はじめてのぼうけん
少年は納屋にあった古いショートソードを振り回しながら先を歩いていた。その後ろをいっしょにいたずらをして回っている悪ガキ仲間の一人が続く。その後ろを、少年の妹が「帰ろうよ」と言いながら歩く。
彼らは村の近くにある森の中を歩いていた。悪ガキが森で見つけた大きな木の洞に行ってみようと言うのである。読み書きと計算の勉強に飽き飽きしていた少年はそれに同意し、念のためとしてショートソードを引っ張り出し、脱穀竿を持ち出した悪ガキとともに出発した。妹は何とか少年を翻意させようとしたが、どんどん進んでいく兄を追っているうちに、一人では引き返せないほどの場所まで来てしまった。
「ここだ!」
悪ガキは指差した。そこには樹齢数百周期はありそうな巨大な木が数本立っていた。根元付近が複雑にからまり、遠目には1本の木に見える。
「ここか」
少年は木の根元にぽっかりと開いた穴を見て言った。悪ガキがランタンを用意し、妹に渡す。彼女は怖くてどうしようもなかったが、ここから一人で帰るわけにもいかず、ついていくことにした。
「遅れるなよ」
少年が先頭に立ち、一行は洞の中に入っていった。大人では頭がつっかえるが、子供なら十分な空間があった。地面は降り注いだ無数の木片でふかふかしており、時折眠りを妨げられた虫がカサカサと音を立てて走っていく。妹がそのたびにびくびくするのを、兄は楽しくてしょうがなかった。
「なに、何もでないさ」
しかし、経験不足の彼らは、地面につけられていた先行者の足跡を見逃していた。複数の足跡は洞の奥と出口を往復していた。
「あれは……」
少年は洞の奥の方に灰色の壁を見つけた。木に覆われた壁は明らかに人工物で、子供なら充分に通り抜けられるだけの大きさの亀裂があった。
「お兄ちゃん、帰ろうよ」
妹が今にも泣きだしそうな顔で、兄の服の裾を引っ張った。勉強を放っぽり出して家を出てきたのもまずいし、さらに大人に黙って森に行ったとなれば、どれだけ怒られるか。妹はそれも怖かった。
「これ、鉄でできてる」
悪ガキが亀裂ができている壁を触っていった。こんなものは今まで全く見たことは無かった。悪ガキと少年は顔を見合わせて、うなずいた。
「ここに足をのせれば入れるぞ」
悪ガキが先行して亀裂へ潜り込む。
「帰ろうよー」
「なら、お前ひとりで帰るんだな。それならランタンは置いていけよ」
少年は妹に絶対選択できない事を言った。妹はしぶしぶランタンを掲げて、少年に続いて亀裂に入っていった。
「なんだ、ここは」
亀裂から入ったのは見たこともない机や椅子が転がる大きな部屋だった。床は亀裂から入った木の根で覆われている。机や椅子は、その木の根に飲まれているのだ。
天井には何か細長いものが吊るされている。彼らはそれが照明器具であることを知るわけがなかった。
部屋に入り辺りを見回す。壁には棚が並んでいるが、中には何もなかった。
「よし、進むぞ」
少年は息を飲んだ。何か入ってはいけない所に来てしまった、という思いが脳裏をかすめた。しかし、入ってしまったからには、ここが何であるかを知りたくなった。
木の根によって開けっ放しになっているドアを抜け、廊下に出る。廊下は木ではない何かを平らにしたものが貼られ、完璧な平面を作っていた。廊下はL字に曲がっており、いくつかのドアがあった。
「おまえ、先に行けよ」
少年は悪ガキを押し出した。悪ガキは表向きは平静を装っていたが、心の中では「もう帰りたい」と思っていた。だが、そう言いだすことは村一番の悪ガキというプライドが許さなかった。
脱穀竿を構えて悪ガキが進む。少年はショートソードを構え、妹は灯りを差し上げる。
「何だ……」
悪ガキは何かの足音を聞いた。すでに小便をちびりそうになっていたが、後ろを振り返って、仲間がいることを確認して安堵した。心の恐怖を消すためにハハッと笑った瞬間、灯りの中に何かが入ってきた。
それはゴブリンだった。子供ほどの大きさの人型の知的生物である。あまり知能は高くは無いが、好戦的で、集団で行動し、大きな獲物を狩ったりする能力を持っていた。
少年はわっと声をあげ、ショートソードを振り回した。何事かと振り返った悪ガキはゴブリンと顔を合わせることとなり、驚きのあまり、むちゃくちゃに脱穀竿を振った。妹は悲鳴を上げて、出口に向かって走り出した。
「あ、待て!」
ランタンの灯りが遠ざかり、辺りは真っ暗になる。少年と悪ガキは暗闇の中に取り残されないようにと、後ろ向きで剣とフレイルを振り回しながら出口に向かった。
闇の中から数匹の息遣いが聞こえる。ゴブリンは夜目が効くと言われている。
「あいつはどこ行ったんだ?」
「わかんねぇ」
妹が持っているはずのランタンの火が見えない。完全な暗闇が迫ってくる。
「わぁああ」
パニックに陥った悪ガキが走り出す。少年は不意をつかれ、廊下に一人取り残されることになった。そこにゴブリンの一団が迫る。少年は腰を抜かし、へたりと床に座り込んでしまった。
ゴブリンの息が近寄る。少年は涙と鼻水を流しながら、力なくショートソードを振った。その時。
「伏せろ」
足長の言葉が聞こえた。少年はわっとばかりに身を伏せた。その直後に聞いた事も無い爆ぜる音が響き、ゴブリンたちが悲鳴をあげる。
しばらくすると周りは静かになった。だが、濃密な血の匂いが辺りに漂っている。
「ボルト、大丈夫?」
「ああ。全部殺った。小僧は無事だ」
パッと光を投げかけられ、少年は眼を細めた。ランタンとは比べ物にならないほどの明るさだった。
「立てるか、坊主?」
灯りの中に出てきたのは、見たことも無い鎧を着て、顔の前に4つの眼を持つ怪物の姿だった。少年は再び悲鳴をあげ、へたりこんだ。
「そんな格好じゃ、怖いに決まっているでしょ」
レンチは暗視装置を上げ、ボルトにライトをつけるように言って、少年の前にかがみこんだ。
「大丈夫? ケガはない?」
少年はいろいろな体液でぐちゃぐちゃになった顔でうなずいた。レンチはタオルを出すと、少年の顔を拭いてやった。
「おまえひとりか?」
ボルトが辺りを見回しながら聞く。
「……友達と……妹が……」
「まったくバカやったな、おまえたちは。ここはゴブリンの巣だ。まぁ、俺たちはゴブリン退治に来たわけじゃないが」
「二人はどこ?」
「わかんない。あっちに走って行った」
少年は廊下の奥を指さす。闇がそこにあった。
「先行する。そのガキはまかせた」
「了解」
ボルトは暗視装置を下ろし、銃を構えて廊下の奥へ進む。レンチは片手で銃を構え、左手で少年の手を握る。
「ふむん」
ボルトは木の根で押し出されたドアの前にやってきた。火が消えたランタンが転がっている。赤外線モードで辺りを見回し、誰もいないことを確認する。ボルトは部屋を出て、廊下のさらに奥へと進んだ。
廊下の角を曲がる。と、視野に複数の白く映る人影が入ってきた。ボルトは銃を構えると、明らかにゴブリンである人影に向かって銃撃した。悲鳴があがり、ゴブリンたちが声を交わす。何体かがボルトの方に向かってくるが、ボルトはそれを幸いと弾を撃ち込み死体にする。
ボルトはゴブリンの死体を越えて奥へと進んだ。
「……助けて~、お兄ちゃ~ん」
少女の声が聞こえた。ボルトの耳はそれがどこから聞こえてくるかを察知した。そちらを向き、暗視装置の中の人影を見る。どうやら少女は床に転がされているようだった。
「頭を上げるな!」
ボルトはM4を連射してゴブリンを倒すと、銃を背に回し、胸のホルスターから9㎜を引き抜いた。片手を開ける必要があったからだ。
「立てるか?」
ボルトはライトをつけずに少女の手をつかみ、抱き起こした。下手にマリンコの装備をつけている自分の姿を見せて、不安にさせることを避けたのだ。
「もう一人は?」
少女は泣きながら奥を指さした。
「レンチ、一人確保。女の子だ。こちらを頼む」
『了解』
レンチが前進してきた。ボルトはライトを下げるように言い、レンチがそばに来ると少女を兄に渡した。妹は兄に抱き着くと、兄の胸をポカポカと叩いて泣きじゃくった。
ボルトは奥へと進んだ。倒したゴブリンの数からして、残りはわずかだ。
「──おい、やろうっていうのかっ! おれは村一番の悪ガキだ! おまえたちなんか怖くないぞ!」
──へぇ、肝っ玉の据わっているじゃねぇか。
ボルトは廊下の角からそちらを見、2匹のゴブリンと対峙している悪ガキの姿を捉えた。フレイルを振り上げ、振り下ろした瞬間に、ボルトは2発の銃弾を送り出し、ゴブリンを倒した。
「助けに来たぞ! そこで待て」
ボルトは悪ガキのところまで行き、ライトをつけた。床にゴブリンが転がっている。
「よくやったな、坊主。一撃で2体殺るとは」
ボルトは茫然としている悪ガキの肩をポンッと叩き、レンチを呼び、少年たちを再会させた。
「まったく。俺たちがいなかったら、おまえら、今頃ゴブリンの夕飯だったぞ」
ボルトがレンチのライトの範囲外から言う。ここで海兵隊の戦闘装備で全身を包んだケイナインが出てくると、またパニックになりかねないからだ。
「出口はこっちだ。行こう」
夕陽でオレンジ色に染まる外に出た。そこはかつては海兵隊の補給デポの一つで、長い間に木に飲み込まれてしまったところだった。
少年たちは暗視装置を上げたボルトの姿を見て、少しびくついたが、レンチが差し出したMREのケーキに心を奪われたようだった。
ボルトは少年たちをHMMWVに乗せると、村の近くまで運んで行った。
「いいか、俺たちは出会わなかった。おまえらもゴブリンの巣に行ってない。近くの川で遊んでいたんだ。いいな?」
少年たちはぶんぶんとうなずき、手を振るレンチに手を振り返した。
サイドミラーの中に小さくなっていく3人の姿を見ながら、ボルトは言った。
「とんだ一日になったな」
「まぁ、あの子たちにとっては大冒険だったでしょうが」
「まさか、悪魔に助けられるとは思わなかったろうな」
ボルトはニヤリと笑いながら、アクセルを踏み込んだ。




