騎士の心得
暗闇に包まれた街の中を流れる川。その水面を割って、二つの頭が現れた。フードを被ったボルトとレンチである。二人は指で会話すると、再び水中に戻った。
二人がたどり着いたのは、街の中の中心街と言えるところだった。桟橋の下に頭を出し、フードを脱ぐ。ボルトが上をうかがう。足音が聞こえる。おそらく見張りだろう。ボルトはナイフを抜き、音もなく位置を変え、見張りの足元に近づく。ボルトは見張りの足首をつかむと、一気に水中にまっすぐ引きずり込んだ。このやり方だと、水音が立ちにくい。ナイフで見張りの喉をかき斬り、桟橋の下に押し込める。ボルトはレンチに合図し、桟橋に登る。タクティカルヘルメットの暗視装置を下げ、サイレンサー付きの拳銃を構える。その後ろからレンチも桟橋に上がり、同じように拳銃を用意した。
桟橋へのドアを少し開け、内部の様子を調べる。特に見張りの類はいなかった。わずかな戸の隙間から入り込み、ドアを閉める。
「商品は地下だろう。俺は上をやる。おまえは下だ」
「わかった」
ボルトは階段を上る。廊下のところどころにかけられたロウソクで、廊下はわずかに明るい。と言っても、暗視装置を付けているボルトには関係がなかった。
拳銃がため息をつく。部屋から出てきた男が力を失って倒れる。ボルトは部屋を覗き込み、男の異変に気付いた数人の仲間を、倒れた男と同じ場所に送ってやった。
さすがに倒れる音に気づいた連中が動き出した。互いに声をかけあい、手に手に得物を携えた音もする。ボルトは拳銃をしまうと、背中に回してたM4を構える。こちらの方が自分には合ってると思った。
ここからは強襲である。階段を駆け下りてくる男に、派手な発砲音を立てて銃弾がめり込む。ボルトは男をまたぎ、上から鉈を手に降りようとしていた男に銃撃する。階段に落ちてくる男をかわし、上に登る。
「さて」
ボルトはショットガンの安全装置を外した。気合の声と共に男が斬りかかってくる。ボルトはショットガンの引き金を引き、散弾とドラゴンブレスと称される燃焼剤を男にぶち込んだ。上半身を燃やして男が倒れる。ボルトは殺気を感じて振り返り、武器を構えて突進してきた男にドラゴンブレス弾を撃ち込んだ。
「こっちだ!」
数人が走ってくる音がする。ボルトは横のドアを開け、中に滑りこんだ。ドアに耳を当て、足音が近づくのを待つ。
「ここだ!」
ボルトはドアが蹴り開けられる前に、ショットガンを弾倉が空になるまでぶっ放した。廊下に火だるまになった男たちが転がっている。しかし、その向こうからさらに数人がやってくる。
「ちっ」
ボルトはドアをあきらめ、部屋の窓をめざした。窓戸を開けると、外に出る。銃を背中に回し、ハンドアックスを抜くと、それを壁に打ち込んで壁を這い上った。
「上だ! 上にいるぞ!」
窓から男が顔を出し、叫んだ。ボルトは渾身の力を込めて自分の身体を持ち上げた。そして、上の部屋の窓の下までたどり着くと、ハンドアックスを支点にして逆立ちし、そのまま全体重を窓にぶつけた。
大きな音がして窓戸が壊れ、ボルトは中に転がり込んだ。
「だ、誰?」
声がした。男の声ではない。ボルトは銃を構えると、暗視装置を上げた。部屋の中はランタンで充分明るかったからだ。
声の主を見て、ボルトは胸が鳴ったのを感じた。そこにいたのは、どうみても普通の人とは違う気品をそなえた、いわゆる美少女だったからである。
「挨拶はないのですか?」
突然の固い声に、ボルトは思わず頭を下げていた。
「わたくしめは、あなた様を助けるように申し付けられました……ボルトと申します」
確かにこの館には人攫いが集めた"商品"がおり、それを救出するのがボルトたちの今回の仕事だった。しかし、このような身分の高い"商品"がいるとは聞いていなかった。
「ボルト……変な名前ですわね。それにその格好は?」
「これは……わたくしめたちの仕事着でありまして……」
ボルトの耳はこの部屋に向かってくる足音を聞き取った。M4を構え、ドアに向かう。
「そこの机の下で耳を塞いでいてください」
ボルトはなぜ自分が敬語で話しているのかわからなかった。が、今はそれが正しいと思った。
「この部屋だ!」
ボルトは鍵が外され、ノブが回った瞬間に、ドアを銃撃した。ドアの向こうで叫び声があがり、倒れる音がする。ボルトは手榴弾を取り出し、ドアを少し開けると外に転がした。数瞬の間をおいて、爆発音が響く。
「さぁ、行きますよ」
ボルトは少女に手を伸ばした。彼女はそれに応えて手を握る。
──なんだこれは……
グラブを通して柔らかい手の感触が伝わってくる。ボルトはこのままでいたいと思った。が、時間が許すわけがない。
「走れますか?」
「わたしに走れと?」
「それでは、失礼しまして」
ボルトは左腕で少女を抱えると、ドアを足で開けて外に飛び出した。手榴弾の爆発で負傷した男たちが転がっている。ボルトはそれを踏み越える。
「ま、待て……」
中の一人がボルトの足をつかむ。
「眼を閉じていて!」
ボルトは少女に言うと、男にM4を突き付けて引き金を引いた。少女が少し小さな悲鳴を上げる。
「ここからこんなのが続きます。できればずっと眼を閉じていてください」
弾倉を交換しようとマガジンを滑り落としてから、自分の左腕が埋まっているのに気づいた。少女の腕はボルトの首に回されて、胸は肩口に押し付けられていた。ボルトは右手一本で何とかマガジンを交換した。
「レンチー?」
『何?』
「そっちはどうだ?」
『情報通りよ。30人ぐらいね。メムに連絡する。そっちはどう?』
「あー、かなり苦戦してる」
ボルトは手に手に得物を持って廊下の向こうからやってくる男たちを見た。30連のマガジン1本で足りるかどうか、判断に迷った。
「ええい!」
ボルトは引き金を引いた。銃声に少女が驚き、首に回した腕にグッと力が入る。ボルトの態勢が崩れ、銃弾が壁や天井を這う。銃声に頭を下げていた男たちが、銃声が消えたのに気づいて走り寄ろうとする。
「くそっ」
ボルトは振り返ると、少女に出会った部屋へと駆け戻った。
「少しここでお待ちください」
ボルトが少女を下ろそうとするが、少女はぐっとボルトに抱きついていた。ええい、ままよと、ボルトは右手と口を使ってラペリングロープをほどくと、机の脚に絡ませた。そして、窓の外にその端を放り投げ、器具無しで降下することにした。もちろん危険な行為ではあるが、今の状況ではしょうがなかった。
ボルトはロープを握りると半ば落下するように壁をずり落ちた。途中で起点にしていた机が動き、窓に激突したこともあり、そのため、最後の数mは墜落する形になった。ボルトは自分が下になるように身体を回し、地面とキスをした。
「……ご無事で?」
衝撃で数秒声も出せなかった。少女はびっくりしたのか、声も出せず、ボルトの肩にわかるように顎をあて、うなずいてみせた。
「よ……し……楽しくなってきたぜ!」
ボルトは痛む身体にいう事を聞かせるように立ち上がった。どこかの骨が何本か折れているかもしれない。だが、この娘だけは助けねば、という気持ちが彼の背中を押した。
「下におりたぞ!」
ボルトはその声が聞こえた方に向かって手榴弾を投げつけ、そこから離れるように走った。手榴弾は空中で爆発し、損害を与えることはできなかったが、相手をビビらせることには成功した。
「痛い?」
「いえ、これぐらいの傷はいつものことです」
ボルトは着地した時にM4は壊れたものと判断し、拳銃を抜いた。残弾は10発程度だろう。
『ボルト! どこで油を売ってるんだい?』
「メム! 今、建物の表にいます。裏に出るように移動しています」
『なんでそんなところに?』
「重要な人物と一緒なんです」
『わかった。すぐに救援に行く』
ボルトは拳銃を右手に、少女を左腕に抱えたまま、闇の中を探りながら進んだ。暗視装置は着地の衝撃で調整された位置から変わってしまっていた。そのためにつかえない。
腕を通して、少女の恐怖の震えが伝わってくる。ボルトはいざとなったら、と思った。
建物の角を曲がり、川の方に出る。その時、剣撃が空を切った。
「悪い泥棒猫だ。それは置いて行ってもらおう」
「うるせぇ。それに俺は猫じゃねぇ」
ボルトは用心棒と思われる傭兵と対峙した。一人なら何でもない相手だが、右腕しか使えない状態ではどうなるかはわからなかった。
傭兵が剣をくり出してくる。ボルトはそれをかわし、拳銃を撃つ。しかし、銃弾はわずかにそれる。
「まさか、マリンコに出会うとは……その首を獲れば、名が上がるというものだ」
「それはどうかな」
ボルトは銃を連射する。さすがに夜間で右手だけ、しかも落下のダメージもある状態では精確な射撃はできない。銃弾は傭兵に当たらない。
「終わりだ!」
傭兵の剣が振り抜かれる。ボルトはそれを拳銃で受けた。サイレンサーが吹き飛び、銃のスライドが変形する。ボルトは銃が使えないことを察した。ボルトは銃を捨て、ナイフを抜いた。しかし、リーチの差で明らかに不利である。
傭兵は勝利を信じ、剣を構え、ボルトを突き殺そうとした。ボルトはここで終わりか、と思った。
乾いた銃声が響いた。傭兵の頭が爆ぜ、地面に折り崩れる。
「何してんだい? ボルト」
M14を肩に、魔女がやってくる。
「メム……この子が」
魔女はライトをつけると、ボルトにしがみついている少女の顔を見た。
「これは……手配書にあった公爵の娘だな……」
少女はライトの光に目を細めながら魔女の方を向いた。
「あなたは、誰?」
「北の森の魔女と申します。姫様」
魔女はボルトに腕を貸した。
「歩けるかい?」
「もちろんです」
ボルトは数歩歩いたが、膝をついた。
「無理するんじゃない」
「大丈夫です。ここからは歩けます」
姫はボルトに笑いかけた。ボルトも何とか笑顔を作ったが、痛みと疲労でその場に崩れ落ちた。
「ラチェット! 裏庭にすぐ来──」
ボルトは涙をこぼす姫の顔を見、魔女の声を聞きながら気絶した。
「公爵家からお礼状が来てる」
「はぁ」
ラチェットとレンチの治癒魔法の重ね掛けで、骨折が打撲程度に治ったボルトがテラスに座って、どことなく辺りを見ている。
「ぜひお礼がしたいとさ。まぁ、うちらが出向くわけにはいかないから、金子あたりで手打ちにしとくさ」
「それは……」
「どうした? ボルト」
「いえ、別に」
ボルトは頬や肩、背中や手に残った彼女のぬくもりを思い出していた。
「さては、惚れたか?」
「そ、そんなわけじゃ!」
ボルトは立ち上がり、肩を回してみせた。
「ちょっと鈍っているので、走ってきます」
「夕飯までには帰ってくるんだよ」
照れ隠しに走っていくボルトの背中を、魔女は笑って見送った。




