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北の森の魔女  作者: 鉄猫
3/54

交戦距離1200


 王国への外敵の侵入を阻むべく作られた北壁から、さらに北に向かうとその森はあった。

 人々から「北の森」と呼ばれているその森には、杣人や猟師すら近寄ることはなかった。多くの凶悪な動物や怪物が跋扈しているとも言われ、行ったものは帰ってこないとも噂されていた。

 森のさらに北には凍てつく海が広がっており、はるかな過去、悪魔の軍勢がそこからやってきたと昔話は記録している。

 そんな森の中を、一人の少女が歩いていた。

 彼女の名はファメル。胸と腹だけを守る鎧の上にボロボロになった外套を着こんでいる。吐き出す息は白く、全身が凍えていた。

 しかしファメルは歩みを止めなかった。どうしても行かねばならないところが、この森の中にあったのだ。

 周囲の森からは、聞いたこともないような鳥の声や、大きな生物が枯れ木を踏み砕いていく音が聞こえてくる。

「おい、おまえ?」

 ファメルは不意に背後から声をかけられ、びくりと身体を震わせた。

「こんなとこに足長(人間)の娘っ子が一人で何しに来た?」

 ファメルは腰の剣の柄をまさぐりながら、恐る恐る振り返った。

 近くの倒木の上。そこに一人の小柄なケイナインが立っていた。ケイナインは狗頭と人間のような上半身、狗のような脚を持つ知的種族であるが、ファメルがその姿を見るのは初めてであった。

 灰色の毛並みのケイナインは、右手に鉈を持ち、柴が入った籠を背負い、無数の緑や薄緑の方形が染め抜かれた生地で作られたトラウザーズを履いている。彼はファメルの剣の間合いより外に立ち、油断なく彼女を見つめている。

「この森に住んでいるの?」

 ファメルの言葉に彼は当然だよ、というゼスチャーで応えた。

「それならお願い! 北の森の魔女のところに案内して」

「北の森の魔女?」

「ええ。この森に住み、お金さえ払えば願いをかなえてくれるという」

 ケイナインはしばらく考えていたが、鉈を鞘に納めて言った。

「あんたは運がいい。俺に逢わずにこのまま歩いていたら、灰熊の餌食になってたろう」

 倒木から降りたケイナインはファメルの前に立ち、狗のように鼻を動かした。

「匂いからすると、金持ちのようだな」

「どうしてわかるの?」

「やばい奴からは、やばい匂いがする。その点あんたは金の匂いがする」

 ケイナインはククっと笑うと、歩き出した。

「ついてこい。魔女に家に案内する」

 ケイナインに導かるままファメルは森の中を歩いた。凍てつく海からの風で、辺りはさらに寒さを増していた。

 いくつかの倒木や窪地を抜けると、目の前に小さな広場が見えてきた。その奥に、巨木にめり込むように建つ木造の家屋があった。

「ここが魔女の家だ」

 ケイナインは籠を入口の脇に置くと、無造作にドアを開けて中に入っていった。ファメルは家の前を左右に数歩歩き、中が見えないかと時折背伸びしてみたりもした。

 しばらくすると先ほどのケイナインが顔をだした。

「メムが逢ってくれる。来な」

 ファメルは外套を脱ぐと、ドアの中に歩を進めた。



「それで、叔父を殺して欲しいとあんたは言うわけね」

 奇妙な形をした木製の椅子に深く腰掛けた北の森の魔女はそう応えた。

 顔には傷とともに齢を重ねた皺が刻まれてはいたが、眼は猛禽類のように鋭く、背筋も伸び、少しの隙も無かった。

 ファメルが異様に思ったのはその服装で、黒のシングレットにケイナインと同じような模様のトラウザーズ、そして見慣れない形の長靴を履いていた。そして、目の前には丸いガラスがはめられた器具をつけている。

「その鎧の紋章はユーラー家のものだね。王国でも有数な資産家だ」

 魔女の言葉に、ファメルはゆっくりとうなずいた。緊張で頬がピクリと動く。

 魔女は金属製のカップを口に運んだ。どんな腕の職人が作ったのか、そのカップには底と側面につなぎ目がなく、カップの縁は見事な真円を描いていた。

「……叔父ということは、あんたは死んだユーラー卿の娘というわけか」

「そうです。我が父、ファアン・ユーラーは、叔父のエメンによって攻め殺されました」

「しかし、ユーラー卿は聞くところによるとかなりの悪徳だったようだけど」

「それは……」

 ファメルは黙って床の方に視線を動かした。

「まぁ、いい。私は別に誰が死のうがどうってことも思ってない。あんたがちゃんと金を払ってくれたら、エメン卿の殺害を請け負ってもいい」

「お金は、金貨30枚を用意します」

 ファメルは腰のバッグから小さな革袋を取り出した。

「前金の金貨10枚です。仕事が終わったら、残りの20枚をお渡しします」

 この世界、金貨1枚は腕のいい職人の1周期()分の稼ぎに相当した。それが30枚。条件がそろえば、農村一つが買えてしまうほどの額である。

 魔女はふむんと鼻を鳴らす。

 魔女は少女が突き出した革袋を左手で受け、その重さを図る。大きさ、手触り、重さが中身が金であることを告げている。

「──わかった。この仕事、受けることにしよう」

「あ、ありがとうございます!」

 ファメルは緊張から解き放たれ、思わず飛び上がりそうになりながらも頭を下げた。

「決行はこんどの収穫祭にしよう。それならエメン卿も顔を見せるだろう……しかしながら」

「なんですか?」

「私はエメン卿の顔を知らない。別の人間を殺してしまったらまずいので、収穫祭の日、陽がもっとも高くなる時に、あんたがエメン卿を指差すんだ。そうしたら、私は奴を殺す」

「わ、わかりました」

 ファメルはもう一度頭を下げる

「ボルト。この子を北壁まで送っていきな。帰りはナットを迎えにやる」

 先ほどのケイナインが「こっちだ」と身振りで示す。ファメルはその後を着いて小屋を出ていった。



 夜がやってきた。

 北壁から戻ってきたボルトと、魔女、そして黒い毛並みの大柄なケイナインが食卓を囲んでいる。

「さて、話は聞いていたとおりよ」

「ホントに殺るんですか? メム。金貨30枚の仕事にしては簡単すぎる」

 ボルトが山鳥の腿をかじりながら言う。

「一人殺して30枚なんて、景気のいい話じゃない。ボルト」

「まぁ、ワイバーンを追い払うよりかはマシですが。なぁ、ナット?」

 ナットと呼ばれたケイナインが、魔女の空いたマグカップにお茶を注ぎながらうなずく。

「収穫祭は次の猪の日よ。まぁ、ミルクラン(簡単な仕事)だね」

「今度は、どう()りますか?」

「いつものように」

 魔女は右の人差し指を曲げてみせた。



 次の猪の日がやってきた。北壁よりはるか南の海沿いに、ユーラー卿が治めていた領地があった。王と太いパイプを持っていたユーラー卿はこの気候が安定し土地も豊かなところに、いくつかの農村を配下に納める巨大な荘園を複数手に入れていた。

 安定した農作物の生産はユーラーの元に多大な金をもたらしていた。さらに農奴たちには過酷な年貢を要求し、一揆を防ぐために高い金を払って雇った傭兵たちが農奴たちに動きに眼を光らせていた。

 しかし、そんなユーラー卿の暴政も、異母兄弟にあたるエメン卿の反乱により終止符が打たれた。城を乗っ取り、ユーラー卿は逃亡する間もなく家臣の裏切りにより命を絶たれた。エメン卿はすぐさま傭兵たちに金を配って手懐けると、王にはユーラー卿が異心を持っていたという旨を告げた。豊富な農作物を生産するこの領地を手放すわけにはいかない王は、エメン卿の反乱を黙認し、他の家臣たちの動揺を防いだ。

 エメン卿は領地を統治するにあたって、今年の年貢の量を減らした。これは善政というわけではなく、農奴たちの逃亡や反乱を防ぐためであった。

 かくしてこの周期の秋が訪れ、城と港のある城都には多くの収穫物や加工品などが集められた。農奴たちは一周期の中でも数少ない息抜きができるこの時を心待ちにしており、多くの人出が城都に訪れていた。都の通りには、農奴たちの乏しい懐から銭を巻き上げるための露店が並び、賭博場や娼館などが誘惑の手招きをしていた。

 そんな中、エメン卿は、長子と主だった家臣、護衛を連れて城の西壁へとやってきた。西壁からは、都の様子が手に取るようによく見えた。(いらか)が続く街並み。海から王都へと物資を運ぶ港。粉を挽くためのいくつもの風車が並ぶ農村の多くも見えた。方法がどうであれ、この地をわが物にできたと、エメン卿は満足していた。

 エメン卿が西壁の中ほどに立つと、それを見た警備兵や傭兵たちが武器を抜き、盾を鳴らして歓声を上げた。それにつられ、町民や農奴たちも自らの支配者に向かって声をあげた。卿はその声に手を挙げてこたえた。

「ところで。ファメルの行方はわかったのか?」

 手を振りながら、エメンは側近に聞いた。

「かの者が、北の森にいったという噂を聞いています」

「北の森? それは物騒だな」

「北の森と言えば、かの『北の森の魔女』のいるところだな。恐ろしや」

 側近の一人が恐怖で震える様を真似してみせる。側近たちの間に笑いがおこる。

「まぁ、あの小娘一人。北の森の魔女のところにたどり着く前に、獣に殺されて終わりでしょう」

「それに北の森の魔女が望みを聞くなど、そんなことができるわけがない」

 側近たちが笑いながら口々に言葉をかわす。エメン卿は、反乱時に早々にユーラー卿を裏切ったこの家臣たちを蔑んでいたが、その事を顔に出すことはしなかった。荘園経営には、彼らの能力が必要だったのだ。

「たとえ北の森の魔女が手を貸したとはいえ、兵を持たぬあの小娘一人、我らに太刀打ちもできるわけがない」

「城都に500の兵。領内を合わせれば3000に達する我が配下の前にすれば、まさに蟷螂之斧(とうろうのおの)

「閣下には指一歩触れることはできないでしょう」

 エメン卿はその通りだ。という顔をして、西壁から戻ろうと歩を進めた。

 その時。

「わたしは、ここだ」

 卿は不意に前からかけられた声に足をとめた。

 目の前に、自らが攻め殺したユーラー卿の遺児ファメルが立っていた。乱れたブロンドの髪を風になびかせ、碧眼を見開いた少女は、エメン卿をびっと指差した。

「我が父、ファアンの仇。ここで討たせてもらう」

「ファメルか……どうやってここに?」

「城にはいくつかの秘密の抜け道がある。そこを利用させてもらった」

 ファメルは眼を細めながらエメン卿を指差し続けた。

「どうやって我を殺すつもりか? おまえ一人では私の護衛を倒しきることはできぬ」

「わたしは、北の森の魔女と契約した」

「何? 北の──」

 次の瞬間。エメン卿の頭が地面に落とした熟れたカボチャのように弾け飛んだ。あまりの事にファメルは驚き、声も出せなかった。

 頭部の上半分を失ったエメン卿は衝撃で横に二三歩歩くと、転がり、物言わぬ死体と化した。


「命中!」

 ターゲッティングスコープを覗いていたボルトが嬉しそうに声をあげる。

 L115狙撃銃の遊底(ボルト)をゆっくり動かし、魔女は薬室から空薬莢を排出する。

「すぐにずらかるよ。あの小娘はどうしてる?」

「あ──呆然として突っ立ってます。ええと」

 ボルトが見ているスコープの中で、ファメルは混乱から素早く立ち直ったエメン卿の長子の指示によって、兵たちに取り押さえられていた。

「あーあ、捕まっちまいました」

「何?」

 魔女は狙撃銃のスコープを城に向けなおし、その場面をまじまじと見た。

「残りの金貨20枚。どうするんです?」

「取り立てないと商売あがったりさね」

 城から半リーグ(1200m)ほど離れた丘の上で、藪が動いた。ギリースーツ(偽装服)を着た魔女とボルトだった。

「あの小娘を助ける」


「あの娘、魔女として火あぶりにされるそうですよ」

 城都へ偵察に行き帰ってきたボルトが告げる。

「まぁ、あんな形でおっさんの頭を吹っ飛ばしたら、魔女と言われてもしょうがないですよね」

「ナットには連絡したかい?」

「ええ。今、ベロー・ウッド(強襲揚陸艦)に行ってます。指示があり次第、チョッパー(ヘリコプター)を飛ばせます」

 魔女は煙草を近くの石でもみ消すと、すっと立ち上がった。

 頭上には満天の星。三つの衛星が天頂から水平線に向かって位置し、光を投げかけている。

「処刑はいつ?」

「明日の日没。収穫祭の見せもんになります」

「ナットを呼べ。襲撃する」

「了解」


 ファメルは貴人の娘が着る豪奢な衣装を着せられ、ロバの背に進行方向に背を向けて縛り付けられていた。武器を持ち、着飾った刑吏が前を歩き、罪状を触れ回る。

 通りの左右には町民や農奴が立ち、口汚い言葉や腐った野菜や肉を投げつけてくる。彼女の豪奢な服を汚し、自分たちを手荒く扱った前の領主の血縁者への恨みつらみ、鬱憤を晴らそうとしていた。これはもちろんエメン卿、今は彼の後継者となった長子とその家臣たちが、住民の見る方向を一点に向ける策謀であった。

 全身を腐った野菜などに汚されたファメルは、涙を流しながら自らの許しを神に請う言葉をつぶやき続けていた。魔女として焚刑(ふんけい)される。それがファメルの運命だった。

 街中を引き回されたファメルは、その日の午後遅くに城の中庭に到着した。全身汚物にまみれ、尿を垂れ流したファメルの姿は惨めとしか言えなかった。

 刑吏がファメルを焚刑の場へと引っ立て、太い丸太へ縛り付ける。

「おまえは魔女だ。我が父の仇として、焼き殺す」

 死んだエメン卿の長子がファメルの前に立ち、剣でファメルの顎を上に向けて言う。

「ただでは死なさん。お前には、長く辛い死の道を行ってもらう」

 刑場となった中庭には、刑吏の他に聖職者や側近たち、護衛の兵や傭兵たちの姿があった。その向こうに見物を許された町民や農奴たちの顔が並んでいる。

「お前が行くのは天の世界ではない。地の底でいつまでも続く業火の中だ。そこで世界の終りまで焼き尽くされていろ。おまえの父とともにな!」

 ファメルは力なく懺悔の言葉を涙とともに流し続けている。卿の長子はプッと唾を吐きかけると、刑吏に指示を出した。

「やれ」


「城に近づいたら音楽を流す」

「いつものですか?」

「神経戦だ。相手をビビらせる」

 地を這うように飛ぶキラーエッグ(AH-6)に搭載された大型スピーカーから大音量のワーグナーが流れ出す。

 ボルトは火器の安全装置を解除する。ナットが手で合図を出す。

ダンス(shall we)の時間(dance)さね」

 北の魔女はニタリと笑う。


「母上。わたしはあなたの元に……」

 松明を持った刑吏が目の前に立つ。ファメルは覚悟を決めた。

 その時、はるか遠くから何やら音楽が聞こえてきた。重い音に交じり鳴り響くラッパの音。そして、地獄の底からやってきた女たちが歌うソプラノの声。

 ファメルは顔を上げた。

「何の音か?」

「わかりません……音楽のようです」

「どこから聞こえる」

「空から──まさか、北の森の魔女かっ!」

 中庭にパニックが巻き起こる。刑吏たちはあたふたし、兵たちの間にも動揺が走る。

「ええい、逃げるな! 迎え討て!」

 卿の長子が兵のパニックを収めようと走り回る。側近たちが転がるように逃げ出していく。パニックは見物人の間にも広がり、中庭は騒然となった。


 超低空で突っ込むキラーエッグからハイドラロケットが放たれる。ロケット弾は城壁から中庭にかけて着弾し、黒煙を巻き上げる。

「踊れチャーリー(兵隊ども)!」

 ボルトが歓声を上げながらトリガーを引き絞る。12.7㎜ガトリングが火を噴き、兵士たちをなぎ倒す。

 黒煙を巻きながらキラーエッグは中庭上空を通り抜ける。

「どこにいる?」

「真ん中、BBQの棒のとこです」

「周りのうるさいのを片付けろ」

「了解!」

 ボルトは操縦しているナットの肩を叩いて指示を出す。ナットは無言で操縦桿を動かし、ヘリを中庭の上空で旋回させる。

「右後方、弓兵!」

 ボルトが差し示すところに、クロスボウを携えた兵士たちがいた。兵士たちはヘリに向かって矢を放ってくる。

「一撃で仕留めろ」

 1発のハイドラロケットが弓兵たちを吹き飛ばす。

「いつもながらいい腕だ。帰ったらチョコバーをやろう」


 ファメルは涙でかすむ目で辺りを見回した。周りは火炎と黒煙に覆われ、話に聞く地獄絵と化していた。空を見上げて逃げ惑う兵士たちは、見えない力に次々と撃ち倒されていった。火だるまになった聖職者や側近たちがのたうち回り、刑吏たちも地面に転がっている。

 頭上にはものすごい風を巻き上げる卵型の物体が飛んでいた。そこから放たれる火を噴く太矢や、見えないなにかを撃ちだす回転する筒によって、次々と人々は倒れていった。

「北の、森の魔女……?」

 卵型の飛行物体は、中庭の上に留まると、ゆっくりと高度を下げてくる。

「まったく手のかかるお嬢さんだ。助けに来たぞ」

 座席から手を伸ばした魔女がファメルを束縛していたロープを断ち切る。

「待て! 北の森の魔女!」

 その声にファメルが振り向くと、そこには長剣を構えたエメン卿の長子が立っていた。

「空からやってきたお前は、天空からの御使いなのか? それとも地獄からきた亡者なのか?」

「そのどちらでもないさね」

 魔女はニヤリと笑うと、M14(ライフル)を構え、長子の片腕を銃撃で粉砕した。

「よし、上げろ!」

 魔女に腕をつかまれ、ファメルは空へと舞い上がった。座席に放り込まれたファメルは何が起こったのか理解できなかった。

「うわっ、臭いな。おまえ」

 前の座席から振り返ったボルトは鼻をつまんではいたが笑っていた。

「さっさとずらかるよ」

 魔女は呆然としているファメルに向かって、ニヤリと笑って見せた。



「なに! 金が無いだって!?」

 立ち上がった魔女の眼鏡がずり落ちる。

「後金の金貨20枚は……?」

「ですから、無いんです……金貨、20枚」

 ファメルは、恐る恐る魔女に再び同じことを繰り返した。

「最初から用意してなかったわけか……ただ働きさせたってことだね。私らに」

 ボルトが二人の会話を見て首を左右に動かす。ナットは調理場からその姿を見ていた。

「──あー。どうしようかね」

「あの、働いて返しますから、あの」

「あんたが金貨20枚稼ぐ頃には、私は死んでるよ。まったく」

 魔女はぶつぶつと言いながら、ノートパソコンのキーを叩いた。

「まぁ、こっちは損害も無いからいいけど──そうだね」

「カエルにでも、しますか?」

 ファメルは上目遣いに魔女を見て、ばつの悪そうに言葉をひねり出した。

「あんたには働いてもらう。ウチで」

 ボルトがはぁ? という顔をする。

「ちょうど下働きが欲しかったところだしね」

「わたしが、ここで?」

「Noとは言わせない。あんたは金貨20枚分の働きをするまでの間、ここにいて、私の言いつけた仕事をしてもらう」

 ボルトはようやく意味を理解し、ぱぁっと顔をほころばせる。

「女の子が、ウチに!」

 ナットは無表情でオムレツをひっくり返す。

「──よく見たら、あんたは結構美人じゃない。この前来たときはボロボロだったし、昨晩は糞尿まみれだったからね」

 魔女はファメルの前髪をそっとかきわけ、目と目を合わせた。

「お前の名前は今日からレンチだ。これまでの人生は捨ててもらう」

「レンチ……」

「その方が、私が呼びやすい」

 ファメル=レンチは、こっくりとうなづいた。

「そうと決まれば朝飯さね。ナット、レンチに手伝わせろ。ボルト、そこに突っ立ってないで、コーヒーを入れてきな!」

「あいさー」

 こうして北の魔女の小屋に、新しい住人がくわわったのである。




 夜の冷たい風はここには吹きこんではこない。

 魔女は煙草を消すと、後ろ手で分厚い鋼鉄のドアを閉めた。

「──こんどは女の子だよ」

 魔女は足元にある小さな土饅頭の前にひざまずいた。土饅頭の上には、ヘルメットと三角形に折りたたまれた星条旗(スター&ストライプ)が載っている。

「まだ、しばらくは帰れそうもない。もう少しそこで我慢しててくれ」

 彼女が立ち上がり、踵を合わせて敬礼する。その姿を数百のヘルメットたちが見ていた。


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