第04話 村人
「眼帯の具合はどうだ?」
ニアスが尋ねてくる。外出する際、ニアスから黒い眼帯を手渡された。左目を隠し、左の頬も半分ほど覆うやや大きめの眼帯だ。
「え、えぇ、問題ないわ」
いや、それどころじゃない。森だぞ、森! 森の中だ! え? 〝村〟って言ってなかった? 村? ……村!? 森なのでは!?
「ニアス」
「どうした? 足が痛むか?」
「ここは本当に村なの? 他に住民は」
振り返るとニアスは不思議そうな顔をしていた。が、すぐに悟ったようだ。
「ふふ、ちゃんと村だ。この家は、少し、離れているんだ。〝工房〟だからな」
工房? なんの? ……それにしても、仏頂面の鉄仮面かと思っていたけど、笑えるのね、貴方。……どうでもいいけど。
「下っていけば、すぐ集落だ」
「お姉ちゃん、歩ける? 手、貸すよ?」
アメイが心配そうに手を差し出してきた。子供にしては殊勝な心掛けだが、私は今の自分の身体について知る必要がある。体力や歩行距離の限界をだ。
家の前にはいちおう道があった。下れば集落ということなので、私たちはなだらかな坂を歩いていく。左右にはニアスとアメイがいて、私のペースに合わせて歩いている。
「それで、工房って?」
「魔工房だ」
「魔具の? 貴方、魔具師なの?」
「そんな立派なものじゃないがな」
その答えを受けて、私は小さく息を吐いた。
「質問の応酬は嫌いよ。纏めて答えて」
「そのためには、まず村について話す必要がある」
ならさっさと話しなさい、と喉まで出かかったが堪えた。
集落とやらに向かって歩いていると、木々の間からぽつぽつと民家が見えた。ニアスの家と同じように、森の中に点在しているようだ。
そして歩き始めて十分ほどで、森を抜けた。
私の足でこれなので、ニアスの家は案外森の浅いところにあったのか。
そこは開けた場所になっていて、予想よりは活気があった。もっとも、貧相な村には違いないが。
ざっと見ると、広場を囲うように民家が建ち並び、奥には教会らしき建物もある。大半がボロ屋だが、なぜかそこにいる下民たちの表情は明るい。
「ムーサ村だ」
「ムーサ村だよ!」
ニアス兄妹が言った。
「それで、必要があるらしい〝村について〟は?」
「まずは教会へ行こう。ノゲシに君を見せたい」
ノゲシ……たしか、私を治療した魔法使い……だったかしら。
教会に行くには、広場を突っ切る必要がある。そうなれば、当然だが私は皆の視線に触れることになる。
小さな村なのだから当然とばかりに、皆私がニアスの家に担ぎ込まれたことは知っていた。老いも若きも私を見ると近寄ってきて、声を掛けてくる。
「大変だったねぇ」
「元気になってよかったよかった!」
「困ったことがあったらなんでも言ってね!」
「これよかったら食べて、ほら! 美味いよ!」
赤の他人である私の身を案じ、そして喜んでいた。それどころか、どいつもこいつも名乗るばかりか、簡単な自己紹介までし始める。
冗談でしょ? おまえらの名前なんて覚える気はないわよ。
おまえらと私とでは、住む世界が違うの。それを理解して。お願いだから。
……それにしても、自国の第一王女の顔すら知らないとは、なんとも情けない国民ね。もっとも今の私は見る影もない姿だし、なによりこいつら程度の下民なら、そもそも私の顔を見たことがない可能性も高いけど。
……この分ならば、村にいる限りは上手く身を隠せそうね。
私は適当に愛想笑いで村人をあしらいながら、そんなことを考えていた。
「ここは教会だが、別に神父がいるわけじゃない」
教会の門を開けながらニアスが言った。
……だから、伝えられる情報があるなら前もって話せ。小出しにするな。
なお、アメイは友達であろう同年代の子供に誘われ、森へ遊びに行ってしまった。
ニアスが姿の見当たらなかったノゲシを呼びに行っている間、私は椅子に座って休んでいた。
「……このくらいが限界ね」
右足が熱を帯び、鈍い痛みを蓄積しているのがわかった。
ニアスの家からここまで、たぶん500メートル程度。病み上がりというのもあるが、家と教会を往復すれば、その日はもう歩きたくなくなるだろう。
これではどこへも行けない。
私の活動限界範囲は、このムーサ村の中だけ。
「……やっぱり、手駒がいるわ」
文字通り、手足となって働かせる人間が必要だ。
となると、やはりニアス兄妹の懐柔は必須……か。
「――ふむ、顔色は悪くないようじゃの」
顔を上げると、見知らぬ老人がいた。隣にはニアスもいる。
「スイ、ノゲシだ。君を治療した」
白髭を携えた老人は柔和な笑みを浮かべている。こいつが治癒魔法の使い手か。
「ニアスから聞いたが、記憶を失っておるようじゃな。ふむ、治してやりたいが……ワシでは難しいかもしれんのぉ」
「そうなのか?」
尋ねたのはニアス。
「うむ、脳の損傷を治すほどの力はワシにはない。それに記憶喪失の原因が心にある場合も、やはりワシには難しい」
正しい判断だ。それらを治療できるのは、それこそ世界でも一握りの魔法使いだけだろう。このノゲシは治癒魔法使いとしては、〝上の下〟と言ったところか。
おそらく瀕死であったであろう私をここまで回復させることはできるが、欠損は治すことができない。どうせならもう少し腕があればと思ってしまうが、こんな辺鄙な村にこのクラスの治癒魔法使いが居ただけでも奇跡に近い。
「……治癒魔法はとても扱いが難しい……そんな覚えがあるわ」
記憶を失っている設定だと、いちいち発言にも気を遣う。面倒くさい。
「貧しき村におるのは不釣り合いかの?」
「いえ、そういうわけじゃ……」
そういうわけなんだが。
「ふむ。ワシは昔、冒険者でな。これでもそこそこ優秀じゃった。おなごにもモテモテでな。仲間と世界を旅しておった」
元冒険者。それでか、齢八十は超えていそうなのに、やけに活力があるのは。
「しかしまぁ歳には勝てん。それで腰を据える場所を探しとって、ここに流れ着いたというわけじゃな」
「貴方なら、極貧とは無縁の生活を送れたのでは……?」
見たところ、この老人は特に裕福そうにも見えない。治癒魔法が使えるのならば、それこそ王都でも仕事には困らないだろうに。
「ふふ、住めば都じゃよ。それに、この村は温かい。老い先短いジジイには、この温かさは心に染みるでな」
能力はあっても頭がないタイプか。
この手の人間は利用価値がある。治癒魔法が使えるとなればなおさらだ。
できれば手中に収めておきたいが、今は欲張れない。
まずはニアスの懐柔が先決だ。
「……貴方とニアスは命の恩人。だけど、私には払えるものも、返せるものもない」
「ほほ、この村でそんなものは求めんよ」
「あぁ、俺たちは、この村の人間は、奪われ尽くした者だ。だから、他人からなにかを奪ったりはしない」
そんな甘ったるい考えで、よくこれまで生きてこられたわね、貴方たち。
だけど、なんとなくわかった。この村はつまり、
「行き場を失った者が流れ着いた終着点、といったところかしら」
「ふふ、そんなところだ」
ニアスは小さく笑った。なんの笑いよ、それは。
その後もニアスとノゲシに村に関することを聞いた。
そもそもこのムーサ村というのは、廃村にどこからともなく人間が集まり、出来た村らしい。今ある住居も、元々建っていた物を修繕して使っているというわけだ。
ノゲシが住む教会もそうだ。神からも見放されし滅びた村。
だからこそ、ここの住人は来る者を拒まず、優しさで迎える。
……この村は使えるな。上手く利用できれば、再起のための足掛かりにできるかもしれない。なら、やはり必要なのは手駒だ。
こうなると、いよいよもって、〝ニュンペ〟を失ったのが痛いわね。
私の近衛兵〝ニュンペ〟。幼少期から手塩に掛けて育てた忠実な下僕たち。
どんな命令も疑問なく実行する、私の剣であり盾。
もしも彼らが生きていて、この場にいたら……。
こんな下民共でなく、彼らが私の手駒として使えたら……。
嘆いても仕方がないが、気が滅入る。
それでもやるしかない。
急がば回れ。それには慣れている。
私は生きている。なら、やり直せる。やり返せる。
私をこんな目に遭わせたクズ共に報いを受けさせるまでは、死んでなるものか。