神はサイコロを振らない
「魔法について考えてみよう」
いつやの朝食時に魔女はつぶやくように言った。食後のコーヒーをすすっている面々は、何を言いだすのかと魔女の顔を見た。
「今までウチの面々で魔法を使うのがいなかったからね」
一同の視線がラチェットを向く。ダークエルフのラチェットは何事かと少し椅子の上で後ずさる。
「魔法については、明確に解明できなかったんだよ」
「マリンコでもわからないことがあったんですか?」
レンチが魔女に問う。
「そうさ。何もない所から何かを生み出す──わたしらの世界では、そんなものはできない」
「そんなに難しいかなぁ?」
ラチェットがポカンとした顔で言う。
「こう──」
そう言うと、ラチェットは唇から小さな音を発した。指先にポッと火がともる。魔女は煙草を差し出し、それに火をつける。
「これが『魔術』よ。魔素を呪文によって組み合わせて、いろいろな効果を出すもの」
「エルフっていうと精霊魔法ってイメージがあるけどなー」
「残念ながら、あたしは足長とのあいの子なので、魔術しか使えないけど」
「ごめん」
レンチが頭を下げる。
「気にしない」
「じゃぁ、精霊魔法っていうのは魔術と違うのか?」
ボルトが聞く。
「そう。全く違う。精霊魔法の力の源は精霊──この世界にある様々な物体に潜む、不可知の生命体──それを使役する方法よ。術者は精霊を使役するのと引き換えに、何らかの代償を払うの。例えば、体力とか、血とか」
「うわっ、そう聞くと結構怖いな」
「まぁ、あたしらが誰かにものを頼むのと変わらないわけよ。精霊はあたしらがいる世界とは、少しずれた世界にいるので、姿を見たり声を聞いたりすることができないわけ。時々、割れ目から顔を出す時があるけどね」
「木の葉で姿を隠す魔法は嫌なんだよなー。なかなか見つけられん」
ボルトは引き金を引くポーズを取る。
「似たようなもので、いわゆる死霊遣い、というものがある。これはみんなも知っての通り、動く死体とかスケルトンとか、本来なら活動することのできなくなったモノに、死霊──死んだモノが残したわずかな力──を移して、死体とか骨とかを動かす、という魔法ね」
「だから動く死体とかは速く動けないのね。なんていうか、体力が少ない、とか」
「そうね。死霊の力は小さいから、長く身体や骨を動かすことができないの。それに、死霊が足長とかのものとは限らないから」
「どういうことだ?」
「その辺を漂っている動物の死霊を使う場合もあるわけ。そうすると人の構造に慣れていないので、速く動けないし、武器も使えない」
「なるほど」
「でも、死霊遣いが怖いのは、大きなモノの死霊を使った時ね。ジャイアントやドラゴンの死霊を使うとー」
「想像したくない」
「まぁ、そんなデカい死霊だと、死体が持たなくて、爆発しちゃうけどね」
「だから、その分デカい体が必要なのか」
「そういうこと」
魔女はそのやりとりを聞きながら、コーヒーをすする。
「次の話は少しややこしい──この中で一番理解できるのは、メムかもしれない」
いきなり話を振られて、魔女は不意を突かれる。
「わたしは──というか、地球の連中は誰一人魔法を使えなかった。それこそ数百周期を費やしてもね」
「それは、マリンコを含む悪魔たちが、この世界の住人じゃなかったからよ」
ラチェットはそう言うと、自分が使っているノートパソコンをテーブルの上に置いた。
「これが、魔法を説明するのに一番適したものよ」
一同がへっ? という顔をする。
「これがどうやって動いているかは、皆も何となくわかっていると思う。『電気』という力を使って、『パソコン』を動かして、その中で『プログラム』というもので様々な事を解決する。この『電気』が魔素、『パソコン』が世界、『プログラム』が呪文というわけ」
「ふむん」
「メムが魔法を使えないのは、あたしとメムが使っているパソコンが違うから、なの」
「ようは、ウチらこっちのパソコンで、メムは向うのパソコンにいる、というわけだな」
「飲み込みが早いね。ボルト」
ラチェットはクスクス笑う。
「本来、メムは向うのパソコンにいるんだけど、どうしてだか、こっちに来てしまっている。だから『プログラム』を動かせない」
「"読み取り専用"とかか」
「何ですか? それ」
「説明するとややこしくなるから、先に進んでくれ。ラチェット」
ラチェットはノートパソコンを起動させる。
「こうやって世界が動いている。この『フォルダ』というのがあたしたち。中にいろいろなものが入っている。例えば、レンチの中には銃の取り扱いのスキル、ボルトの中には屁をこくスキルという感じで」
「なんで俺が屁こき虫なんだよ」
ラチェットはボルトを無視して続ける。
「ここにある『アイコン』が魔法の呪文の名前ね。これをクリックすると、呪文が詠唱され、魔法が起動する」
画面にウィンドウが開かれ、暇つぶしのゲームが映し出される。
「これが魔術の構造」
「さっき、ややこしいって言ったのはなんだ?」
「今まで話した魔法の中に、説明してないのがあるでしょう?」
「あっ、神聖魔法だ!」
「そう。神様の力を借りるってやつ。ここから話が不穏になるから、覚悟して聞いてね」
「な、なにが……」
ラチェットはゆっくりとそれぞれの顔を見たあと、低い声で言った。
「神様なんて、いないの」
「へっ?」
ボルトが間抜けな声を出す。
「そんな──神様がいないわけないじゃない、だって現に……」
レンチがあたふたとする。メムは黙ってコーヒーをすする。
「まぁ、落ち着いて。あたしがこれを理解するのには、父さんと一緒に作業した十数周期の時間がかかったから」
「神様がいないなんて考えたら、なんで教会があったり、加護を受けたり、神聖魔法が──」
「落ち着け、レンチ。俺たちはすでにマリンコだ。神様は悪魔に手を貸さない」
「……信じられない」
「さて。では、なんで神聖魔法が働くのか。それは、このように」
ラチェットはフォルダを開き、中に別のフォルダからのファイルを入れる。
「このように、神聖魔法は人物やモノの中の情報を入れ替える。そのように動いているわけ」
魔女がふーんと言う。
「なるほど。プログラムではなくて、ファイルを入れたり削除したりしてるわけか。フォルダを変えずに」
「そう。実は魔法とは全く違う方法で発現するの、神聖魔法は」
「じゃぁ、ど、ど、どうして神様に願いをするわけ?」
「祈りは呪文と同じなのよ。魔法とは違う命令文なだけ」
「よくわからんが、俺たちの中にあるものを入れ替えたりしてるわけだな」
「そういうこと。毒を受けたら、毒が無い、という状態のファイルに置き換えるの。だから毒が消える」
「ははーん。そりゃそうだね。本当に神様が居たら、そいつは大変な事になるからね」
「何ですか? メム」
魔女は煙草を灰皿に押し付ける。
「神様がいたら、そいつは毎日何人も何人もの信者の願いを聞かなきゃならない。そのたびに神なる力を発揮してたら、身体がいくつあっても足らないだろ? 疲れたから店じまい、というわけにもいかない。まぁ、聞かないふりをするかもしれないが。世界を書き換える方法の方が、納得できる解答だね」
「信仰の心はどうなるんですか?」
レンチが少し震えながら言う。
「おそらく、信仰の深さは、ファイルの書き換え能力に影響を及ぼしているんだろう。深ければ深いほど、難易度の高い書き換えができる。いわゆる『奇跡』を起こすことができるわけさ」
「奇跡、ね」
ボルトがナットに向かって軽口をたたく。
「この世界の中には、神──OSみたいなもんだろう──を信じれば信じるほど、フォルダの奥深くまで手を伸ばすことができるようになる、という感じだろ。信徒の中で階級を上げれば、それなりに重要な経典にも触れることができる。その経典に書かれた文字列こそが、呪文というわけさ。最重要な経典に書かれた文面を使えば、表面的なものではなく、致命的な書き換えもできるはずだ。まさに『天罰』を喰らわせることもできるだろう」
魔女はククッと笑う。
「神がいない、となると、悪魔もいないわけだ。でも、悪魔の力を使える奴がいるということは、奇跡の裏返しをやっているだけってことだな」
「信じる力ってことか……」
「なんか、熱が出そう」
レンチは上半身をそらせて、椅子を前足を上げる。
「あー、どうしようかー」
「別に信仰を捨てる必要はないさね。信じる心が届けば、いつかは神聖魔法が使えるようになる」
「そうなるとー、神話に出てくる神様って何よー」
レンチは椅子を前後に揺らす。
「そうさね。一種の精霊なんだろう」
「そうかー。さっきの説明を思い出すと、そんなもんに思えてきたー」
「ふくれるな、レンチ」
ボルトが椅子を押さえる。
「まぁ、あたしは魔術しか使えないから、教えるとしてもそっち系だけだから。他のを覚えたければ、他の人にあたって」
ラチェットがフフッと笑う。
「私にも使えるようになるのかなー?」
「レンチが魔法を使えるようになると、いろいろと便利にはなるさね。傷とかを治せるようになれば、継戦能力が上がる」
「たしかに」
「──じゃぁ、私、魔法を習いますー」
「なんか不満なのか?」
「神様なんていない、というのがまだ信じられないだけですー」
レンチはフグみたいにふくれている。
「よし、ラチェット。レンチに傷や骨折を治す呪文を教えてやれ。まずはそこからだ」
「了解。メム」
「さて、朝飯は終わりだ」
一同は席を立つ。




