謎の密室で目を覚ましたら、知らない男の声が「さあゲームの始まりだ」とか何とか言っているが、そんなことよりも今すぐトイレに行かないとヤバい。
目を覚ますと、そこは見知らぬ部屋だった。
俺は見知らぬ部屋の、見知らぬベッドに寝かされていた。
そうか、これが「知らない天井」というやつか。
変に納得しながらしばらく天井を見つめた後で、きょろきょろと周囲を見まわす。
大きな部屋だった。
本当の俺の部屋よりも、明らかに大きい。家賃換算で倍くらいは違うと思う。ここがもし駅近の物件だったら三倍くらい違うかもしれない。
部屋には俺の寝かされていたベッドのほかに、机や棚があり、意味ありげな小箱がいくつも床に置かれている。
壁には絵画やシカの頭部の剝製などがごちゃごちゃと飾られていて、統一感がない。奇妙な窪みや落書きもある。
部屋の出口ともいえるドアは、一つだけしかなかった。
上体を起こし、ベッドから下りる。
素足には、床のフローリングが冷たかった。
邪魔な小箱を足でどけて、ドアに近付く。
ドアノブを掴んで回そうとすると、硬い感触が返ってきた。
動かない。
「あれっ」
そう呟いて、もう一度ドアノブを回す。
やはり、動かない。
「なんだよ、これ」
その時だった。
どこからか、ざざっというノイズのような音がした。と思うと、室内に誰かの声が響いてきた。
「おはよう。目が覚めたようだね」
男の声。
……のように聞こえる。
だが、ボイスチェンジャーか何かで加工しているらしく、誰の声かは全く分からない。
「残念だが、そのドアは開かないよ」
声は言った。
「ドアを開くには、鍵が必要だ。そして、鍵はこの部屋のどこかに巧妙に隠されている」
男の声に、くっくっく、という含み笑いが混じった。
「これはゲームだ」
声は、宣言するように言った。
「君の命を賭けた、くだらなくも恐ろしい、滑稽で残酷なゲームだ。隠された鍵を見付けられなければ、君はこの部屋から出ることはできない。飢え死にするのを待つしかないのだ。といっても、そう簡単に鍵が見付かるわけはないのだがね」
「……い」
「うん? 何かね?」
ぼそりと呟いた俺の言葉に、声が反応する。
「何か言ったかね?」
「……たい」
「そうか、私が誰か知りたいのか。どうして自分がこんな目に遭うんだと、そう言いたいわけだな?」
声は、実に愉しそうに言った。
「だが、今は教えるわけにはいかないね。私の正体は、お楽しみというところだ。だが私の呼び方が分からないのも不便だろう。そうだな、仮にXとでも名乗っておこうか」
声の主は少し興奮しているらしく、声に時折、呼吸音のようなノイズが混じる。
「今、君の頭はめまぐるしく回転していることだろう。こいつは誰なんだ。なぜ俺にこんなことを。俺に恨みを持つ人間なのか。だけど俺は人から恨みなんて。待てよ、あれか。いや、まさかあれか。なあんてね。ふふふ」
Xと名乗る声はこちらの反応を楽しむように喋り続ける。
「もしかしたら謎を解いていくうちに、君にも少しずつ見えてくるものがあるかもしれんがね。それが君にとって必ずしも愉快なものであるとは限らないとだけは言っておこう」
「……きたい」
「そうだろう、まだ生きたいだろう」
Xの声が震えた。何か強い感情を押し殺そうとしているようだった。
「君もまだ若いのだから、こんなところでわけも分からず死にたくはないだろう。だったら必死になることだ。必死に謎を解き、鍵を見つけ出すことだ。さもなければ」
「トイレ行きたい」
「えっ?」
「トイレ行きたい!!!」
俺の叫びにXの声はしばし途切れた。
静寂。
やがて、ざざっというノイズとともに、声が戻ってきた。
「え、トイレ?」
「そうだよ、トイレだよ!」
俺は叫ぶ。
「当たり前だろ、寝て起きたんだから、トイレ行くだろ、普通」
「そ、そうかな」
「どこだよ、トイレ! 早く行かせろよ!」
「そ、それは」
困った声でそう言いかけて、声は自分の立場を思い出したようだった。
「この部屋にトイレはない」
重々しく、Xはそう告げた。
「トイレに行きたくば、この部屋の謎を解き、鍵を手に入れるがいい」
「間に合うわけないだろ!」
俺は叫んだ。
「ばかか!」
「え、ばか?」
声がびっくりしたように跳ねた。
「ばかって誰が」
「お前だよ!」
俺は叫びながら足踏みをした。どんどん、と足元でフローリングが鳴るが、全然揺れない。すごく堅固に作られた部屋だ。
「今すでに限界に近いんですけど。謎解きとか言ってる場合じゃないんですけど、まじで」
俺はいらいらと周囲を見まわす。
「こんなに広い部屋なのに、なんでトイレないの。意味わかんないんだけど」
「いや、それは」
「漏らすよ。漏らす。まじで漏らす。ここでしちゃうけどいいのね、それは。仕方ないよね、おたくさんのせいだもんね」
「いや、ちょっとそこで出されるのは」
Xは困った声を出した。
「匂いが染みついたら、洗っても落ちないし。落ちたとしても、なんか生理的に嫌だし」
「嫌だったらドア開けろよ! 行かせろよ、トイレ!」
「うーん……いや、それは……」
しばらく唸った後で、Xは妥協したようだ。
「分かったよ、分かった。していいよ」
「え、いいの?」
「その代わり、部屋の隅でやってよ。家具とか箱とかのないところにしてよ。そういうの、後でゲームで使うんだから」
「分かった分かった。はいはい、オーケー」
俺はXの心配そうな声に生返事しながら部屋の隅へ移動した。
「じゃあこの辺で失礼して……」
壁に背中を向けて、ズボンを下ろす。
「えっ、ちょっと待って」
「なんだよ」
「え、何でズボン全部下ろすの」
「そうしなきゃできないだろ」
「え、ごめん。ちょっとごめん。整理させて」
「何だよ、こっちは急いでんだぞ」
「いや、えーと……君さ、さっきトイレって言ったよね」
「言ったよ」
「したいのって、小じゃないの」
「誰がそんなこと言ったよ。大だよ、大」
「嘘でしょ、ごめん、無理無理」
「無理って何がだよ!」
「一回ズボン履いて」
「はあ!?」
「お願い、一回履いて」
「なんだよ、もう!」
俺がズボンを上げると、Xの咳払いが聞こえた。
「えぇー……」
Xの声。引いているようだ。
「なんだよ、お前がしていいって言ったんだろ!」
「いや、言ったけどさぁー……」
Xの声が遠い。身体まで引いているらしい。
「まさか大だなんて思わないじゃん……」
「大だとか小だとか、お前に決める権利あるのかよ!」
俺はまた足踏みを始める。
ああ、漏れそうだ。
「ほら、波が来た!!」
腹を押さえて歯を食いしばる。
あー、つらい。便意よ、頼む、もう少しだけ待ってくれ!
「ほら、ここで出すぞ! いいな、いいよな!」
ズボンに手をかけた俺を、Xの声が止めた。
「待って、だめ、やだ、無理、待ってって!」
「こっちが無理なんだって!」
「分かった、鍵出すから。いったん鍵出すから、それでトイレ行っていいから」
「なら早くしてくれ!」
「じゃあ、そこの引き出し開けて」
「ここか?」
手近の引き出しを開けようとするが、何かが引っかかっていて開かない。
「あ、そこはまだ」
「まだって何だよ!」
「順番に開けないといけないから」
「嘘だろ!?」
「あ、それから、これから教えることは全部忘れてね、いったん。トイレの後でもう一回仕切り直すから」
「何でもいいから早くしてくれ!」
「じゃあ、その引き出しの隣の引き出し」
「うおお!」
便意を紛らわそうと大声を出しながら、引き出しを開ける。
そこに入っていたのは、一枚のカード。何だかよく分からない絵柄が描いてある。
「鍵って言ってんだろうがあああっ!!!」
「いや、だから順番って言ってるでしょ」
Xはため息をつく。
「それを、鹿の口に差し込んで」
「鹿? 鹿って…あれか!!」
壁に掛けられた鹿の剥製の口に、カードを突っ込む。
「本当はね、そのカードの絵柄がヒントになってるんだけど」
「そういうのは後で聞いてやるから! うおっ」
突然、鹿の口ががぱっと開いて中からタイルのようなものが数枚こぼれ落ちてきた。
「鍵はぁぁぁ!!!」
「次はそれを、ほら。壁に掛けてある絵にうまく嵌めて」
「パズル!!!」
俺は尻を押さえながら叫ぶ。
「今、この状態でパズル!!!」
「とりあえず教えてあげるから、タイル持って絵の前行って」
「あああー!!!」
ゾンビみたいに呻きながら、よたよたと絵の前に行く。
「じゃあその一番大きいタイルを右上に嵌めて、それからその下にちっちゃいやつを」
「あうううー!!」
何だ。何で俺は今こんな状態でパズルを解かされているんだ。
「これでいいのかー!!」
最後のタイルを嵌めると、絵がぎぎぎー、と音を立てて横にスライドし、その裏の窪みに隠された鍵が現れた。
「鍵だー!!!」
それを引っ掴んでドアに走る。
「実は、完成したその絵が私の正体を知る大きな手掛かりになってるんだけどね」
Xが何か言っているが、そんなことはどうでもいい。震える手で鍵をドアの鍵穴に挿す。
だが、入らない。
「なんだこれええー!!」
明らかに鍵と鍵穴の大きさが違う。
「あ、それはドアの鍵じゃなくて、そこの床の小箱の鍵だよ。言わなかったっけ」
「きぃー!!!」
鍵だけに。いや、そんなことを言ってる場合じゃない。
鍵を投げ捨てたい衝動にかられながらも、超人的な忍耐力でそれをこらえ、小箱に覆いかぶさる。
かちゃり。
「開いたああ!!」
中には……
「ドライバー!?」
中身は、鍵じゃなくてプラスのドライバー。
何だこれ。これで肛門の栓でも締めろってことか。
「こんなもんで締まるならとっくに締めてるわあああ!!!」
「え、何が?」
「こっちの話だ、ぼけえええ!!!」
「じゃあそれで、壁に掛かってるプレートの螺子を、左から二番目と四番目だけ外して」
「ぐぎいいいー!!!」
尻を押さえてエビみたいに跳ねながら、その趣味の悪いプレートのところまでたどり着くと、震える手で螺子の頭にドライバーを当てた。
「あ、違う違う。そこは三番目でしょ。それを外すと電流が流れるから。外すのはその両隣」
「うぎぎぎぎぎぎ!!!」
地獄はそう簡単に終わらなかった。
俺はそれから三つのパズルを解き、四つの小箱と五つの引き出しを開けた。
「もう限界だ……もう無理……」
そう呟きながら鍵を回して引き出しを開けると、そこに赤いボタンが一つ入っていた。
核ミサイル発射ボタンみたいな、あのボタンだ。
「あ、それで最後だから」
Xの声が言った。
「それを押すと、ドアの鍵が出てくるよ」
「ついにか!!!」
俺はボタンに飛びついた。
「押せばいいのか!? 押せばいいんだな、押すぞ! 押すからな!!」
「うん、それを何回押せばいいかは、今までのパズルで得た手がかりを総合すれば分かるようになってるんだけどね」
「いいから早く言ええええ!!! この部屋がどうなってもいいのかああ!!!!!!」
「246回」
「は?」
「いや、だから246回。一回でもオーバーしたらアウトで、もうチャンスはないから、慎重に押してね」
「はあああああ!!!???」
1、2、3、4、5、6、7、8、9……
55、56、57、58、59……
111、112、113、114、115……
ああ……
これは……
もう……
「ああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
「あー!!! ちょっと、嘘でしょ、なにやってんのおおおおおぉぉぉぉぉ!!!!」