未来の公爵領
「ミリアン、貴女すごいわね!」
久しぶりに王妃殿下の温室で、殿下とリシャール王子との三人でお茶をしていた。
席に着くなり開口一番の王妃殿下の言葉が、それだった。
「あの、何のお話でしょう?」と心当たりのないミリアンは応える。
「王太后様が、レスピナス伯爵領の隣の王領を、新たに立てる公爵家の領地にしてはどうかと仰ったのよ」
「それは…つまり?」
「将来的に、領地に帰れば隣が実家、ということだよ」
リシャールが平たく説明してくれた。
「これが実現できれば、貴女を里帰りさせやすくなるわね。
王太后様のお口添えがあれば、可能性はかなり高いわ」
「お婆様の発言力は、場合によっては父上を凌ぐからな」
「そうね、お義母様の発言力が十なら、陛下が八。わたくしが五、王太子が三くらいかしら」
え? それじゃあ、第二王子のリシャールは? とミリアンは婚約者の顔を見た。
「ああ、ミリアン、期待しないでくれ。その流れで行くと、僕はゼロだな」
「まあ…一の半分くらいは、あるのではないかしら?」
「母上、その気遣いは、余計傷つきます」
「打たれ弱いわねぇ」
笑うとこ? 流すとこ? と迷ったミリアンが、少し離れたテーブルでお茶のお相伴に与っているガエルとソフィを見る。
聞こえてはいるのだろうが、二人とも知らん顔だ。
ミリアンは話題を変えることにした。
「もし、レスピナス伯爵領の近くに領地が決まるのでしたら、行く行くはアンリ殿下にも遊びに来ていただけるかもしれませんね」
先日、お腹の大きな王太子妃を訪ねたのだ。
その時、王太子夫妻の長男、アンリ王子と仲良くなった。
とても活発な男の子で、従僕たちは苦労があるようだ。
もっと大きくなれば、広い場所で伸び伸びと遊びたいだろう。
「そうだな。伯爵領を訪問した時だけ厳重に警備するのは難しい。
でも、隣が公爵領になれば、日ごろから警備協力し合うこともできるはずだ」
言いながらリシャールはガエルを見た。
ガエルは、面倒だけど仕様がないですね、と眉間にしわを寄せた。
「婿取りの一人娘を強引にもらい受けることになったのだから、うまく話がまとまれば、少しは気が楽になるわ」
領地を継ぐだけなら、適当な人物を探して養子にしてもいいのだ。
だが、レスピナス伯爵家の場合、家業のハーブ栽培がある。
それを維持できる者でなければ、簡単に家を譲るわけにはいかない。
ミリアンの両親である現伯爵夫妻は、まだまだ若く、領地を維持するのに心配はいらない。
だが、万一について考えておくことも必要だった。
新しい公爵家に男子が二人以上生まれれば、一人を伯爵家の当主とすることが可能だ。
領地が隣り合っていれば、ミリアンが家業について目配りすることも出来る。
「まあ、あまり心配しても仕方ないわ。
跡継ぎの人数だけ揃えても、大事な家業に興味が無い子ばかりってこともあり得るしね」
「…確かに、そうですわね」
「先ずは心配事になるかもしれないことを目の届く範囲に置いて、少しでも安心できるよう目指しましょう」
「「はい」」
王妃殿下が戻られ、残ったリシャールとミリアンに、ガエルが声をかけてきた。
「せっかく温室に来られたのですから、手伝ってくださいますか?」
「まあ、喜んで」
嬉しそうなミリアンに、リシャールは苦笑する。
「でも、私、ドレスが…」
王子の婚約者として王宮内を歩くのには、相応しい恰好というものがある。
行儀見習いの時とは違い、作業向きのドレスではない。
「こちらを、お召しください」
ソフィが持ってきてくれたのは、袖付きのエプロンだった。
「まあ、こんなエプロン初めて見たわ」
「王妃様のお針子部隊の自信作ですわ。
ミリアン様がいなければ、生まれなかったデザインでございます」
少々、呆れ気味な口調でソフィが披露したエプロン。
その後、その存在を知った王太子妃が出産後、手ずから子供の世話をする時に愛用した。
そこから貴族女性に広まっていき、やがて淑女の嫁入り道具の一つとなるのだった。
ミリアンはソフィにエプロンを着せてもらうと、作業用の手袋を着けた。
温室内の様子は頭の中に入っているので、気になる部分を確認していく。
ミリアンの様子を見ていたガエルが、リシャールに話しかけた。
「いい奥様になられますね、ミリアン様は」
「ああ」
「お世辞じゃないですよ。もしも軍人なら、司令官になれそうです」
「?」
ぐるっと温室を見回ったらしいミリアンは、テーブルで紙に何かを書きつけていた。
しばらくして、ガエルを呼ぶ。
「ガエルさん、時間が足りなくなりそうなので直接作業は出来ませんけど、手入れが必要そうなものを書き止めました。
確認していただけますか?」
ガエルが『ほらね!』と言わんばかりの表情をする。
リシャールも理解した。
ミリアンは自分が使える時間と置かれた状況に応じて、出来るだけの仕事をしたのだ。
「浮かれて、置いてけぼりを食らわないでくださいよ」
ガエルの忠告が、少々耳に痛かった。