戦火の匂い
王国は揺れていた。
王が病倒れて一周期が経った。いまだ回復の兆しは見えず、政治はその第二王子が取り仕切ってはいたが、死んだ第一王子の側近たちとの折衝が難航しており、迷走とまでは行かなかったが、それに近しい状況ではあった。
さらに、緩衝地帯にあるいくつかの小国が同盟に加わるなど、国境紛争が再び起こる可能性も出てきた。この状況で出兵ともなると、諸侯がそれに応じるかどうかも不安要素としてあった。再び魔女の手を借りることも考えられたが、同盟側が前回のような会戦を避け、複数方面からの攻撃を行うとなれば、魔女一人がいたとしてもすべてに対応することはできない。
「まぁ、予想通りの展開ではあります」
同盟に加入したとある小国のとある商家の部屋で、パタースンは商人たちに向かってそう言った。
「王国は内部から崩壊するでしょう。内戦を引き起こせれば好都合です。ゆっくりと腐らせ、頃合いを見計らって……」
パタースンはぐっと拳を握りしめた。
「王国の貴族の幾人かはこちらの味方につきます。戦争が起こったとしても、今の王国相手では、同盟の勝利で終結するでしょう。あなた方の心配にはおよびません」
「我々は、投資した分に見合う結果が得られれば、何も文句はありませんよ」
「ええ。その点については問題ありません。戦争ともなれば大金が動きます。あなた方には損はさせません」
──この風見鶏どもが。
パタースンは自分の想いが顔に出ないよう、作り笑いを浮かべて杯を上げた。
「いいかい。これは純然たる科学で作られたものだ。法則にしたがい、いつも同じように作動する」
あの足長のリーダー──エイコンという名の──が、魔女ともに小屋の前の陣地に立っていた。エイコンの手には手榴弾が握られている。
「レバーと手榴弾を握り、この安全ピンを外すと準備完了だ。あとは投擲するだけだ。空中で起爆レバーが飛び、信管に点火、5カウント後に爆発する。一度起爆態勢に入ったらキャンセルは効かない。今の状態なら、安全ピンを刺し直せば起爆状態にはならない」
エイコンはうなずき、安全ピンを恐る恐る引き抜いた。
「爆発の効果範囲は思ったより広い。遮蔽物の無い部屋の中で使ったら、自分も傷を負うと思っておけ」
魔女はエイコンに手榴弾を投げるように言った。彼は手榴弾を陣地の前に向かって投げた。
「頭を下げろ。その空っぽの頭を吹っ飛ばされるぞ」
どう爆発するのかをワクワクしながら見ていたエイコンの頭を押し下げる。数秒して手榴弾が爆発し、地面を揺らす。
「これが手榴弾だ。いくつか渡しておくから使ってみるといい」
「ありがとうございます!」
「いいかい? このレバーが飛んだら、元に戻せない。それだけは忘れるな」
魔女とエイコンのやりとりを聞きながら薪を割っていたボルトが、作業の手を休めてそちらの方を向く。
「まさか、あいつらもマリンコにするつもりか?」
「そうじゃないでしょ。あの彼は、いろいろと知りたがりだから、不都合の無い事だけを教えているみたい」
洗濯物を持ってきたレンチが応える。
「まぁ、この森をケガ一つなくくぐり抜けてくる奴だ。見込みはある」
「なに偉そうに」
ラチェットがククッと笑う。
「なんだと! おまえとはいつか決着をつけないといかんと思っていたが、今やるかっ? このチビ!」
「ああ? 魔法も使えない犬っころが、あたしに勝てると思ってんの」
ボルトとラチェットが頬をぶつけんばかりに顔を寄せる。
「まぁ、仲が良いことで」
「ところで聞きたいんですが」
「何かな?」
魔女はMREのパックをエイコンに手渡しながら応えた。
「あなたは王国についてどう思っていますか? 自分たちは流れの冒険者です。王国とも同盟とも関係はありません。が、あなたほどの人は、どうあっても巻き込まれる立場にあります」
「そうさね──」
魔女はエイコンにMREの食べ方を説明する。エイコンは初めてみる異世界の食べ物に興味津々のようである。
「この森を動かせない限り、王国とはうまく付き合っていかなくちゃならない。知っての通り、魔女と呼ばれていても、わたし自身はただの人だ。矢玉が当たれば死ぬ。今、おまえが手榴弾を爆発させれば、道連れにできるだろう」
「そんなことはしませんよ」
「まぁ、それが前提だ。わたしはできれば王国とも同盟とも不干渉でいたい。ただ、村や町から来る依頼を受けて、それを解決する生活をしていたいさ。でも、世界はそれを許してはくれない。わたしの持っているものは、この世界そのものをひっくり返すだけの力がある。わたしは、いざとなれば数万人のマリンコをこの世界に作り出すことができるんだよ」
「数万……人……」
エイコンはごくりと唾を飲んだ。
「まぁ、一度の会戦だけの話だがな。蓄積された物資をすべて放出したら、の話だ。わたしらが持つ物資には限りがある。それを使い果たしたら、わたしはただの人となる」
「そうなると、王国とはあまり関係を悪くはできませんね」
「今までは何とか撃退したけど、いつ寝首をかかれるかはわからない。できれば、王国の次の王とは仲良くしたいとこだね」
「やっぱり、代替わりが起きるとお思いですか?」
「ああ。その原因はわたし自身だが──おそらく、この数周期内には起こるだろう」
「すんなり行くと思いますか?」
「そこまで簡単にはいかないだろう。第二王子もよくやっているが、自分が国王ともなれば、反対派をどうにかしなければ国を一枚板にはできない。はたして、その剣を振るえるかどうか」
エイコンはポークビーンズの味に眼を白黒させながら魔女の話を聞く。
「それに、同盟が隙をつくのは間違いない。良くて国境紛争、悪くて全面戦争だ」
「嫌な未来ですね」
「いつまでものんびり暮らせるわけじゃないさ。おまえたちも、どこかで選択を迫られるさ。自分の国はどこなのか、とね」
「自分は王国の片田舎で育ちましたからアレですが、仲間はどうかな? と」
「そういえば、足長が一人というパーティは珍しいね。どういう経緯があるんだい?」
エイコンはプラスプーンの軽さと硬さに感心しながら口を開いた。
「皆、とある迷宮で、仲間を失ったところで出会いました。その迷宮から逃げ出すためには、4人協力しないといけなかったんです。気がつけば、一緒に旅をする仲間になりましたが」
「そうかい。それは幸運だったね」
「自分は幼いころから足長以外への偏見はありませんでしたし、彼らも足長に対して思うところはあまりなかったようで」
魔女は洗濯物を干しているレンチと、ラチェットの雷撃を受けて痺れているボルトらに視線を動かした。
「でも、いざ戦争となれば……自分らは緩衝地帯のどこかの国に逃れるしかないですね。王国の亜人間に対する偏見は大きいですから」
「亜人間」──足長が、自分たち以外の種族──エルフやドワーフなど──を差す言葉である。あまり良い意味ではなく、足長が人口のほとんどを占める王国以外では使われない言葉である。が、エイコンは王国への非難を込めてその言葉を使った。
「その辺、同盟は緩やかです。まぁ、あちらでは、足長の方が新参者ですから」
「まぁ。神話の時代からの確執だ。少々の事ではひっくり返すことはできないさね」
足長は神の姿を写した存在である──この世界では、そのような創世神話が伝わっている。足長たちが世界を切り開き、農業を始め、町を作ったと。それまで森や山に暮らしてきたエルフやドワーフらは、かつては精霊であったが、足長の世界に合わせるために受肉した存在であると。この神話の一節は、足長たちの信仰の重要な部分かつ、偏見の出発点でもあった。同盟はその神話を否定した足長たちが、他種族が多く住む地域に移住したところから始まっている。足長の繁殖力は他種族のそれをはるかに上回っており、今では同盟でも人口のほとんどは足長となってはいるが。
「……戦争、起こるんでしょうね」
エイコンが暗く沈んだ声で言った。
「そうしたい奴、そうなると儲かる奴がいるからね」
魔女はエイコンにレモネードの入ったカップを手渡した。
「こっちに戦争を吹っ掛けたわたしらが言うセリフじゃないけど、な」
「あなたは裏表が無い人です。信頼できます」
エイコンの言葉に魔女はプっと笑う。
「──魔女を信頼するもんじゃないよ。わたしは、理があればいつでも裏切る。そんな人間さ」
「そうですか? 自分はそうは思えません。あなたは義理堅い人だ。そうでなければ、自分のようなオカシな人間を受け入れるはずがない」
「そうかい? わたしはあんたのような人間が好きなのさ。世界を広く見ている奴がね」
「それはよかった」
エイコンはレモネードの酸っぱさに顔をしかめた。
「このたびはありがとうございました」
「もう来るんじゃねぇぞ」
ボルトはにこやかな笑みを浮かべて、魔女の手を握るエイコンに向かって言った。そこにラチェットが背中に電流を流す。ボルトは痺れて、表向きビシッと姿勢を正す。
「また何かあったら来るといい。今度は仲間も連れてな。あのドワーフの手料理をまた食べてみたい」
「それはよかった。伝えておきます」
エイコンは皆に手を振りながら小屋を後にした。
「面白い人ですね」
レンチがエイコンの後ろ姿を見てつぶやいた。
「なかなかいない人材だ。手放したくは無い。あいつは何かを成し遂げるはずだ」
「メムがそう言うのは珍しいですね」
「そうかい。まぁ、悪い奴じゃない」
「いびきがうるさいんですよ」
ボルトがうんざりした顔を見せる。
「また部屋を増やそうかね」
ボルトの「そんなぁ」という顔を見て、魔女たちは笑った。




