スコープ越しに愛をささやく
彼は雨の中待ち続けていた。自作のギリースーツの下の羽毛は水を弾き、寒さは感じなかった。
狙撃銃の横に置いたターゲッティングスコープを覗き込んで、すでに2刻は経っているいる。しかし、彼は動こうとしなかった。この雨の中、目標はこの谷を挟んだ向こう側にいる。本能と教育で培われた勘がそう告げていた。
彼は物心ついた頃には、すでに親はなかった。彼はアウルスと呼ばれる種族で、小柄で、フクロウに似た顔と、器用に動く手がついた翼を持っている。翼は短距離であれば飛ぶこともできたが、彼はあまり飛ぶことはしなかった。夜でも良く見える両目は前を向くように並んで付き、位置が左右がずれている耳は、音だけでも相手の位置を察知することができた。
新しい親は、彼を「スパナ」と呼んだ。そして、食事を与えると同時に、厳しい訓練を行った。10周期も経ち、子供頃の白い羽根から、灰色の羽根と色が変わった。大きく成長した彼に、親は見たことも無い武器を手渡した。それは今でも彼の横にある。目で見るよりはるか遠くを見通す管に、木製の柄がついた金属の筒。そこに押し込まれた金色の小さな筒は、銅色の礫を撃ちだす。彼はその力に魅了された。弓では届かないところにある物も、それを使うと簡単に射貫くことができた。
親は森での生き方も教えてくれた。歩き方。痕跡の消し方。何日も暮らす方法。食料の調達と、排泄物の処理の方法までもだ。彼は学び、そして賢く、強くなっていった。
ある日。親は彼に最初の標的を指示した。とある村を襲った野盗のリーダーである。手にした武器で、それを撃て、と。彼はその命に従った。学んだ方法で、それを撃った。倒れ、動かなくなる男の顔が、しばらくまとわりついた。
その後、何人も撃った。もう何人撃ったのかは忘れた。村の有力者。王国の役人。冒険者。目標は様々だった。
彼はふと思った。もう学ぶことは無い。自分の力で何とかできる。親にそう告げると、親は彼に武器と、充分すぎるほどの弾を与えて、送り出した。
あれから何周期が流れたか。目標に撃ち込む弾は多くても2発だったが、手持ちの弾は少なくなった。これが潮時かもしれない。充分な金は稼いだ。そして、そんな彼の下にとある依頼がやってきた。
「北の魔女を殺してもらいたい」
誰が大元の依頼人なのかはわからない。彼にとって、そんなものは関係なかった。標的を撃つ。それが彼の仕事だった。
彼は、目標がいるという森に入り込んだ。北の魔女を偽の依頼でおびき寄せている。と依頼人は言った。彼は魔女の風体を聞いた。依頼人は、異装の壮年の女だと言った。この世界の人間の服装ではないので、すぐにわかると。
ターゲッティングスコープではじめて魔女を見たのは、森に入って数日後だった。そして、彼は知った。
目標は、彼を鍛えた、親だった。
彼は教えの通りつねに居場所を変えた。魔女はまだ武器の射程外にいる。気づかれずに接近し、気づかれる前に撃つしかなかった。すでに相手が自分の親であることに関する感傷は無い。確実に仕留める。それしか頭の中にはなかった。
岩場を迂回し、茂みをくぐる。足長より体格が小さいアウルスにとって、森の中はホームグラウンドだった。足長では入ることのできない隙間を使い、いざとなれば木の上にも登ることもできる。
だが、教えでは木の上に登ることは致命的なミスを招くとあった。確かに視界は広がるが、逃げ場が無い。しかし、アウルスである彼は、飛ぶための翼を持っている。彼にとって、木の上も格好の射撃位置だった。
魔女を追い、森を移動する。魔女は従者を2人連れていた。足長の女とケイナインの男だ。この二人は、自分に狙われていることなど考えもしていないようだった。平気で木の枝を折り、踏み、時には投げたりもしている。しかし、魔女の姿はあの時見つけて以来、捉えることはできなかった。そのため、彼は従者の後を追った。
雨が降ってきた。彼は茂みの中にシェルターを作り、うずくまった。小さな口に入るだけの干し肉の破片を押し込み、水を少しだけ飲む。スコープの中には、あの従者の姿を捉えている。特にケイナインの方は間抜け面だなと思った。
魔女はどこだ。スコープを動かす。そして、見つけた。
魔女はこちらを見ていた。この距離では気づかれる事は無いはずだった。しかし、魔女はスコープ越しの彼の眼を見ている。
魔女の口が動いた。
「さ・よ・な・ら」
彼は全身が総毛立つ感覚に襲われた。だが、恐怖でスコープから眼を外すことができなかった。魔女は片手で何かを叩いた。横の茂みが動いた。それはギリースーツを着た、巨大な甲冑だった。両腕で抱えるように.50を構えている。
彼は隠れ家を捨てて逃げ出した。.50の野太い発射音と無数の弾着音が聞こえる。先ほどまで居た隠れ家はあっという間にぼろ布のようになる。
彼は銃を手に、逃げた。態勢を立て直すための隠れ家はもう2、3用意してある。そこに向かう。
しかし、彼の目論見は目の前で潰えた。特徴的な迫撃砲の発射音が聞こえてきて、隠れ家が爆炎の中に沈む。
すべてが罠だったのだ。あの間抜けな従者はただの間抜けでは無かった。彼をおびき寄せるエサを演じていたのだ。
それでも彼は教えを思い出し、射点を探した。魔女を撃つ。彼の頭の中にはそれしかなかった。相手の位置と、自分の位置関係を思い出す。そして、ひとつの射点を思いついた。森の中にそびえる大木である。中が洞になっており、相手からは見えない。彼は大木にたどり着くと、スコップで根元を掘り、大きく開いた洞の中に入り込む。足の指の先にある爪を駆使して登っていく。そして、自分の身体を支えられ、向うを見渡せる地点へとたどり着いた。
気取られないよう、木の破片を一つ一つ慎重にどける。そして、偽装した銃を構える。もちろん、相手にはわからないようにするために、銃口を外に出したりはしない。
落ち着くために大きく息を吐く。そして、スコープを覗き込んだ。まずは迫撃砲で潰された隠れ家を見、続いて.50で一掃された狙撃位置を確認する。銃弾の入った角度から相手の位置を割り出し、銃をそちらに向ける。
そこには動甲冑の姿はなかった。あの間抜けな二人もいない。
「どこだ……」
彼ははじめて焦りの色をにじませた。装備の多くを失ってしまっている。仕事をできるのはこれが最後だと覚悟した。
スコープで森の中を丹念に見ていく。少しでも違和感があるところを探す。自然界には直線は存在しない。それと同時に、完全な円も無い。無い色というのもある。それを探すのだ。
「あ……」
彼は茂みの中にあるそれを見つけた。完全なる真円。こちらを見つめる銃口だった。
銃口が光った。次の瞬間。彼の右手から銃が吹き飛んだ。
「ううっ……」
彼は大木の洞の下まで転がり落ちた。手から出血している。見ると、親指と人差し指の先が無くなっていた。相手はその気になればスコープ越しに頭を撃てたというのに。わざと外したのではない。明らかに、指を狙ったのだった。
彼は泣いた。最後の仕事となったこの戦いに負けたことと、親の愛に気づいたからだった。
「あの者は魔女を仕留められますかね?」
「なに、魔女が直々に鍛えた者だ。老いた魔女なぞ、簡単だろう。弟子に殺されるのも一興」
王宮のテラスで、二人の貴族が話している。
「王も手ぬるい。魔女なぞ、総軍をあげて踏みつぶしてしまえばいいのだ。なぜそれをしない」
「たった一人の魔女に、軍団を差し向けたら、それこそすべての貴族、民の笑い種になりますな」
貴族はハハッと笑い、夜空を見上げた。三つの月が地平線の方に向かって下がっている。
「さて、魔女を排除した暁には、我らの次の策略を」
「おっと、壁に耳ありなんとやらですぞ。その辺は不用意に─」
そう笑った貴族の頭が爆ぜる。何が起こったのかわからないと言った顔をしたまま、貴族は倒れる。
「ま、まさか……」
逃げようとした貴族の頭にも銃弾が命中する。壁に赤い絵の具で抽象画を描きながら、貴族の身体はずるりと床に倒れた。
「命中」
ターゲッティングスコープを覗いていたボルトが言う。王城から1リーグは離れている茂みの中で魔女はゆっくりとM200の遊底を引いた。微かに硝煙を上げる薬莢が吐き出される。
魔女は黙ったまま、転がる薬莢を見ていた。そろそろ頃合いかもしれない。と思った。




