、花の許容量を超える魔力を流しこんだ。すると花は過剰な魔力を外へ排出する。これがアメイが見た〝青いキラキラ〟の正体だ。
つまり、それを視認できるアメイには、魔の才があるということ。
「…………」
が、それほど驚くことではない。魔の才は血筋に影響を強く受ける。実兄であるニアスに才があったのだから、妹にあってもなんら不思議ではない。
「…………」
アメイの持つ魔法使いとしての資質が、どれほどのものかはわからない。
ただ、魔力の扱いには先天的な資質が大きく関わり、後天的に身に付けることは極めて難しい。
なので、アメイは自分でも気づかぬ内に貴重な〝才能〟というチケットを一枚、持っていることになる。
「…………」
だが、このまま行けば間違いなく、アメイはその券を満足に使えない。その価値もわからぬまま、紙くずのように捨てることになるだろう。
「…………」
……私には関係ない。関係のないことだ。
不知の罪。知らない人間はそれだけ損をする。あたり前のことだ。
だから知を求め、だから知に価値が生まれる。
「…………」
……ニアスとアメイ、このふたりの懐柔が、今の私にとっての最優先。
「……アメイ」
花畑と睨めっこしてるアメイを呼んだ。
「どうしたの? お姉ちゃん」
「貴方、遊んでばかりね」
「え?」
「勉強は?」
「えっ……そ、それは……」
「読み書きは? 算術はできるの?」
「え、えっと、たまにお兄ちゃんが教えてくれて……」
この分ではまともな勉学は受けていないわね。
「…………」
思わず舌打ちしてしまった。
だからおまえらは、搾取され続ける、奪われる側から抜け出せないんだ。
こんな武力も後ろ盾もない村、なにかの切っ掛けで簡単に蹂躙される。
わかっているの、アメイ。貴方が兄と離れたらどうなるか?
わかっているの、ニアス。貴方の妹は、貴方と離れて幾日も経たない内に、身体を売って食いつなぐ生活になるということが。
「……家に、戻るわよ」
「え? ど、どうして……? まだ、遊びたい……」
「私が教えるわ。読み書きも、算術も、魔力学も。だから……帰るわよ」
「えっ、ほ、ほんと? ……い、いいの?」
学ぶ意欲はあるようだ。なら、なおのことだ。
「……せめて、真っ当に女……人として生きられる程度にはなりなさい」
帰路につく際、ふと振り返った。
白い花畑、その先にある、崖。
……。
…………。
………………。
「――お、お姉様……」
まただ。
「だっで、わ、わたし……なく、しちゃって……ひっく」
またあの光景。
「■■■■――を、な、なくしてしまいました……」
記憶の奥底にあった、妹の姿。
「…………」
まるで昨日のことのように浮かび上がるそれを、必死に振り払った。
もう、過ぎた話よ。
今更思い出したって、しょうがないじゃない。
「…………」
家に帰る道中、何度も自分にそう言い聞かせていた。