ロック・プルヴェという男
プルヴェ伯爵家の次男ロックは、何事においても中の上、または上の下に属する人物であった。
見た目も悪くなく、さりとて強烈な印象も残さず、人目を引いて因縁をつけられるような事もない。
人生は順風満帆というほどではないが、常にわずかながらも追い風が吹き、まあまあ幸せに歩んできた。
婚約にしても、同じだ。
彼の婚約者となったミリアン・レスピナス子爵家令嬢は、家業のハーブ栽培に熱心で、浮ついた雰囲気もなく、好感が持てた。
二度、顔を合わせたが、正直、婚約者にあまり興味を抱いていないように見えた。
だが、ロックは自分がそれほどモテるなどと自惚れてはいない。
家同士で決めた婚約なのだから、結婚してから少しずつ歩み寄ればいい。
あまり食い気味に来られて、早々に飽きられでもしたら困る。
レスピナス子爵領は田舎だが、王宮御用達のハーブ栽培で有名だ。
手堅い商売で信用も厚い。
栽培の方は素人だが、向こうに行ってから少しずつ習えばいいだろう。
ロックはそう考えて、領地経営に役立ちそうなことを勉強する日々を過ごしていた。
王宮へ行儀見習いに入った婚約者のミリアンとは、簡単には会うことが出来ない。
月に一度くらい、彼女に花でも贈ったほうがいいのだろうかと考えたこともある。しかし、ミリアンは植物に詳しいらしい。
選ぶのが難しそうだと躊躇している間に時間は過ぎて行った。
ところがある日、王宮で開催される夜会の招待状が届いた。
この夜会は、いいチャンスだ。
彼女に花束を贈って、少し距離を縮めよう。
彼はそう決心していた。
それなのに…
母方の曽祖父が、急に亡くなった。
年齢を考えれば不幸ですらないが、タイミングがよくない。
致し方なく、王宮へ招待に応じられない旨の手紙を書いた。
そして、ミリアンには詫び状を書く。
婚約者なのに、つくづく縁が薄い。
それからしばらくして、ロックは同じ年頃の貴族家子息が集うサロンに行った。
そこで友人から、ミリアンの噂を聞くことになる。
その友人の姉が侍女として王宮に勤めていた。
もちろん、守秘義務がある。普通なら、王宮の話など家族にもしない。
だが、ロックがミリアンの婚約者であることを知っていたので、少しだけ話題に上ったらしい。
噂の内容は、ミリアンが凄い行儀見習いだ、というものだ。
「凄い行儀見習い?」
「前代未聞だそうだ」
「前代未聞?」
「ほら、守秘義務あるから、詳しくは訊けないんだ」
何が凄いのか、さっぱりわからない。
ロックはただ、首を捻るばかりだった。
そんなある日、買い物をするため街中を歩いていたロックは、通りの隅で蹲る女性を見つけた。
丁度、店が途切れている辺りで、人通りも少なかった。
「どうかなさいましたか?」
「……」
女性は言葉も発せないようだ。よほど具合が悪いのかもしれない。
ロックはすぐそばの、建物の入り口をノックした。
ほどなく、品の良い老婦人が出てくる。
「突然、すみません。すぐそこで女性が具合を悪くしているようなのですが、助けていただけませんか?」
老婦人は驚いていたが、とりあえず様子を見に出てきてくれた。
女性に声をかけるが、返答はない。
「気を失ったようだわ。とりあえず、中に運んでくださる?」
中に運ぶと、居間のソファに寝かせるよう指示される。
「この時間だと、デュラク先生は昼ご飯かしら?
貴方、コスモス亭はご存じ?」
「はい、わかります」
「そこへ行って、医者のデュラク先生を呼んできていただけるかしら」
「すぐ行ってきます」
コスモス亭は、友人と行ったことがある。
ロックは急いでそこへ行くと、デュラク医師を探し当て、一緒に戻った。
医師は女性を見知っていたようだ。
「ルナール商会のフランソワーズさんだな」
名を呼び、頬や腕に触れるとわずかに反応があった。
「貧血のようだが、今は寝かせておいた方がいい。
アンナ、ここをしばらく使わせてもらっていいか?」
「ええ、かまいませんよ」
「えーと、あなたはどなたかな?」
「私はプルヴェ伯爵家のロックです」
「貴族のご子息でしたか。失礼をお許しください」
「いえ、当主でもありませんし、お気遣いなく。
それより、彼女は大丈夫ですか?」
「頭を打った様子もないし、安静にしていれば大丈夫でしょう」
「先ほど、ルナール商会と仰いましたが…」
「ああ、前に診たことがあるんです。長女のフランソワーズさんですよ」
ルナール商会なら、ここからそう遠くない。
「私はここにいても役に立ちませんし、商会へ行ってお嬢さんのことをお知らせしましょうか?」
「それはありがたい。私の名を出してもらえれば、話が通ると思います」
「わかりました」
ロックは早速、商会へと向かった。
いらっしゃいませ、と近づいて来た店員に「フランソワーズさんのことで…」と言うと、奥に通される。
応接室でロックを出迎えたのは、筋骨隆々とした壮年の男。
一代でルナール商会を築き上げた、ジャコブ・ルナールだった。
「私の娘のことで、お話があるとか?」
やや険のある言い方だ。ロックは少し怯んだ。
「…あの、先ほど道端でお嬢さんが具合を悪くされていまして」
「えっ?」
「それで、近くの家の居間をお借りして、デュラク先生に診ていただいています」
「貴方が、気付いて助けてくださった?」
「いえ、私は通りすがっただけで。助けたのは部屋を貸してくださったご婦人と、お医者様ですよ」
「いや、そんな。
大変失礼いたしました。娘の恩人に、なんという態度を。
まことに申し訳ありませんでした」
「いえいえ、お気になさらず」
大切にしているお嬢さんなのだろう。
見ず知らずの男が、その名を口にして乗り込んで来たら疑うのが普通だ。
ロックはそのまま立ち去ろうとしたが、ジャコブは流石にたたき上げの商売人。名乗るまで、帰らせてはもらえなかった。
となると、当然のように数日後、プルヴェ伯爵家にジャコブがフランソワーズを伴ってお礼にやって来た。
すっかり元気になったらしいフランソワーズは、長いストレートヘアが魅力的な背の高い女性だった。そして………胸がとても立派だ。
ジャコブが彼女に近づく若い男を邪険にするのも頷ける。
ロックはごく常識的に対応し、客人をもてなした。
だが、自分の恩人を初めて目にしたフランソワーズが一瞬言葉を失い、頬を染めたのには気付かない。
彼女の父親は娘の様子を見逃さなかったが、その場では何も言わなかった。
ただし、家に帰ってから情報屋に連絡を取り、ロック・プルヴェについて調べさせたのだった。