帰らずの森
「おい、朝だぞ。起きろ、レンチ!」
肩をゆすられたレンチは毛布を引きあげて睡眠を続けようとした。
「朝の準備は俺たちの仕事だ。はやく起きろ」
ボルトが毛布をはぎとる。冷たい空気がレンチの睡眠を妨げる。
「……うん、もう……いつもいつも……」
薄く目をあけたレンチは、目の前に立つボルトの姿を見た。裸。ぷらんとぶらさがるナニ。
「&%())=」
レンチのパンチがボルトの下半身を直撃する。
「バカ! エッチ! ヘンタイ!」
「──股間を殴ることたぁねえだろ。おっぱいでかいからって許さねぇぞ」
ボルトは前かがみになりながらパンツを履く。
「だいたい、俺たちに服を着る文化は無いんだ」
「そんなことはどうでもいいのよ! なんであんたたちと同じ部屋で寝ないといけないのよ!」
「知るか! メムに聞け」
レンチとボルトが口論する後ろでナットは支度を終え、無言で部屋を出ていった。
「いつになく苦いねぇ。今朝のコーヒーは」
「コーヒー番はレンチです」
「コーヒーって、なんでこんな色してるんですか? そして苦い」
「脳を活性化させるためさね。知らんけど」
4人は同じ食卓につき、朝飯を摂っている。レンチが小屋に住み始めて10日ほどがたっていた。最初は見慣れない食事に閉口していたレンチだったが、ようやく慣れてきたところである。料理は主にナットが担当し、ボルトは卵や肉の準備、レンチは飲み物の用意が日課だった。
魔女はベーコンエッグを食べながら、ノートパソコンに表示される何かのデータを見ていた。
「ところでメム?」
「なにかな」
「レンチと同じ部屋は勘弁してください。いつもこうだと身がもちません」
「ほう? もうそんなに仲良くなったの」
「「ちがいます!」」
ボルトとレンチが同時に大声を出す。
「まぁ、種族が違うとはいえ若い男女が同じ部屋というのもアレだね」
魔女はフォークでソーセージをズダンっと刺すと目の前まで持ち上げた。
「部屋を作ろう。新しく。間違いが起きる前に、ね」
魔女は意味ありげに笑った。
「それであんたと二人で丸太探しというわけなの?」
「しょうがないだろ。家事全般はナットの仕事。外仕事はオレ」
鉈で邪魔な枝を払いながらボルトが先に進む。その後ろをレンチが、さらに後ろをビッグドッグが続く。
「私の後ろをひょこひょこ歩いているアレだけど……」
「ああ、気にするな。便利な荷物運びだ」
ビッグドッグは四脚を滑稽なテンポで動かしながら、二人の後をついてくる。その背にはログハウスに使うための丸太が数本載せられている。
「ねぇ? 魔女──あなたが『メム』と呼ぶあの人は何者なの?」
レンチの言葉にボルトは歩を止め、振り返った。その顔にはいつものおちゃらけた感はなく、殺気にも似た色があった。
「メムはオレたちの親だ。それ以上でもそれ以外でもない」
「親?」
「オレたちの郷が足長に焼かれた時、オレと弟を助けてくれた」
「救い主というわけ」
「そのあと、足長をみんな殺してくれた。幼くて何もできなかったオレたちにかわって」
ボルトは鉈を手持ち無沙汰のように振り回しながら言葉を続けた。
「メムは──マリンコだ」
「それは──!」
「そうさ。あの厄災戦を戦った悪魔たち。魔界から来た猟犬。鷲と錨と世界を記した紋章を掲げた、あの『マリンコ』だ」
「え、え、でも、厄災戦といったら、もう数百周期も前の昔の話よ。そして悪魔たちはすべて討取られるか魔界に帰ったはず……」
「メムは帰らなかったんだ。理由は知らない」
厄災戦──凍てつく海からやってきた灰色の悪魔たちと王国をはじめとする世界の国々が手を組んで戦った大きな戦のことである。悪魔との戦いは長きにわたり続いたが、ある日突然終わった。悪魔たちがいなくなってしまったからだった。歴史書は、彼らは魔界に帰ったと記述している。悪魔が出現した凍てつく海に面する王国は、悪魔たちの再びの襲来を恐れ『北壁』を築いた。しかし、戦の記憶は薄れ、今では神話とも言える物語と、悪魔たちを示す忌むすべき言葉『マリンコ』だけが残った。
「メムはずっとこの森に住んでいる。どうしてかは知らない。知りたくもない」
ボルトはポケットから出した黄土色の包みの包装紙をばりっと剥ぎ、中身を口にする。残りをレンチに差し出すが、レンチは丁重に断った。
「オレたちは死ぬまでメムのために働く。それが恩義だ。たとえ、異端として火あぶりになったとしても後悔はしない。あんたはどうかしらないが」
「私は……」
「シッ!」
ボルトがレンチの口を手で押さえ、静かにするように身振りする。
「誰か──いや、かなりの大人数だ。隠れろ」
二人は倒木の後ろに隠れる。ビッグドッグも脚を折り曲げて地面に伏せる。
ボルトは潜望鏡を取り出すと、倒木の向こう側を見る。
森の中を、一人の男に先導された兵たちが歩いている。隊列の真ん中には騎馬の騎士の姿も見える。
「あいつは……テーネ村の村長じゃないか」
「ねぇ、何が見えるの?」
「王国の騎士とその兵卒。数は……そうだな、150というところか」
「150! そんなに?」
「あの村長は3周期前にメムに仕事を依頼してきた奴だ。裏切りやがったな」
ボルトは潜望鏡をレンチに渡すと、ヘッドセットをかけた。レンチは潜望鏡をどうしていいかわからなかったが、ボルトの様子を思い出し、何とか倒木の向こうを見ることができた。
「メム、敵です。数は150。騎士に率いられている王国の兵です。目標は我が家かと」
『わかった。すぐに帰ってきな。歓迎の準備をする』
「了解」
ボルトは無線を切ると、レンチから潜望鏡をひったくって、顔を寄せた。
「戦うぞ」
二人が小屋に戻ると、小屋の前には魔女とナットがすでにいた。
北の魔女とナットは、揃いの迷彩服にプレートキャリアとチェストリグを装着し、それぞれ違う銃を携えていた。魔女はボルトに置いてある装備の方を顎で示し、ボルトは装備をつけ始める。
「穀倉地帯の荘園の領主を殺したからですかね?」
「王国のメンツにも関わるだろうし。まぁ、私らを殺すには兵の数の桁が少ない」
「レンチは家にいさせるんでしょ?」
「いや、連れていく」
「はぁ? こいつはずぶの素人です。足手まといにしかなりませんよ」
「ボルト、レンチの面倒はお前に任せる。戦い方を教えてやりな」
魔女はギリースーツを手に取ると、ナットとともに歩き出した。
「帰ったら、久しぶりにケイジャン料理でも作るかね」
まるで天気の事を話すかのように魔女は軽く言うと、森の中に歩み去った。
「まったくしょうがねぇな。おい、レンチ。こいつを持ってけ。絶対にオレから決して離れるなよ」
ボルトはレンチに重たい緑色の箱が詰まったバックパックを押し付けた。
「何をする気なの? 兵士は150人もいて、中には騎士もいる。勝ち目なんて」
「いや、オレたちは負けない。そもそも対等な戦いをする気はない」
装備を付け終わったボルトはM249軽機関銃を肩に担ぐと歩き出した。
「銃の使い方は今度教える。今日は見学だ」
レンチはうなづき、ボルトの後を追った。
「騎士様、魔女の家まではあと少しです」
「そうか。皆の者、油断はするな。相手は魔女だ。何を繰り出してくるかわからんぞ」
「戦闘用意!」
ピーっという笛の音とともに、兵たちは行軍隊形から長槍隊が弓兵を守る隊形に変化する。
「我らは王の命により、この森に棲む魔女を退治する。魔女を討取りし者には褒美を与えよう!」
「前進」
白い息を吐く兵士たちは、隊形を保ちながら巨獣のように下生を踏みしめながら前進していく。
「騎士様、道案内の褒美は約束通り」
「ああ。魔女の家までたどりついたら、好きなだけやろう」
「ありがとうご」
村長は最後まで言葉を発することはできなかった。空を斬る音とともに頭蓋を貫かれて、大木にたたきつけられる。
村長の脳漿をかぶった騎士は、辛うじて叫び声を飲み込んだ。しかし、すぐ横にいた旗持が恐慌の叫び声をあげる。
「魔女が、来た!」
その声に兵たちに動揺の色が走る。
「ええい、隊列を乱すな! 魔女を探せ! すぐそばにいるはずだ!」
ギリースーツで下生に同化した魔女は、倒木の間に身をひそめながら次の目標に照準をつけた。引き金を絞る。放たれた銃弾は旗持への短い飛翔を終え、その頭を吹っ飛ばす。
「ナット。前面に火力集中」
射撃位置を変える魔女の横にナットが進出し、M32グレネードランチャーを構える。そして、連続して6発の40㎜弾を発射する。グレネードは長槍隊の前面に着弾して爆風と破片をぶちまける。鎧で身を守っている長槍兵の損害は少なかったが、弓兵の多くが破片により死傷した。
魔女は大木の陰にしゃがみ込み、長槍隊の中で周囲に声を発し鼓舞するの者や、大声で指示を出す者を見逃さず狙撃した。
「はじまったか」
隊列の側面に回り込んだボルトとレンチは、迷子岩の下に伏せるとM249を隊列に向かって発射した。レンチは銃からはじき出される真鍮色の薬莢の雨と射撃音に圧倒された。
「薬莢に触るなよ。やけどする」
弾幕の中、長槍隊がばらけながらも向きを変える。残った弓兵が狙いもつけずに矢をめくら打ちしてくる。
矢の雨がはるか手前に突き立つ。ボルトは照準を修正すると弓兵たちに銃弾をたっぷり浴びせかけた。ボルトは200発を撃ち終えると、レンチに声を飛ばし、レンチが差し出す予備弾倉を装填しなおし、さらに射撃を続ける。
鎧に火花が散るとともに、兵たちは死体となっていく。あるものは頭から血を流し、あるものは胸や腹から血を噴いて倒れる。
「逃げるな! 道をあけろ! ええい、どうして死ぬんだ! いったい魔女はどこにいる!」
周囲を我先に逃げようとして衝突する兵たちに囲まれ、馬ともども身動きがとれなくなった騎士は、辛うじて残っている士気を保とうと声を上げた。
その口を魔女の銃弾が貫いた。
乾いた銃声が木々の間に広がり、消えていく。馬上から転げ落ちた騎士の姿を見て、生き残った兵の士気は崩壊した。兵は武器を投げ捨て、我先に木々の間に走り去って行く。
ボルトは銃撃をやめ、立ち上がった。
「さて、生き残りの息の根をとめにいこう」
「え、あれだけやったんだからもういいじゃない」
「いや。伝説を残さなきゃならない。この森は『帰らずの森』だったというな」
「何人かは逃げた」
「これだけ血が流れれば、森の獣たちが動き出す。それに森は迷路だ。それは知ってるだろ?」
レンチは自分が森にやってきた時のことを思い出し、こくりとうなづいた。
「それに、どこの誰が来たのか知る必要もある。しっぺ返しを食らわせるためにな」
ボルトはレンチをひきつれ、殺戮の巷と化した獣道にたどりついた。そこには銃弾を受けて死んだり負傷した兵たちが転がっていた。何人かは口からぜーぜーという音とともに白い息を吐き、近づいてくるボルトに呪いの言葉を吐きかけてくる者もいた。ボルトは無表情で拳銃を抜くと引き金を引き、とどめを刺す。
「さて、この騎士様はどこの誰ですかね?」
地面に横たわる騎士の半壊した顔を覗き込みボルトが言う。その後ろでレンチは我慢できずに昼食を地面に戻している。
ボルトは鎧を探り、触った装備品や装飾品などを地面に投げ捨てていく。中には高価なものもあったが、ボルトは全く気にしていなかった。
「お、これだ。この紋章は──王の騎士団のものだな。可哀そうなこって。こんな寒い森で獣に食われることになるなんてな」
ボルトは証拠になる紋章入りのペンダントを引きちぎると、吐いているレンチの方を振り返った。
「まぁ、何度か場数をふめ……レンチ、避けろ!」
しゃがみ込んでいるレンチの向こう、そこに剣を振り上げた兵の姿があった。剣がギラリと光る。
次の瞬間。兵は首に銃弾を受けてひっくり返った。銃弾が飛んできた方にボルトが振り向くと、ギリースーツのフードをめくりながら歩いてくる魔女の姿があった。
「どうやら間に合ったようだね」
魔女は銃をボルトに渡し、レンチの背中をさすってやる。
「来たのは騎士団の一人と、その従卒です。例のエメン卿の件でびびったんでしょう」
「ふむん」
魔女はペンダントを受け取り、それを一瞥すると草むらにそれを投げ捨てる。
「騎士団か……王も少しは本気を出したということか。まぁ、こいつらが帰らないという情報が王のところに届くには十数日はかかるだろうし。次は本隊か、それとも」
レンチの口元をウェットティッシュで拭いてやり、それを丸めると魔女は立ち上がる。
「死体はこのままにしておきな。あとは獣が始末してくれる」
ぴっと口笛を吹くと、倒れた兵士から使えそうなものを拾っていたナットが顔を上げる。
「ナット、レンチを背負って。灰熊が来るまでに帰るよ」
数日後。魔女の家に新しい部屋ができた。
「これがあんたの銃だ」
魔女はレンチに1挺の銃を手渡す。
「HK416。口径5.56㎜。装弾数30発。兵士から異星人まで倒せる名銃さね」
レンチはHK416を恐る恐る持ち、魔女にうながされるまま構えてみたりもする。
「今日から訓練する。体力づくりから、銃の撃ち方と整備の仕方、車輛の運転、森の歩き方、無線の使い方などなど。まぁ、時間ならたっぷりあるさ」
魔女はニタリと笑いながらレンチの肩に手をおく。
「あんたを一人前のマリンコにしてあげるさ。誰もが恐れる、マリンコに」
猫なで声に愛想笑いするレンチに、魔女は顔を寄せた。
「でも油断してると簡単に死ぬから。わたしのようになりたかったら、ケツに力を入れてついてくることね」
「yes! メム!」