王妃殿下のお茶会
翌日の朝、王妃宮のお針子たちが徹夜で仕上げた可愛らしいドレスが、離宮に届けられた。
庭園の散歩に出かけたくなるような、軽快な雰囲気のそれを見た途端、バシリア王女の表情が輝いた。
王女を大切に思っている侍女たちはその顔を見て陥落。
筆頭侍女は、オルバネハ侯爵に王妃殿下から贈られたドレスであることを強調し、それを着せる許可をもぎとった。
午後になり、ミリアンは植物の様子を見るため再び離宮を訪れた。
世話係と話をした後、部屋に残ったミリアンの前にバシリア王女が現れた。
「こんにちは、ミリアン」
「王女殿下、ご機嫌麗しく…」
「ミリアンはお友達だから、そんな挨拶はいいの!」
ぷくっと頬を膨らまし、王女が拗ねる。
「はい、こんにちは、王女殿下」
にっこり笑顔になった王女は、やはり可愛い。
「どうかしら?」
殿下は足首が見えるくらいの、活動的なスカートを広げて見せた。
「よく、お似合いです」
ミリアンが来たのを目ざとく見つけて、ドレスを見せに来てくれたのだ。
もともと活発な方なのだろう。
「サシェをありがとう。よく眠れたわ」
「お役に立てたなら何よりです」
少し下がって、空気に徹していたソフィにも、王女は笑顔を向けた。
改まりすぎては失礼だろうと、ソフィも略式の礼を気持ち丁寧にするだけにとどめた。
「王妃殿下に、何かお礼をしたいわ。相談に乗ってくれる?」
ミリアンは、そう言われて、ソフィを振り返った。
ソフィはちゃんと聞いているから大丈夫、と頷いた。
「私でよろしければ、お話をうかがいます」
「ありがとう。お願いね」
話をすることに決まると、王女について来た侍女が部屋を出ていく。
しばらくすると、従僕が椅子とテーブルを運び込み、お茶の用意がされた。
ミリアンは、自分だけテーブルに着いてもいいものか迷ったが、ソフィはまた頷いている。
王女に促され、お茶をいただくことにした。
「王妃殿下は、何がお好きかしら?」
「私は、詳しく存じませんが…それよりも王女殿下は…」
「バシリアって呼んで!」
「よろしいのですか? では、バシリア様は、王妃殿下にお礼のお気持ちを伝えたいのですよね?」
「ええ」
「でしたら品物よりも、まず、お礼の手紙を差し上げたらどうでしょう?」
「手紙?」
「気持ちを伝えることが一番大事だと、私は思います」
「気持ち…そうね。ミリアンはいいことを教えてくれるのね。
この前も、ドレスを着るのが嫌で逃げてしまったでしょう?
でも、重いから着たくないって、ちゃんと言えばよかったって反省したの」
賢い方だ、とミリアンは思った。
ミリアンから言われたことを、しっかりと自分の頭で考えてみたのだろう。
「バシリア様は、オルバネハ侯爵様のお立場も考えていらっしゃいました。
自分の気持ちを言うのは、我が儘だと思われたのでは?」
「そうなの。伯父様は、私のことを娘みたいに可愛がってくださるの。
だから、伯父様のしてくださることは、私のためなんだって思って…」
「侯爵様は、バシリア様のお優しい心をきっとわかってくださるでしょう。
いろいろ相談されたほうが、お喜びになるかもしれません」
「まあ、そうなの? じゃあ、たくさんお話しなくちゃ!」
二人の会話に、ソフィも王女付きの侍女たちも、すっかり温かな気分になっていた。
六人兄弟の末っ子であるバシリア王女は、他の兄弟とは年齢も少し離れていた。
国王夫妻は公務に忙しく、他の兄弟も末っ子を構う時間はあまりない。
邪険にされたことは無いが、空気を読んで一歩控えてしまう王女を、よく気にかけてくれたのが王妃の兄であるオルバネハ侯爵だった。
侯爵は夫人との仲も良好だったが、子供には恵まれなかった。
それもあって夫人共々、王女を気遣ってくれていたのだ。
オルバネハ侯爵は外交の重鎮であり、王女の縁談についても、よくよく相手を吟味した。
リシャール第二王子は、その上で王女の相手の第一候補として選ばれたのだった。
お茶会の日は、よく晴れていた。
北側の大きな窓から光が安定して入り、室内は十分に明るい、
並べられた鉢に植えられた蘭をはじめ、様々な植物は青々と茂り、見事な花を咲かせていた。
一通りの挨拶を終えた後、真ん中のテーブルにはリシャール王子とバシリア王女が残された。
見合いには定石の、それぞれの国の地理や特産の話をして褒め合う。
お約束ではあるが、スムーズにお茶会を進行させるには都合がいい。
だが、シャルロットを口にした王女の表情が変わった。
素直に美味しい、という表情を見て、王子も優しい笑顔になった。
「これは、ママレードを使っていますの?」
「ええ、クローブで風味をつけたママレードだそうです」
「まあ、香辛料で風味を。美味しいですわ」
「私も大好物です」
「こちらでは、こういう柑橘が採れますの?」
「いえ、これは温室で育てたものです。
この国では、露地で柑橘を栽培するのは難しいですね」
「そうでしたのね」
会話を一休みし、シャルロットを堪能していたバシリア王女は、リシャール王子の視線の先を何気なく見た。
そこにはミリアンがいて、侍女を手伝ったり、鉢植えの様子を確認したり、きびきびと働いている。
「リシャール殿下、私、婚姻は自国の者としたいと思っていますの」
「おや、そうなんですか?」
「その願いが叶うかわかりませんけれど、今はまだ自国で、家族や伯父様たちと過ごしたいのです」
「バシリア殿下のお幸せを祈っております」
「ありがとうございます。リシャール殿下も、お幸せにね」
「え?」
王女はクスクス笑い、王子は困惑する。
「本当に美味しいですわ、このケーキ。
帰る前にレシピを教えていただけますか?」
「…ええ、厨房に言いつけておきましょう」
お茶会はひとまず、和やかに終了した。
翌日、オルバネハ侯爵が王妃殿下を訪ねた。
お茶会のお礼という名目だが、中身は今後の方針のすり合わせだ。
「王妃殿下、昨日は素晴らしいお茶会をありがとうございました」
「喜んでいただけて何よりですわ」
オルバネハ侯爵は外交に長け、腹の内が読めないことも多いと言われる。
だが、今日の彼は本当に上機嫌に見えた。
「単刀直入に申し上げますが、バシリア王女には、まだ見合いは早かったようです」
「まあ」
「もうしばらくは、家族と国で過ごしたいと言われました」
「自国や、周りの方を愛していらっしゃるのね」
「はい」
少し照れたようなオルバネハ侯爵は、幸福そうだった。
王妃は、ソフィから聞いたことを思い出していた。
バシリア王女は、大好きな伯父様とたくさんお話できたようだ。
「ドレスもたくさん贈っていただき、ありがとうございます」
「お節介が過ぎてなければいいのだけれど…」
「いえ、助かりました。私は飾り立てることばかり考えていて、あの子の今をちゃんと見ていなかったようです」
「そうね。すぐに美女になってしまうわ。
今は、せっかくの可愛らしさを活かさないともったいないわ」
「本当にそうです」
「そうそう、あのミリアンと言う侍女にも世話になりました」
「ミリアンは侍女ではありませんのよ」
「それは、どういう?」
「一年間預かっている、行儀見習いの子爵家令嬢ですの。
いずれは領地に帰って、婿を取る身ですわ」
「…それでは、連れて帰ることは出来ませんね。
あまりにバシリア王女が懐いたものですから、話し相手にスカウトしようかと思いましたが」
「残念ですが、それは許可できませんわ。
あの子は国にとって、大事な存在ですから」
王女と侯爵は帰国後、王宮あてに改めてお礼の品を贈った。
その中には、何種類もの柑橘の苗があり、それをもとに、その後何年もかけて露地で栽培できる柑橘の品種改良が研究された。
数年後、何か国もの王室から婚姻を打診されるほどに美しく成長したバシリア王女は、全てを断り、オルバネハ侯爵が養子とした有望な外交官に嫁いだ。
怒りや失望で生じそうになった外交問題は、侯爵とその養子が見事な手腕で丸く収めたという。