隣国の姫君
ミリアンは王妃殿下に感謝しきりだった。
女性騎士を寄越してくれたことで、交代で仮眠が取れる。
騎士にとっても、野営中の見張りと同じ要領でいい。
襲われる心配はほぼなく、やりやすい仕事だった。
そうして朝を迎え、明るくなった室内でミリアンは隣国から来た植物の世話係のため、夜の世話の注意点を書面にした。
お茶会までの数日は、あまり天気が変わらなそうだ。
これを見てもらえば、後は、隣国から来た者たちで間に合うだろう。
欠伸を噛み殺しながら廊下に出たミリアンと女性騎士の耳に、大きな声が届いた。
「殿下! お逃げにならないでください!」
「誰か、掴まえて~!!」
こちらへ向けて走って来る小さな姿が見えた。
ミリアンたちの前まで来ると、立ち止まり、お互いに目を瞠って見つめ合うことになった。
「殿下! 殿下!」
「どちらですか~?」
ミリアンの前にいる女の子は、少し泣きそうな顔をしていた。
そして、廊下の曲がり角から侍女や従僕が姿を現す前に、植物を保管した部屋に飛び込んだ。
「殿下~!」
呼びながらやって来た侍女たちは、驚いた表情のミリアンたちを見て立ち止まった。
しばしの沈黙の後、一人の侍女が口を開く。
「あの、あなた方は?」
そこに植物の世話係がやって来た。
「ミリアンさん? お騒がせしてすみません。もう、お帰りですか?」
ミリアンは、室内に入った女の子が気がかりだった。
「いえ、もう少し観察したいのですが、廊下で大きな声が聞こえたので…」
世話係は侍女たちに、ミリアンがこの国の王妃殿下から派遣された客人だと説明してくれた。
「あの、失礼ですが、ここを誰か通りませんでしたか?」
「いえ、何か大きな声がしているなと思って廊下に出たのですが、誰も見ませんでした」
「そうですか。失礼いたしました」
侍女たちは立ち去り、世話係も「後ほど」と言うと一緒に行ってしまった。
部屋に戻ると、仮眠用に置かれていたソファに、あの女の子がちょこんと座っていた。よく見れば、着ているのは寝巻とローブだった。
「バシリア王女殿下?」と声をかけると、こくんと頷く。
ミリアンと女性騎士は『可愛い』と心中で身悶えた。
この時になって初めて、ミリアンはバシリア王女について、考えてみた。
年齢は確か十二歳。絶世の美女と噂されている。
昨日、離宮前で姿を見た時は、顔を隠して豪華なドレス姿。
小柄だとは思ったが、美女との噂と隔たっているとも感じなかった。
だが、待て待て。十二歳の美女?
いなくもないだろうが、十二歳なら、美女も卵かひな鳥だ。
この可愛らしい女の子も、もう少し成長すれば、評判通りの美女になるだろう。
しかし、今はそうではない。
ミリアンは、訊いてみることにした。
「王女殿下、もしかして、ドレスを着るのが、お嫌なのでは?」
バシリア王女はビックリした顔で、頷いた。
「…重いのですか?」
コクコク頷く。可愛い!
美女に相応しいドレスを着せられ、それらしく振舞う。
王女であれば、ある程度は仕方ないが、旅を終え宿舎に入るときにさえ、あの重装備なのだ。
室内や、まして茶会の会場なら、もっとすごいことになるかもしれない。
ドレスに縫い付けられた宝石も、豪華なジュエリーも、総重量は相当なもの。
十二歳の華奢な殿下には重すぎるだろう。
「国では、あんなの着なくてよかったのに…」
お見合いのために、周囲が張り切って用意したのだろう。
たぶん、ここに来るまでは我慢して着たけれど、とうとう耐え切れなくなったのだ。
「殿下、私はミリアンと申します。
こちらには植物の世話の、お手伝いとして来ただけですが、王妃殿下に伝手のある上役がおります。
ひょっとしたら、お力になれるかもしれません」
「ほんと?」
縋るような眼差しの殿下…可愛すぎる!
「皆さんのところへ戻られて、今日は旅の疲れがあるから、と休まれてはいかがでしょう?」
「伯父様を困らせない?」
「黙っていなくなる方が、お困りになると思います」
殿下は目を丸くして「そうね」と納得したようだ。
女性騎士に廊下を確認してもらい、殿下を部屋から出した。
しばらくすると「殿下、こちらでしたか!」と声がした。
殿下の声は聞き取れなかったが「お疲れでしたのに、気が利かず…」という侍女の声がしたので、たぶん、今日は休ませてもらえるのだろう。
ミリアンはホッとした。
騒動は一段落し、植物の世話係が再び部屋に来た。
書面を渡したミリアンは、離宮を後にする。
寮に戻ると、すぐにソフィのもとに向かった。
「ミリアン、朝までずっと働いていたのでしょう?
今日は部屋で寝ていていいのよ」
「いえ、ちょっと相談したいことがあるんです」
ミリアンはソフィに、今朝の出来事を話した。
「それは、王妃殿下にご相談するほうがよさそうね」
とはいえ、すぐには会えない。
ソフィが午後の面会を取り付け、ミリアンには、それまで仮眠するよう促した。
午後になり、話を聞いた王妃殿下は、すぐに動いてくれた。
離宮にお針子を数人向かわせたのだ。
交渉役には、執事に面を通してあるソフィを据えた。
「バシリア王女殿下に、この国風のドレスを贈りたいと言う王妃殿下のご意向です」
「いえ、ドレスは十分に持参しておりますので…」
「リシャール王子殿下のお好みのドレスを仕立てたいとの、王妃殿下のお考えです」
「……」
執事は、何度もオルバネハ侯爵にお伺いをたて、交渉を仲介した。
しかし、見合いのために訪れたという目的を突かれては、どうしようもなかった。
とうとう、ソフィとお針子たちはバシリア王女の部屋に通された。
すぐに採寸が始まり、その合間に好きな色や好きな雰囲気が質問される。
用事が済み部屋を出る時、ソフィは周囲に感付かれないよう王女殿下に贈り物を渡した。
「ミリアンからです」と言われたそれは、美しい刺繍の施されたサシェだ。
その夜、落ち着くハーブの香りに包まれた王女は、ぐっすりと眠ることが出来たのだった。