新たなる敵
夜の闇に包まれた王都の裏通りを歩く一人の男がいた。男はとある戸の前で立ち止まり、辺りを見回してからノックした。分厚い扉の真ん中にある小窓が開けられ、格子の向こうに、明らかに裏社会の人間である匂いをたたえる男が顔を出す。戸を叩いた男は左手で割符である金属板を取り出し、男に見せた。男は小窓を閉め、戸を開けた。
「これで、そろいましたな。エメン卿、こちらへ」
部屋の中にはテーブルにつく6人の男と、この部屋のある建物を根城としている、腕っぷしに覚えがありそうな男たちがいた。テーブルに置かれたランプの光しかないため、それぞれの顔は良く見えない。
エメン卿は示された席に座り、右の義手をテーブルの上に置いた。
「今回の会合はどんな目的が?」
「客人をお招きしております」
顔の下半分しか見えない男──しかし、服装や話し言葉から、彼がそれなりの地位についていることはわかった──が、部屋の奥を見る。
「皆さん、わたくしめなどをお招きいただき、まことにありがとうございます」
その男は闇の中からにじみ出るように姿を現した。他の者たちとは違う、きれいに仕立てられたスーツを着て、白いシャツに蒼と黒のストライプのネクタイをしていた。周りの人間を小馬鹿にしたような笑みを浮かべ、スーツのボタンを外しながらテーブルの席につく。
「おまえは……」
偶然向かい合う席になったエメン卿の顔に、驚愕の表情が浮かぶ。
「どうしてこいつが! 同盟の者だぞ!」
「まあまあ、落ち着いてください。えーっと……」
「パタースンとお呼びください。もしくは、特使でも、魔王でも構いません。名前なぞ、ただの記号にすぎませんから」
パタースンは内ポケットから煙草を取り出し、ライターで火を点けた。
「私が来たのは他ではありません。同盟と内通しないか、という提案です」
前置き無しの発言に、池に爆薬を投げ込んだような衝撃が走る。テーブルにつく者たちの喉が鳴った。
「あなた方の王は病の床につき、政治は第二王子とその取り巻きが取り仕切っています。あなた方、第一王子派としてはあまりうれしいことではないと思います」
「しかし、同盟に内通とは……」
「現王が亡くなり、第二王子が王座に就くことになれば、王子は魔女との間に何らかの取り決めを作り、その力を使うことになるでしょう」
「いや、おまえも魔女と同じだろう」
パタースンはエメン卿の声を笑みで受け流し、言葉を返した。
「ええ。私も確かにステイツの人間です。しかし、魔女のような野蛮人とは違います。私は魔女とは違うスキルを持っています」
「それは……」
「人と人をつなぎ、政治を回すことです。魔女は単なる破壊者にすぎません。私は逆に世界を作るために、ここにいます」
パタースンはフッと紫煙を吐いた。部屋の天井に向かって煙が広がっていく。
「魔女の手下はたったの4人。まぁ、今まで彼女が育てた人材を含めても、せいぜい十数人といったところでしょう。しかし、私は各国家それぞれに何人もの仲間を持っています」
「同盟を束ねている、と聞いているが」
「それは──過大評価ですね。私はただ、情報を集め、整理して、各国の統治者に提示しているだけです。彼らはそれを使い、互いに物資や人材をやりとりし、結束を強めているだけです」
「それで、我々には何を?」
パタースンは身を乗り出して言った。
「この国を手に入れる、というのはどうでしょうか? 第二王子とその側近を排し、新しい王国を建国するのです。そして同盟と手を結べば、この地に戦乱はなくなります。それに──」
煙草をランプの皿で消し、パタースンは邪悪な笑みを浮かべた。
「その後に、魔女を殺します。魔女も私と同様、ただの異邦人だ。ケガもするし、病気にもなる。矢玉が当たれば死にもする。彼女はただ、我々の世界のテクノロジーを使っているだけです。数万の海兵隊員を数年間維持することができる物資を彼女は持っています。彼女は一生かけてもそれを使いつくすことはできないでしょう」
「我々に、マリンコの武器を供給することはできないのか?」
「それはダメですね。チートは無しにしましょう。私はエンジニアでは無いので、技術を伝えることはできません。あなた方が独自に研究し、開発するしかありません」
「それでは……我々は勝つことができない」
「いえいえ、そんなに難しいことではありません。同盟だけ、王国だけ、では歯が立たないでしょうが、その両者が手を結び、魔女を締め上げれば……厄災戦と同じように」
厄災戦とは、《通路》の向こうからやってきた海兵隊と、世界のあらゆる国家・集団が手を合わせて戦った、伝説となった戦の事である。その戦いは、現在北壁があるところで、十数周期にわたって行われた。マリンコが、《通路》の向こうに去るまでの間。
「魔女を退場させれば、後は皆さんが好きなように世界を動かしてください。魔女の長い指に怯える心配はありませんので」
「君は──何を得るのかね?」
「んんっ……私には特に得たいものはありません。ただ、世界を動かすのが、私の生きている目的。生きた証、というところでしょう。こうして、夜の裏通りの、狭い部屋で密議を交わすことなどが、私は好きなのです。私は自分の手を汚す気はさらさらありません。私は企て、皆さんが動く。そういうことです」
パタースンは椅子に深く腰掛けなおし、もう一本の煙草を取り出して、火を点けずにもてあそんだ。
「ようは、おまえの手下になれ、ということだな」
「そう思っていただいても構いません。エメン卿。私がその気になれば、また同盟を動かし、この国との戦争を始めることもできます」
「──この、ウジ虫が……」
「いい言葉ですね。気に喰わなければ、この場で殺されても文句は言いません。ただ、そうすればあなた方は権力を失い、魔女に怯えながら生きねばならなくなるだけです。どうしますか?」
パタースンは辺りを見回し、フフンっと鼻を鳴らした。6人の貴族たちは互いの心の内を探ろうと、視線を交わしている。
「返事は今でなくても結構です。私の時間は有り余っています。何十、何百周期でもお待ちしています」
パタースンは立ち上がった。周りにいる男たちがそれに合わせて、道を開ける。パタースンは出現した時と同じように闇の中に消えていった。
部屋には6人の貴族と、それを見張る男たちだけが残った。
エメン卿は考えていた。あの男の言う事は正しい。このままでは自分たちは権力を失う。下手をすれば、領地や命も奪われかねない。それはどうしても避けねばならなかった。
「……どうか、この事は誰にも……」
王国の中でも大きな領地を持つ貴族の当主が、怯えた声で言った。もちろん、だと面々はうなづいた。エメン卿はこの結論は急ぎ出さねばならない、と思った。この時、自分が王になることも考えの中に入れた。
魔女はテラスに置いた椅子に座り、小さな鳥にパンくずをやっていた。雪の季節が過ぎ、また草木が芽吹く時期がやってきた。
薪を背負ったボルトとナットがやってくる。小屋の脇に薪を下ろし、小さく割り、使えるように乾かす準備をする。マリンコの技術を使えば、小屋を暖めたり、料理をするために、毎朝かまどやストーブに火をつけたりすることもしなくて済んだ。しかし、魔女はできる限りそうしなかった。発電機からわずかな電力だけ引き、ノートパソコンを動かしたり、無線機のバッテリーを充電することだけにしか使わなかった。
これは、ボルトたちに生きる方法を教えるためであった。いつか彼らはこの小屋を出ていく。その後は、この世界の理に従って生きねばならなくなる。そのため、兵器といくつかの医療技術以外の技術は教えなかった。
レンチとラチェットが洗濯ものが入った籠を持ってやってくる。この世界では珍しい、真っ白なシーツが風になびく。
魔女はそんな光景を黙ってみていた。彼女の脳裏に、遥か昔の記憶がよみがえる。アメリカという国のとある片田舎の小さな町の中流家庭で彼女は育った。いろいろな事はあったが、町や家は平和だった。あの頃も、真っ白なシーツが風に吹かれていたな、と魔女は思った。
魔女は両手を開き、見た。自分を助け、他人の命を奪い続けている手だ。
海兵隊に志願し、訓練を受け、部隊に配属された。いくつかの戦地を周り、ケガや戦友の死も経験した。階級が上がり、責任と部下が増えた。部下を訓練し、戦地では一緒に戦った。
《通路》の向こうに行く、という話が出た時には真っ先に志願した。別世界、というものを自分の眼で見たかったからだった。灰色の海を越え、冷たい森の中にたどりついた。そして、戦争が起こった。
最後の戦いはこの森の中で行われた。味方を退避させるため、最後に残った300人の兵士は、文字通り最後の一兵になるまで戦った。その最後の兵士が魔女だった。やがて《通路》が閉じ、元の世界との絆は失われた。残された彼女は、海兵隊が築いた施設の上に小屋を建てた。死んだ兵士たちの遺体と、形見の品を集めて墓地を作った。
自分はいつ帰れるのか。それとも、この地で死ぬのか。魔女はどちらの運命がふさわしいかを考えていた。
空を切って矢が飛んでくる。矢はテラスの柱に突き立つ。魔女は矢が飛んできた方向と矢を交互に見てから立ち上がった。矢には矢文が結び付けられている。
また、仕事だ。魔女は内容を確認するために、小屋の中に入った。




