第08話 誘惑
ニアスに魔力についての知識を与えるのは、その方が私にとって得になるからだ。
ニアスには魔具師としての才がある。このまま育てていけば、ある程度の財は確保できるようになるだろう。そうなれば、私はもっと動きやすくなる。
そう、全ては、私のためにそうしているのだ。
まるで言い訳のようなそれが、思考の中に溢れる。
いらいらする。自分で自分を怒鳴ってやりたい気分だ。
情でも湧いてしまったんだろうか?
食物連鎖の最下位にあるような村と住人。
それと過ごす内に、哀れみのような感情が生まれたのか……。
ただひとつ言えるのは、今の私は私らしくないと言うこと。
だから、それを正す必要がある。
感情ではなく、理屈で動く。それが私だ。
ならやることはひとつ。
今のニアスは私に心を許している。懐柔を一気に決めるには、今が最良。
……だいぶ頭も冷えてきた。もう大丈夫。
「…………」
私は行動に出る。
ニアスの籠絡を決定付ける、一手を打つための。
既に夜は更けているが、ニアスは未だに工房に籠もっていた。昼間に私から教わったことを、まるで新しい玩具を与えられた子供のように試している。ニアスにはあの後も、魔石精製の効率化や、魔力の扱いについての最低限のことは教えた。
集中力が必要だから睡眠や食事をきちんと摂ることも大事、ってことも言ったはずなのに、まったく男っていつまで経っても子供ね。
アメイは自室でとっくに寝ている。
「…………」
私は、ニアスの寝室にいた。
寝台に腰掛け、揺れるロウソクの灯りを見ている。
「…………」
薄くみすぼらしいネグリジェ一枚の姿で、静かに待つ。
「…………」
ロウソクがその身をずいぶんと小さくした頃、工房から聞こえてくる音が止んだ。
扉が開く音、閉まる音、それに足音。どれもが小さい。おそらく、アメイを起こさないようにということだろう。
「…………」
そしてガチャリと、寝室の扉が開いた。
「……スイ?」
ニアスは驚いていた。当然の反応だろう。
「どうした? こんな時間に」
こんな時間になったのは、おまえのせいだろう。
「……足、義足のことか? どこか不調か? 右足が痛むのか?」
だったらこんなところで待たず、工房に行って話すだろう。もう少し頭が回る男かと思っていたが、こちらの方面はやはり朴念仁か。
「……貴方には、助けられたわ」
私はゆっくりと立ち上がった。
「家も、着る物も、食べ物も、与えられた」
「そんなこと誰でも――」
「誰でもできることじゃないわ。見つけたのが貴方じゃなかったら、違う結果だったかもしれない」
杖をつきながら、一歩一歩、ニアスに近づく。
「……私には、その恩に報いることが、返せるものがないの」
「そんなことはない。昼間だって君のおかげで――」
「足りないわ、足りない。そうでしょう?」
もうニアスはすぐ目の前だ。
「『足りない』、そう言って」
手から離れた杖がカランと床を転がった。
「スイ……?」
「『足りない』、そう言ってくれれば……」
ネグリジェに手を掛けた。薄くよれよれだったそれは、いとも容易く両肩から滑り落ちる。
「ば、馬鹿な真似はやめろ……!」
咄嗟にニアスは顔を背けた。
「……私は嫌?」
「誰がとか、そう言うことじゃない……!」
「……髪、目も、足も、身体中も傷だらけ。そんな女は、嫌?」
……自分で言って悲しくなった。
実際、今の私には女としての魅力はない。失われてしまった。
こんな傷物を抱けと言われても、嫌なのかな。
……嫌、なのかな。
「……君は、魅力的な女性だ」
「……よかった」
男なんてみんな一緒だ。弱々しい姿を見せれば、こちらから胸に沈めば、すぐに豹変して押し倒してくる。……この男とて、例外ではないはず。
「……ニアス、女に恥をかかせないで」
未だ顔を背けるニアスにぐっと寄り、ゆっくりと唇を近づけたが、
「――!」
明確な拒絶の意志と共に両肩を掴まれ、制された。
「……頭を、冷やしてくる」
それだけ言って、ニアスは部屋を出て行ってしまった。
「…………」
残された私は、小さくため息を吐いた。
この結果を、予想していなかったわけではない。
ニアスの性格を思えば、むしろこうなる可能性の方が高かった。
確かに色仕掛けは男を懐柔するのに手っ取り早いが、それは相手による。
少なくとも、ニアスには効果的ではない、それはわかっていた。
わかっていたはずなのに。
「……なにやってんだろ、私」
しらけた空気が一層、馬鹿馬鹿しくさせる。
「……寝よ」
足下に落ちていたネグリジェを着ると、さっさと自室に戻った。
いろんな感情が、考えが、頭を巡っていたが、見ない振りをした。
今はただ、全てを忘れて眠りたい。
それだけだったから。